日々お立ち寄りくださいまして誠にありがとうございました。
丹波霧は本日で終了いたしました。
残りの夏 今年のまとめのようなことが書けたらなあ と思っています。
本日 恩師上原輝男先生がおつくりになった 『 児童の言語生態研究会 』 の、たぬき先生とやす子先生との三者会談にでかけます。
いのちを育てるということは 本当に、本当に、地味で、遅々としていて、それでいて ないがしろにできない正直なもので、手塩にかけなくてはいけなくて、一人ではできなくて、いろいろな方々のお陰によるもので、日々闘いで、・・・際限なく続き・・・
気づけば、大きくなりましたね。とそういう感じなのかもしれない。
ウンチをかたづけ、おしっこを拭き、えさをあげ、水をあげる。毎日が同じようでいて、同じではない。
喜びであり、忍耐であり、どう考えても、自我を捨てるということをしていかなくてはならない作業だと思う。
それが、自分育て ということにもなるのだろうと思うけれど、我をすてるなんていうことはそんなに簡単にできることじゃあないと、いつも思う。
本日 お知恵を頂きにでかけてきます。なかなかね~自分ちの子どもだって、というか、自分ちの子どもだから 難しいんですよ、こ・そ・だ・て。
>写真はピンぼけしているけれど、お気に入りの一枚。
お題 「 ららちゃん バレエ 」 しっぽが喜びをあらわしているようでかわいい。親ばか。
『 忘れ水物語 』丹波霧は 八月六日 に移動させました。
どうぞ また来年もお越しくださいませ。
丹波霧は本日で終了いたしました。
残りの夏 今年のまとめのようなことが書けたらなあ と思っています。
本日 恩師上原輝男先生がおつくりになった 『 児童の言語生態研究会 』 の、たぬき先生とやす子先生との三者会談にでかけます。
いのちを育てるということは 本当に、本当に、地味で、遅々としていて、それでいて ないがしろにできない正直なもので、手塩にかけなくてはいけなくて、一人ではできなくて、いろいろな方々のお陰によるもので、日々闘いで、・・・際限なく続き・・・
気づけば、大きくなりましたね。とそういう感じなのかもしれない。
ウンチをかたづけ、おしっこを拭き、えさをあげ、水をあげる。毎日が同じようでいて、同じではない。
喜びであり、忍耐であり、どう考えても、自我を捨てるということをしていかなくてはならない作業だと思う。
それが、自分育て ということにもなるのだろうと思うけれど、我をすてるなんていうことはそんなに簡単にできることじゃあないと、いつも思う。
本日 お知恵を頂きにでかけてきます。なかなかね~自分ちの子どもだって、というか、自分ちの子どもだから 難しいんですよ、こ・そ・だ・て。
>写真はピンぼけしているけれど、お気に入りの一枚。
お題 「 ららちゃん バレエ 」 しっぽが喜びをあらわしているようでかわいい。親ばか。
『 忘れ水物語 』丹波霧は 八月六日 に移動させました。
どうぞ また来年もお越しくださいませ。