+++ 追い書きより抜粋 +++
いざ出版するとなると、この作品の性根のようなものからいって、そうすることが適当であるのかどうか迷ってしまう。
深くて長い、それでいて、明暗の分かたれぬ以前の薄明と沈闇の、未発の状態でいることが、いまだに正しいように思えてしまう。
原爆のことを書こうと思ったのは、その傷跡がまだ傷跡とも固まらぬ頃であった。正しくは、書こうなどという意志からよりも、興奮のうわごとを書きつけていたというべきであった。
そして、その頃、二つの作品を見て、以後、私は筆を折った。
映画 ”原爆の子”と、丸木夫妻の ”原爆の図 ”であった。
世評はいずれも大反響があったが、私は、映画では身震いするほどの嫌悪感を抱き、絵画の前には不思議に素直になれた。人間が破壊されているのに、破壊されない人間が、破壊された扮装をすることに憤りさえ思ったのを忘れない。これ以上の陵辱があるだろうかと思い、人間の愚かしさをつくづく思った。それに較べて、丸木氏が木炭画を採択し、しかも赤ん坊だけは、無傷の儘に画かれたことに思わず息をのんだ。書かねばならぬこと、後世に伝えねばならぬことは、事実よりも、その事実に遭遇した人々の想念なのだ、と自覚させられた。
いざ出版するとなると、この作品の性根のようなものからいって、そうすることが適当であるのかどうか迷ってしまう。
深くて長い、それでいて、明暗の分かたれぬ以前の薄明と沈闇の、未発の状態でいることが、いまだに正しいように思えてしまう。
原爆のことを書こうと思ったのは、その傷跡がまだ傷跡とも固まらぬ頃であった。正しくは、書こうなどという意志からよりも、興奮のうわごとを書きつけていたというべきであった。
そして、その頃、二つの作品を見て、以後、私は筆を折った。
映画 ”原爆の子”と、丸木夫妻の ”原爆の図 ”であった。
世評はいずれも大反響があったが、私は、映画では身震いするほどの嫌悪感を抱き、絵画の前には不思議に素直になれた。人間が破壊されているのに、破壊されない人間が、破壊された扮装をすることに憤りさえ思ったのを忘れない。これ以上の陵辱があるだろうかと思い、人間の愚かしさをつくづく思った。それに較べて、丸木氏が木炭画を採択し、しかも赤ん坊だけは、無傷の儘に画かれたことに思わず息をのんだ。書かねばならぬこと、後世に伝えねばならぬことは、事実よりも、その事実に遭遇した人々の想念なのだ、と自覚させられた。