実は、自分の家族の星を鑑定の資料として提出した。あくまでも学問として皆で学ぶためなのだけれど・・・。資料を提出する人がいなかったので、まあ、あまり好きじゃあないS先生の意見を聞くのもいいんじゃあないかな?と思ったんでね。
一番の課題は何と言っても、家族の健康、これをどうすればよいか?という問題。しかしながら、これが我が家では一番難しい問題なんだ。じゃなければ、このあやかし@、何度も救急で病院におでかけしたりしない。
一番ハードだったのが、精神の病。まあこれは超危険な賭けに出て只今完治。誰にでもご案内できる方法ではないのでお伝えできないけれど・・・。
そうそうあとね、不思議おじさんのお世話にもなっているし・・。大体、死にそうになる(ちょっと大げさ)と、いつもどこからか不思議おじさんがやってくるんですよ。
< 鑑定 >
結論からいうと・・・子育てに関してダメだしをされた。親が悪い。甘すぎる。ってね。
< ジャパン >・・・大学を卒業させたら、もう一人前。仕事を2年もたたないのにやめるなんていうのが甘い。
まあね、それはワタシも思いましたさ。
”頭にできた、ハゲの一つや二つ”
”仕事できなくて、給料どろぼう呼ばわりされたくらいでへこたれるな!”
とは思いましたよ。だけど・・・合わない仕事ですり減るよりは、好きな仕事ですり減る方がましなんじゃあなかろうか?って思ったわけでね。
同じ職場、3カ月で死んだ娘さんもいたらしいし・・・。
何のために、ワタシが苦労して、この知恵にたどりついたのか、子どもに生きるヒントを与えられなくては意味がないじゃあないか?って思ったわけでね。
< マンマミーヤ >・・・マンマミーヤに関しても同様のことを言われたけれど、こちらに関しては母親としての確信 ”ワタシのあの時の決断(=高校をやめたこと)は間違ってはいなかった。”と思うので、この点に関しては、異議あり!だな。
だけど、自分が一番まちがっていたと思うことは、生まれ落ちてから、 自分の頭で考えて、自分の足で歩かせなかったこと。 つい面倒になって、すぐ手をかしたようなところがあったし、受験制度に憤りを感じて対抗したことも事実。「官」もとろうとしたかな。しかしながら・・・もっと大切なことがあったわけで、それは、各々の子どもを、その子どもの”いのち”を育てることをしなかったこと。『 待つ 』ということができなかった。話をきちんと聞いてあげる。ということもできなかった。
自己弁護するならば、子育てで違うと思うことはそれなりにあったけれど、自分の意見が通るような家ではなかったし、言いきるだけの根拠をワタシが持っていなかった。何よりワタシは、日常生活と病気の中で疲れきっていた。
今の状況を子育ての失敗と呼んでいいのかわからないけれど、( だって失敗して気付くことって沢山あるでしょう?失敗したと思ったらやり直せばいいわけだしね。)
とりあえず、 親がだらしない。親の生きる姿勢が子どもに投影されている。甘やかしすぎ。 等々、意見をいただきまして・・。
子どもに自分の足で歩かせること。転んでも、自分で起き上がり、立ちあがっていくこと。を目標にがんばりますわ。
このことは占いなんぞを知らなくても、昔の親だったら普通にやっていた教育だよね。
子育てをもう一度やり直す。心を鬼にして。ここは正念場。自分がやったものしか、自分に返ってこないんだ。
だけどね、結局のところ、自分がしっかり生きて、自分の生きる後ろ姿を子ども達に示さなくちゃあいけないんだと思う。
>S先生は苦手だけれど、やさしいN先生が好きだけど、こういう苦言を呈してくださる先生が、実はとっても大事なのだと思った。
一番の課題は何と言っても、家族の健康、これをどうすればよいか?という問題。しかしながら、これが我が家では一番難しい問題なんだ。じゃなければ、このあやかし@、何度も救急で病院におでかけしたりしない。
一番ハードだったのが、精神の病。まあこれは超危険な賭けに出て只今完治。誰にでもご案内できる方法ではないのでお伝えできないけれど・・・。
そうそうあとね、不思議おじさんのお世話にもなっているし・・。大体、死にそうになる(ちょっと大げさ)と、いつもどこからか不思議おじさんがやってくるんですよ。
< 鑑定 >
結論からいうと・・・子育てに関してダメだしをされた。親が悪い。甘すぎる。ってね。
< ジャパン >・・・大学を卒業させたら、もう一人前。仕事を2年もたたないのにやめるなんていうのが甘い。
まあね、それはワタシも思いましたさ。
”頭にできた、ハゲの一つや二つ”
”仕事できなくて、給料どろぼう呼ばわりされたくらいでへこたれるな!”
とは思いましたよ。だけど・・・合わない仕事ですり減るよりは、好きな仕事ですり減る方がましなんじゃあなかろうか?って思ったわけでね。
同じ職場、3カ月で死んだ娘さんもいたらしいし・・・。
何のために、ワタシが苦労して、この知恵にたどりついたのか、子どもに生きるヒントを与えられなくては意味がないじゃあないか?って思ったわけでね。
< マンマミーヤ >・・・マンマミーヤに関しても同様のことを言われたけれど、こちらに関しては母親としての確信 ”ワタシのあの時の決断(=高校をやめたこと)は間違ってはいなかった。”と思うので、この点に関しては、異議あり!だな。
だけど、自分が一番まちがっていたと思うことは、生まれ落ちてから、 自分の頭で考えて、自分の足で歩かせなかったこと。 つい面倒になって、すぐ手をかしたようなところがあったし、受験制度に憤りを感じて対抗したことも事実。「官」もとろうとしたかな。しかしながら・・・もっと大切なことがあったわけで、それは、各々の子どもを、その子どもの”いのち”を育てることをしなかったこと。『 待つ 』ということができなかった。話をきちんと聞いてあげる。ということもできなかった。
自己弁護するならば、子育てで違うと思うことはそれなりにあったけれど、自分の意見が通るような家ではなかったし、言いきるだけの根拠をワタシが持っていなかった。何よりワタシは、日常生活と病気の中で疲れきっていた。
今の状況を子育ての失敗と呼んでいいのかわからないけれど、( だって失敗して気付くことって沢山あるでしょう?失敗したと思ったらやり直せばいいわけだしね。)
とりあえず、 親がだらしない。親の生きる姿勢が子どもに投影されている。甘やかしすぎ。 等々、意見をいただきまして・・。
子どもに自分の足で歩かせること。転んでも、自分で起き上がり、立ちあがっていくこと。を目標にがんばりますわ。
このことは占いなんぞを知らなくても、昔の親だったら普通にやっていた教育だよね。
子育てをもう一度やり直す。心を鬼にして。ここは正念場。自分がやったものしか、自分に返ってこないんだ。
だけどね、結局のところ、自分がしっかり生きて、自分の生きる後ろ姿を子ども達に示さなくちゃあいけないんだと思う。
>S先生は苦手だけれど、やさしいN先生が好きだけど、こういう苦言を呈してくださる先生が、実はとっても大事なのだと思った。