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東京都の元「藤田先生を応援する会」有志によるブログ(2004年11月~2022年6月)のアーカイブ+αです。

7年間に及ぶ担任外し

2011年12月06日 | 日の丸・君が代関連ニュース
《11・25東京「君が代」1次訴訟の最高裁要請行動から》
 最高裁判所第一小法廷裁判官殿
 ◎ 7年間に及ぶ担任外し
上告人 TY

 私は処分を受けたN高校での卒業式2004年3月を最後に、現在にいたるまでそれ以降、クラス担任の仕事から排除されてきました。
 処分後H高校に異動して6年目になりますが、担任の希望をしても校長は私が担任を受け持つことを認めません。前任の○校長は、10月の校長との面接の際、「来年の校務で、担任となった場合、入学式に起立するか」と尋ね、私は「出来ない」と答えました。そして、実際に2月に次年度の校務を希望する時期に私が担任の希望だしても、結果は私だけ希望が叶わないのです。理由は「私が入学式に座る」からだと校長は述べるのです。
 現在の△校長も全く同様の理由で私を担任にいれません。H高校のような生徒指導の困難な学校では、担任希望は決して多くないのです。
 私が教員を志望した動機は「担任をやりたい」ということでした。教員になって以来、そして処分を受けるまで私はほとんど担任を希望してきました。
 私は自分の高校時代から大学にかけて「自分はどのように生きたら良いのか」非常に悩んだ経験があります。私はかつての自分のような悩める高校生と出会い、高校時代に自分の人生をどのように考えたら良いのか、手助けしたいと思いました。そこで担任の仕事を率先して担い、生徒たちとの深い関わり合いを求めてきました。生徒の中でも特に、学校に適応することに困難を覚える生徒たちと深く関わってきました。不登校気味の生徒にはそれぞれに個別な理由がありますが、生徒たちが学校を辞めることなく何とか高校生活を続け、自分なりの進路を見つけられるように手助けしてきました。
 M高校では、不登校気味の生徒の担任を自ら志願して引き受けました。クラスで孤立するその生徒を物理実験室に呼んで日々の話し相手になり、進路についても本人や保護者と真剣に話し合い、卒業の時には生徒は自ら納得のいく進路を選ぶまで成長しましたが、こういう指導も、担任ならでは出来ることです。
 しかし処分以来、担任を外されることによって、これまでのように生徒たちとの深い関係を持つことが出来ず、不登校の生徒たちとも関わることはできなくなりました
 「10・23通達」は、私から、私の教師としての生き甲斐である「担任の仕事」を奪いました。卒入学式で国旗国歌を起立斉唱できないというだけで、私が担任に相応しくないというのでしょうか。私がこれまでやりがいを感じてきた「担任の仕事」全てが否定されたような衝撃と苦痛を感じています。
 そしてこのことは私だけの思いではなく、ほかにも処分を受けた方がまったく担任の希望が認められない、あるいはいったん担任に決まりながら直前になってはずされたという話を聞きました。
 7年前のN高校での3年間の担任が最後の担任でした。彼らはわたしにとって5回目の担任の生徒たちでした。
 かれらは、入学式と卒業式を合計6回、式に参列してきました。私はその度に事前に「国旗国歌」の歴史的背景などを説明してきました。また憲法で保障された「内心の自由」についても触れ、だれにでも「立つ自由もあれば座る自由もある」と述べ、それぞれ「自分の考えに従って判断しなさい」と話して式典に臨んできました。しかし10.23通達は、教師が生徒に対し「国旗国歌」や「内心の自由」について説明することを禁止しました。
 現在、生徒たちは、国旗国歌について教師からきちんとした知識を学ぶことのできないまま、君が代を歌うことを強いられています
 「10・23通達」は入学式や卒業式だけ、「教育の自由」を制限しているのではありません。現在、「10・23通達」は日常の教師の教育活動全体にたいして、さまざまな影響を及ぼしています。
 なかでも最も大きいのは職員会議が大きく変わってしまったことです。通達以降、教職員が職員会議で発言することが極端に少なくなってしまいました。「10・23通達」が出された時、多くの教職員の意見を全く聞かず「校長に決定権がある」のだという理屈で、通達通りの式が強行されました。その後同じようなことが教育活動全般について起こるようになりました。
 2006年4月都教委は、職員会議で教師たちに挙手採決を禁止する通知をだしました。かつての職員会議では多数の教員が生活指導や単位認定による進級や卒業などについて、さまざまな考えを自由に述べて長い時間をかけて討議してきました。そして挙手・採決によって全員の合意を形成し最良の方法を決定してきました。その結果、会議で決定したことに教師一人ひとりが責任をもつことができました。しかし、この通知はこのような全員の合意形成による学校運営を不可能にしてしまいました
 教師は自分の意見や考えを持ってはいても、それが指導方針に反映されなくなって「言ってもムダだ」という雰囲気が支配するようになりました。職員会議は、学年や各分掌の連絡や報告の伝達機関となり果てました。
 こうして教師としての専門性や裁量に基づく「意見表明」が職員会識から消えていきました。現在は「もの言えぬ職員会議」のもと、校長主導で生徒指導の案件が決定されるようになり、それに関わらなかった教師たちは、その決定に自分の責任を感じることがなくなってしまいました。
 こうして多くの教師は、自分の意見や考えがあってもそれを表明することを諦めでしまっています。校長や主任の言うことに従い、最終的には生徒との関わりにおいても、教師としての「責任」が希薄になってしまっています。教師の職に対する「誇り」を感じることができなくなり、教師としての「良心」が失われてきていると多くの人が感じています。
 それは早期退職者の急増にも表れていると思います。同僚から聞いた話ですが、問題行動を起こした生徒に対する指導案が、学年と生活指導部の担当者だけで決められ、それを校長が承認し、他の教職員に対しては問題行動があったことも、それに対してどういう指導をしたのかも知らされないという学校すらあるというです。
 都立高校の学校教育を狂わせている「10・23通達」とそれに甚つく校長の職務命令、及び処分の撤回を要求し、一刻も早く学校に正常な教育活動を取り戻すべく、最高裁が公正な判断を下されるように切望するものであります。

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