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四万六千日の功徳

2008-07-11 08:44:01 | ねむねむ  南無南無  ワールド
9日 横浜 『 弘明寺 』の四万六千日のご開帳にマンマミーヤと出かけた。有意義だったと自分では思っている。

ここは真言宗のお寺でこの日はお護摩を焚いてくださる。この日一日行けば四万六千日参ったと同じだけの功徳をいただける、といわれている。

この四万六千日を年に直すと、およそ126年だったかな?それくらいになるらしい。
( 以下 らしいをつけてお読みください )

人の寿命は一番最長の方で125歳くらいだから、この日一日いけば一生分の功徳をいただけるという計算になる。( ラッキー )

じゃあ 一日だけ行けばいいじゃないか?ということになりそうだけれど、仏教的に考えると、そうではない。

つまり仏教では「 輪廻転生 」という考え方があって、何度もこの世に生まれ変われると考えられているから、次の世 またその次の世のためにおまいりしておくということになる。

それはさておき、ワタシは真言宗のお経・鳴り物( 呼び方 わからず→たいこやシンバルのような楽器 )・加持祈祷の仕方 などなどが好き。

何となく秘密めいたところ・・・指で印お結ぶところ、護摩を焚くときの作法がミーハーなワタシを十二分に満足させてくれる。室内で護摩木を焚くわけなので、当然炎がでる。そして火の粉が舞う。それが、多分室内なので空気が対流しているからなのか、まるで舞い踊っているように見えるんだ。
異空間にいる ことが心地よいのだ。
この日は、自分で護摩木を火に焼べる( くべる )ことができる。じっちゃんのをワタシが、とうちゃんのをマンマミーヤが焼べる。
なむ~
何となく、いくつも煩悩をやいていただいたような心持になり、( ありがたいのぅ~)満足するのだ。
不動明王 ご真言
なうまくさんまんだ~ ばさらだんせんだ~ まかろしゃだ そわたや うんたらた かんまん・・・


護摩を焚いてくださる管主様はおよそ1時間もの間 炎の前に座りっぱなしなわけだから護摩が終わったあとは汗だくだ。衣にも焼け焦げたあとがいくつもある。
( ありがたいのぅ~)
実はここの管主様の説法が好きなんだ。と言っても 今回が2回目。
くだくだしくなく、お説教じみてなく、それでいて意味深い。

>去年は・・

 ”君達はさだまさしさんの 「 償い 」という曲を知っていますか?”と問いかけた、少年犯罪を裁いた裁判官のお話、だった。

この曲 泣けるんですよ。いつ自分や自分の家族がこの加害者にならないとも限らないと思うんだ。

>今年は 「 迷惑 」という言葉について・・・。申し訳ないのだけれど、結局のところ肝心の講話の主題は何だっけ?状態なのだけれど・・・。

この迷惑という言葉は仏教用語からきているのだそうだ。迷う、とまどう、こころをとらわれる。迷惑をかける、迷惑をかけられる。

かけてもかけられても、こころは乱れるわけで、そのときの抜け出す方法というか、解決法というか、それは・・・自分の中にある 仏のこころを知ることなのだ。

人を恨んだり、人のせいにしているうちは、とらわれの身であって、その煩悩が、延々自分を苦しめる。
「 許し 」
なかなかできることではないけれど、お互いさま、というこころが結局のところ自分を解放していくのかもしれない。

>駅前の お気に入りのたい焼きやさんは、一期一会、別のお店に変わっていた。
 そういえば、先日TVで大阪、食い倒れのお店が閉店になり、人々に惜しまれつつ、最後の日を迎えたのを見た。

船場吉兆の閉店とこのお店の閉店と、同じ「閉店」には違いないのだけれど、そのどちらをもそっと見守りたいようなこころもちになった。

父があれだけこだわった店はもうない。
主人の母が何十年も頑張って続けた店は、今はどうなっているのだろう?

いずれにせよ 形あるものはなくなるんだ。ものも 人も・・・。

だとするならば、今日の このときを 生きなければならないと思うんだ。

>写真は 先日かいた絵手紙。ちょっとお気に入り。花は「 ほたるぶくろ 」という名前らしい。火の粉の乱舞が、ほたるの舞を想わせた。











コメント (2)
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