今日、Noneは、学校で外部模試の日。
平日と同じ時間に起き、NHKワールドの科学番組を
英語で見るんだけど、目が完璧に寝てる。
見送った後、HuluでBBCワールドをiPadで流し
ながら二度寝。英語を聞きながら寝ようと思ったん
だけど、コニカミノルタの不祥事の特番をやっていて、
やたら日本語が流れる。
昨日の風邪が尾を引いていたので、マツキヨに行って
マツキヨブランドの(中身はクラシエらしい)葛根湯を
買って、そのあとHSKの勉強。
仕事に出る。
土曜やから、そこそこ忙しかったけど、最後小一時間
本を読む時間ができる。
から、ここだな、と思うところがあって
わたしは、十九世紀の気難しい祭司や聖職者を思い出す。
すなわち、庶民には投票権や適正な賃金、ましてや余暇を
うまく扱う能力はない。彼らが酒におぼれるのを防ぐには、
週七〇時間働かせるのがいちばんだ、と考えていた人々だ。
だが皮肉にも、ますます多くの人が酒に逃げるようになって
いるのは、工業化が進んだ働きすぎの都市においてなのだ。
今は一九世紀ではないが、状況は同じだ。日本やトルコ、
そしてもちろんアメリカのような働きすぎの国では、人々は
あきれるほど長い時間テレビを観ている。アメリカでは、
平均で一日五時間もテレビに費やし一生では九年にもなる。
アメリカでは子どもたちも、学校で過ごす時間の半分に
相当する時間をテレビの前で過ごしている。
だが、本当の余暇は、贅沢でもなければ堕落でもない。
それは、身体にビタミンCが欠かせないのと同様に、脳に
とって欠かせないものなのだ。(中略)二一世紀の教育は、
労働力となることを教えるだけでなく、(さらに重要な
こととして)人生をいかに生きるかを教えなければならない。
学校の語源のスコラがもともと余暇を表していたんだけど、
変に時間だけ与えて「ゆとり」とか言ってたのは間違いだったと
思うんだけど、授業を増やして、宿題を増やして、校則で
制限して、不良にならないように労働者への道を歩ませる
みたいな感じの義務教育から考え直した方がいいのかなと
思わなくもない。
この本では、フォードが初めて週休二日制を導入して、
(やはり労働者に自由時間を与えたら悪いことが起きるように
言う人が多かったらしい。)実際労働意欲と消費がよくなった
こと、同じように、ケロッグが労働時間を短縮して6時間労働に
したら、8時間働かせるのより生産性が上がったので減給する
必要がなかった話とか載っていて。
まあ、現実の労働が人間がしなくていいものになっていて、
人間の労働が余るようになってしまっているんだから、
世界のうちのたった8人が世界の半分の富を握るような
格差がうまれているんだから、うまく再配分するような
しくみは考えていかなければならないと思うんだけど。
確かに人が嫌がるような3Kみたいな仕事を、失業を
恐れる人がいるから、担ってくれる人がいるんじゃないか
とか思わなくもないんだけど、ならなんで、語学を活かせる
とか、それなりに人間がやりたがるような仕事を奪う機械
とかは一生懸命作って、3Kのほう、そんな頑張ってる話
聞かないのはなんでなのかとか思うし、実際体力や衛生や
安全性に問題があったりするものは待遇が上がるべきだと
思う。
今調べたらIT業界の新3Kってあるんだね。「きつい」
「帰れない」「給料が安い」らしい。コンピューターを扱う
能力があっても、格差社会の上の方に行けるとは限らないんだ。
(確かにデジタル土方って聞いたことある)
いまの子どもたちに、このスキル身に着けたら生きていけるよと
言えるようなものがないような気がして、持続できる社会を
考えるんだったら、社会の仕組みを変えていくことを考え
ないといけない気がする。
昨日オイコノミアで、今の子どもが100歳まで生きる
だろうから、80ぐらいまで働かないといけない話だった
のに。(番組では20歳から働いての話だったけど、
100歳まで生きるつもりなら院とか行って30歳ぐらい
から働きだしても長いと思うんだけど。)
隷属なき道でも長寿社会の話はしていて、それも労働時間が
短縮できたら、高齢でもその労働が可能だろうという話
だったんだけど。
そもそも、ケインズが1930年に「二〇三〇年には
人々の労働時間は週一五時間になる。二一世紀の最大の
課題は増えすぎた余暇だ」と予言してたらしいけど。
まあ、今ならもし、最低限の生活を維持できる収入があって
自由な時間がありあまってもポケGOとかパズドラやってるん
じゃないかなと思うけど。
実際、日本の江戸時代の低賃金労働者って、もらった
賃金、仕事場が提携しているチンチロリンでスッカラカンで、
ぜんぶ胴元に返るので実質ただ働き状態だったんだけど、本
人たちにしてみれば、宵越しの金は持たない的な美徳で
生きていられたし、そんなことを考えたら、最低限の
生活費渡した人が、働かないで衣食住以外全部ガチャとか
でもIT業界が潤って結局経済は回るような気がする。
まあ、実際、もっと人間らしい活動ができるほうが
いいんだろうけど。
まあ、まだ本読んでる途中で、自分が生きてる間に
ベーシックインカムとか手に入れられるかわかんないん
だけど、人間がそんなに労働しなくてもいい世界って
いうのがどのようにして可能かを引き続き考えて
いきたい。
受験生とか高校生とかがこのブログを見てくれていると
したら、中学生とかそれより年下でもいいけど、
受験勉強も大切だけど、経済学でも社会学でも、理工学でも
何でもいいんだけど、
人より有利な立場につくためだけではなくて、社会全体が
良くなる方法とか考えられる学問をしてくれたらいいなと
思います。
Noneにもね、家庭問題とか、時間の余裕とか、収入とか
良くなっただけで問題が少なくなる話もあるから、心理学
だけで解決しようとするんじゃなくて、政治とか経済も
わかるようにするといいよとは言っているし、Noneも
わかったとは言ってくれているんだけど。
だいたいこんな感じです。
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平日と同じ時間に起き、NHKワールドの科学番組を
英語で見るんだけど、目が完璧に寝てる。
見送った後、HuluでBBCワールドをiPadで流し
ながら二度寝。英語を聞きながら寝ようと思ったん
だけど、コニカミノルタの不祥事の特番をやっていて、
やたら日本語が流れる。
昨日の風邪が尾を引いていたので、マツキヨに行って
マツキヨブランドの(中身はクラシエらしい)葛根湯を
買って、そのあとHSKの勉強。
仕事に出る。
土曜やから、そこそこ忙しかったけど、最後小一時間
本を読む時間ができる。
隷属なき道 AIとの競争に勝つベーシックインカムと一日三時間労働 | |
野中 香方子 | |
文藝春秋 |
から、ここだな、と思うところがあって
わたしは、十九世紀の気難しい祭司や聖職者を思い出す。
すなわち、庶民には投票権や適正な賃金、ましてや余暇を
うまく扱う能力はない。彼らが酒におぼれるのを防ぐには、
週七〇時間働かせるのがいちばんだ、と考えていた人々だ。
だが皮肉にも、ますます多くの人が酒に逃げるようになって
いるのは、工業化が進んだ働きすぎの都市においてなのだ。
今は一九世紀ではないが、状況は同じだ。日本やトルコ、
そしてもちろんアメリカのような働きすぎの国では、人々は
あきれるほど長い時間テレビを観ている。アメリカでは、
平均で一日五時間もテレビに費やし一生では九年にもなる。
アメリカでは子どもたちも、学校で過ごす時間の半分に
相当する時間をテレビの前で過ごしている。
だが、本当の余暇は、贅沢でもなければ堕落でもない。
それは、身体にビタミンCが欠かせないのと同様に、脳に
とって欠かせないものなのだ。(中略)二一世紀の教育は、
労働力となることを教えるだけでなく、(さらに重要な
こととして)人生をいかに生きるかを教えなければならない。
学校の語源のスコラがもともと余暇を表していたんだけど、
変に時間だけ与えて「ゆとり」とか言ってたのは間違いだったと
思うんだけど、授業を増やして、宿題を増やして、校則で
制限して、不良にならないように労働者への道を歩ませる
みたいな感じの義務教育から考え直した方がいいのかなと
思わなくもない。
この本では、フォードが初めて週休二日制を導入して、
(やはり労働者に自由時間を与えたら悪いことが起きるように
言う人が多かったらしい。)実際労働意欲と消費がよくなった
こと、同じように、ケロッグが労働時間を短縮して6時間労働に
したら、8時間働かせるのより生産性が上がったので減給する
必要がなかった話とか載っていて。
まあ、現実の労働が人間がしなくていいものになっていて、
人間の労働が余るようになってしまっているんだから、
世界のうちのたった8人が世界の半分の富を握るような
格差がうまれているんだから、うまく再配分するような
しくみは考えていかなければならないと思うんだけど。
確かに人が嫌がるような3Kみたいな仕事を、失業を
恐れる人がいるから、担ってくれる人がいるんじゃないか
とか思わなくもないんだけど、ならなんで、語学を活かせる
とか、それなりに人間がやりたがるような仕事を奪う機械
とかは一生懸命作って、3Kのほう、そんな頑張ってる話
聞かないのはなんでなのかとか思うし、実際体力や衛生や
安全性に問題があったりするものは待遇が上がるべきだと
思う。
今調べたらIT業界の新3Kってあるんだね。「きつい」
「帰れない」「給料が安い」らしい。コンピューターを扱う
能力があっても、格差社会の上の方に行けるとは限らないんだ。
(確かにデジタル土方って聞いたことある)
いまの子どもたちに、このスキル身に着けたら生きていけるよと
言えるようなものがないような気がして、持続できる社会を
考えるんだったら、社会の仕組みを変えていくことを考え
ないといけない気がする。
昨日オイコノミアで、今の子どもが100歳まで生きる
だろうから、80ぐらいまで働かないといけない話だった
のに。(番組では20歳から働いての話だったけど、
100歳まで生きるつもりなら院とか行って30歳ぐらい
から働きだしても長いと思うんだけど。)
隷属なき道でも長寿社会の話はしていて、それも労働時間が
短縮できたら、高齢でもその労働が可能だろうという話
だったんだけど。
そもそも、ケインズが1930年に「二〇三〇年には
人々の労働時間は週一五時間になる。二一世紀の最大の
課題は増えすぎた余暇だ」と予言してたらしいけど。
まあ、今ならもし、最低限の生活を維持できる収入があって
自由な時間がありあまってもポケGOとかパズドラやってるん
じゃないかなと思うけど。
実際、日本の江戸時代の低賃金労働者って、もらった
賃金、仕事場が提携しているチンチロリンでスッカラカンで、
ぜんぶ胴元に返るので実質ただ働き状態だったんだけど、本
人たちにしてみれば、宵越しの金は持たない的な美徳で
生きていられたし、そんなことを考えたら、最低限の
生活費渡した人が、働かないで衣食住以外全部ガチャとか
でもIT業界が潤って結局経済は回るような気がする。
まあ、実際、もっと人間らしい活動ができるほうが
いいんだろうけど。
まあ、まだ本読んでる途中で、自分が生きてる間に
ベーシックインカムとか手に入れられるかわかんないん
だけど、人間がそんなに労働しなくてもいい世界って
いうのがどのようにして可能かを引き続き考えて
いきたい。
受験生とか高校生とかがこのブログを見てくれていると
したら、中学生とかそれより年下でもいいけど、
受験勉強も大切だけど、経済学でも社会学でも、理工学でも
何でもいいんだけど、
人より有利な立場につくためだけではなくて、社会全体が
良くなる方法とか考えられる学問をしてくれたらいいなと
思います。
Noneにもね、家庭問題とか、時間の余裕とか、収入とか
良くなっただけで問題が少なくなる話もあるから、心理学
だけで解決しようとするんじゃなくて、政治とか経済も
わかるようにするといいよとは言っているし、Noneも
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