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お百度詣り  ( その8 )

2009-08-06 08:08:06 | ある被爆者の 記憶
 その翌日からのお百度詣りは、続けられたのかどうか、私は憶えていない。多分私たち兄弟は行かなかったと思う。また母も行かせなかっただろう。ただ、母は、私たちが眠った後で、恐らく、私たちを連れていったときよりも熱心に、あの石畳の参道を行ったり来たりしたにちがいない。それも、てるほ、みずほのために、早く父を釈放せしめ給えと、祈誓したのだと思う。私の気狂いじみた行為の故に、そう言うのではない。私たち兄弟を連れて出かけた最初の意図からして、大事なこの二人の子のために、父は帰えさせねばならぬ。神よ、この幼な子二人が、お目に止まらぬのか。母は、神に、そうかけ合ったにちがいない。
 母とは、そういう人であった。

 春日社へのお百度詣りも、直ちに父の釈放とは結びつかなかった。
 父が、帰宅を許されたのは、私が中学生になってからであった。
 二月はじめに拘留されて、四月半ばまで、実に二か月有余日間、検事局送りにもならず、全くの未決のまま、留置所にただ留置されっ放しであった。
 母は、祖父の警察官時代の部下であった曾ての老刑事やら、あらゆるコネを利用して、父釈放の運動を積極的に試みた。でも、効果はなかった。
 効果はなかったはずである。拘留されはしたものの、釈放の前日まで、ただの一度の訊問すらなかったという。折も折、国家総動員法が公布され、反時局行為者の摘発が相次ぎ、御時勢と関係のない父の事件など、まるで無視されて、顧みる暇もなかったというのである。
 これではお百度詣りも、時局という国家非常時体制には、全く通用しなかったらしいのである。
 そんな我が家の非常事態の中で、私は中学に進学していた。
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