金さんちに飛んでみたら・・・子育てのお話・・・
で思いだした。 ジャパンのこと・・・。
>阿波の国にとうちゃんの転勤で、家族全員で移動した時のこと・・・。
ジャパンは小学校の5年生だった。ある日女の子全員から総スカンをくらった。
ジャパンは泣いて帰ってきた。
理由はちょっと忘れてしまったけれど(とるに足らないことだったような?)
都会で馬車馬みたいに動いていたジャパンの(当時、中学受験をするべく塾通いをしていた)その生活の歯車の回転数と まったりの地方生活をしている方々との回転数の違いなんじゃあないだろうか?と思った記憶がある。
都合2回くらい泣いて帰ってきたけれど 「学校へ行きたくない」とは言わなかったな~。
都会で塾に通っていたくらいだから勉強はできた。400人くらいの生徒数の少なくとも 1割には入っていたような・・・?
ところが 地元にもどってからが仰天の成績だった。あちらじゃあ 殆どが5だったものが,2と3と4(ちらほら) のみ。
そんなに学力差があるのだろうか?と疑問に思ったけれど、ほどなく疑問は解決した。当時の公立の学校の場合 内申点というのが大きくかかわっていたんだ。
手を挙げて 答えて1点。先生の質問に正解した人に1点。ノートを提出して1点。小テストの数々。提出物。・・・・。定期試験等の総合計点。これは成績に関してのみのお話。
ジャパンは、途中参加(転勤もどる)の学校だったから内申点がまったくなかったわけだ。
当時 ジャパンは
「おかあさん 手を挙げているのに当ててもらえない。」とか
「家庭科の時 私のミシンが動かなかった。」・・・とか もう いちいちうるさかった。
担任の先生が悪いわけじゃあないけれどね。だって何かしら差をつけなくちゃあいけないわけじゃないですか。
先「おかあさん方 子供達は0、005 ポイント差で並びます。」なんていうことを言われた。
「エ~~~っ???」何 それ?。
5段階評価の5~1 までの人数っていうのはきっちり決まっていて
つまり ある人には4がついたら、ぎりぎりのところの次の人には0,005ポイント差でもって3がつく。ということになるんですよ~。
だから~ 当然みたいに子供達は内申とりに明け暮れたわけです。(やれやれ、疲れる~。)
そんなある日 3人の仲間うちで成績の話になったらしい。で 4が3になった友達と3が4になったうちの子との間に軋轢みたいなものが生じた?んだか何だか?
判らないけれど、間に入ったお友達が二人の間を取り持つのに疲れたからと言って「別々に行きたい!」と言われた、らしい。
ジャパン 一人残される・・・。ま 別の友達できたけれどね。
そのお友達とは志望校までかぶって結局のところ内申点でうちの子が2点だか届かなかったんで「逃げよ 逃げよ」 てんで違う高校に変えた。むちゃくちゃ汚い学校だった。大正時代にワープしたみたいでかわいそうだった。
卒業式の日だっけかな?無事二人とも別々の高校をゲットして・・・よかったね。
そのお友達から おあやまりのお手紙が届いた。
そんな幕切れ・・・親がしゃしゃり出るなんちゅうことはなかったよな~。お友達の娘さんだったから 「どう?」「でも自分達のことだもんね。」って感じ。
7年後のマンマミーヤの時くらいからかな?へんてこりんな感じになってきたのは・・・中学受験って一種独特の雰囲気、親参加状態ですしね。
こんなこと書けば えんえん 喋っていなくちゃあいけないんで・・・そろそろお開きにしますわ。
言っちゃあなんだけど・・・学力と生きる力って そんなにもリンクしないって!
偏差値なんぞ 2400年前の占いの知恵の前には ぶっとびますって!
その占いを越えるものが 仏教 道教 仙人 世捨て人など そして キリスト教なんじゃあないでしょうかね?
いずれにせよ 今日一日 自分を生きることこそが大切なんじゃあないかな?って思うな!
で思いだした。 ジャパンのこと・・・。
>阿波の国にとうちゃんの転勤で、家族全員で移動した時のこと・・・。
ジャパンは小学校の5年生だった。ある日女の子全員から総スカンをくらった。
ジャパンは泣いて帰ってきた。
理由はちょっと忘れてしまったけれど(とるに足らないことだったような?)
都会で馬車馬みたいに動いていたジャパンの(当時、中学受験をするべく塾通いをしていた)その生活の歯車の回転数と まったりの地方生活をしている方々との回転数の違いなんじゃあないだろうか?と思った記憶がある。
都合2回くらい泣いて帰ってきたけれど 「学校へ行きたくない」とは言わなかったな~。
都会で塾に通っていたくらいだから勉強はできた。400人くらいの生徒数の少なくとも 1割には入っていたような・・・?
ところが 地元にもどってからが仰天の成績だった。あちらじゃあ 殆どが5だったものが,2と3と4(ちらほら) のみ。
そんなに学力差があるのだろうか?と疑問に思ったけれど、ほどなく疑問は解決した。当時の公立の学校の場合 内申点というのが大きくかかわっていたんだ。
手を挙げて 答えて1点。先生の質問に正解した人に1点。ノートを提出して1点。小テストの数々。提出物。・・・・。定期試験等の総合計点。これは成績に関してのみのお話。
ジャパンは、途中参加(転勤もどる)の学校だったから内申点がまったくなかったわけだ。
当時 ジャパンは
「おかあさん 手を挙げているのに当ててもらえない。」とか
「家庭科の時 私のミシンが動かなかった。」・・・とか もう いちいちうるさかった。
担任の先生が悪いわけじゃあないけれどね。だって何かしら差をつけなくちゃあいけないわけじゃないですか。
先「おかあさん方 子供達は0、005 ポイント差で並びます。」なんていうことを言われた。
「エ~~~っ???」何 それ?。
5段階評価の5~1 までの人数っていうのはきっちり決まっていて
つまり ある人には4がついたら、ぎりぎりのところの次の人には0,005ポイント差でもって3がつく。ということになるんですよ~。
だから~ 当然みたいに子供達は内申とりに明け暮れたわけです。(やれやれ、疲れる~。)
そんなある日 3人の仲間うちで成績の話になったらしい。で 4が3になった友達と3が4になったうちの子との間に軋轢みたいなものが生じた?んだか何だか?
判らないけれど、間に入ったお友達が二人の間を取り持つのに疲れたからと言って「別々に行きたい!」と言われた、らしい。
ジャパン 一人残される・・・。ま 別の友達できたけれどね。
そのお友達とは志望校までかぶって結局のところ内申点でうちの子が2点だか届かなかったんで「逃げよ 逃げよ」 てんで違う高校に変えた。むちゃくちゃ汚い学校だった。大正時代にワープしたみたいでかわいそうだった。
卒業式の日だっけかな?無事二人とも別々の高校をゲットして・・・よかったね。
そのお友達から おあやまりのお手紙が届いた。
そんな幕切れ・・・親がしゃしゃり出るなんちゅうことはなかったよな~。お友達の娘さんだったから 「どう?」「でも自分達のことだもんね。」って感じ。
7年後のマンマミーヤの時くらいからかな?へんてこりんな感じになってきたのは・・・中学受験って一種独特の雰囲気、親参加状態ですしね。
こんなこと書けば えんえん 喋っていなくちゃあいけないんで・・・そろそろお開きにしますわ。
言っちゃあなんだけど・・・学力と生きる力って そんなにもリンクしないって!
偏差値なんぞ 2400年前の占いの知恵の前には ぶっとびますって!
その占いを越えるものが 仏教 道教 仙人 世捨て人など そして キリスト教なんじゃあないでしょうかね?
いずれにせよ 今日一日 自分を生きることこそが大切なんじゃあないかな?って思うな!
........学力と生きる力はリンクしない。
私は偏差値というものの無い時代に育ちましたので、最近の教育現場の話しには全く連いて行けません。
自慢じゃないけど、高校に入るまで“試験勉強”ってものをしたことがありませんでしたから....。(それでも何とかなった。)
私なんて、通知表の点数。頑張ったなと思えば、クラス全員に5をあげても良いじゃないのと、思っちゃうものねえ。
よくはわかりませんが 私は偏差値のはしりの頃かな?育ったの?
>全員に5・・・小学校で働いていた時は やっぱそういうわけにはいかなかったな~
今考えると 顔から火がでるほど恥ずかしい成績のつけかたしたと思う。
あ~~あ~ ホント恥ずかしい限りだな~~。だけど後悔してもはじまらないんで・・・。
しゃあない 取り返すべく なんかかんか頑張らなくちゃ。でも
答えみつけるのって 大変だなあ~。いっこじゃあないと思うんで・・・。
だけど、今だったらいえるな~自分の花、さかせることが大切なんだよって!