丸山千枚田は関ヶ原の戦いの功により紀伊に移封された浅野幸長による慶長6年の検地の記録で、
7町歩(約7ha)約2240枚の棚田があったと記録されているそうです。
その後、明治時代には11.3haにまで増え、ほぼその規模で維持されてきました。
しかし、昭和40年代半ば以降、過疎化・高齢化などで耕作面積が500枚程度に減少。
地元住民と紀和町により、千枚田の復旧作業が始められ現在7.0ha、1300枚まで回復したそうです。
斜面に並ぶ棚田
棚田の中央には大きな大岩が、「ずしん」としています。
機械が入らないため作業は現在も人手によって行なわれているようです。
K100D&910ISにて6月6日撮影
7町歩(約7ha)約2240枚の棚田があったと記録されているそうです。
その後、明治時代には11.3haにまで増え、ほぼその規模で維持されてきました。
しかし、昭和40年代半ば以降、過疎化・高齢化などで耕作面積が500枚程度に減少。
地元住民と紀和町により、千枚田の復旧作業が始められ現在7.0ha、1300枚まで回復したそうです。
斜面に並ぶ棚田
棚田の中央には大きな大岩が、「ずしん」としています。
機械が入らないため作業は現在も人手によって行なわれているようです。
K100D&910ISにて6月6日撮影
この見事な棚田、素晴らしい景観です。
先人の努力の賜物なのでしょうが、復元し維持する手間も大変なものなのでしょう。
何時までも続けばいいと思います。
何時までもこの風景が維持できることが出来たらと思っています。
ここで採れたお米で、おにぎりでも作ったら、おいしそう・・・一度食べて見たくなりました。