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お百度詣り  ( その2 )

2009-08-06 08:14:45 | ある被爆者の 記憶
私と弟とは、黙々と、ただ、母のする通り、母の背後に従って、石畳の参道を行ったり来たりした。母は何か口の中で、祈りごとを唱えているらしかったが、われゝ兄弟は何も言わなかった。何を言ってよいか分からなかったのである。お宮に備えつけのおみくじ百本を、三人で分けて持って、桜門から、拝殿までの参道一往復毎に一本を、神前に神妙に献ずることを繰り返した。
 二、三日経って慣れてくると、私たち兄弟は駈け出して、少しでも早く、自分の手に持ったおみくじの数を減らそうと競争したりした。本当は、お百度詣りは三人それぞれの往復を合わせて百回になればよいというものではないはずである。けれども、母は、それを抗って、とがめようとはしなかった。でも幼い者たちにも、母のさびしい笑いの中に、このいたずらが過ぎてはまずいことが、充分直観できた。だから、決して、兄弟が手に分けて持ったおみくじを、神前で、弟が先に置いたら、私はもう置かなかったし、私が先の場合は、弟も置こうとはしなかった。ただ、先着を争うわずかばかりのゲームを加えたまでのことであった。でもせめて、そうでもしない限り、昼間は、神殿の背後は、春日山と呼ばれて、子どもたちの遊び場でもある岩肌が、お百度詣りのこの時間ばかりは、耳なりがするほどに静まり返って、母子三人の足音だけを不気味に反響させるのが、薄気味わるかった。
 お百度詣りは、丑の刻詣りではない。それだのに、人目を避けての行為であることが、なおさらに、私たちをびくつかせていた。
 神様、どうか、父を助けて下さい。
 こう祈る行為が、どうして怖いのだろう。そう改めて考えてみる勇気もないほどに、私たちはおびえていた。
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