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阪神淡路大震災から 15年

2010-01-17 18:41:24 |  メモリー 
阪神淡路大震災から15年経った。
昨晩、TVで、当時、地元神戸の神戸新聞に携わったいろいろな方々のドキュメンタリータッチのドラマを観た。

災害時、ライフラインの途絶えた地域で、生きるための情報を人々に伝えるという使命、そのことのためにまさに”いのちがけ”で闘った新聞社の記者達の姿に感動した。まさかの時にこそ、ひとの、本当の、生きる姿勢というのは試されるのだろう。

今まさに”いのち”が消えていく瞬間を目の当たりにするということは一体どういうことなのか?ちょっと前に「 行ってきま~す。」と元気に出かけて行った ”ひと”がいなくなるということはどういうことなのか?

歴史の一コマをカメラに収めることの難しさ、特に、いま まさに死にゆくひとを写すといった仕事は、より高次元の精神を持っていなくては到底できないことだと思う。
 ものかげに隠れてシャッターを押す。
 泣きながら シャッターを押す。
 車のライトをたよりに むくろを写す。

戦争体験者にせよ、地震の被災者にせよ、実際にその出来事に遭遇したひとにしか、そのことを”わかる”ことなど到底できない。安全な対岸にいて、その火事を何のかんのと批判することなどできないことだ。
 あるものは なぜ 生き、 
  あるものは なぜ 逝く。 

その生死をわかつものが 一体なんであるのか?ということが いつもワタシの疑問なのだ。
 < 声は するのか?> 
災害時に誰を優先的に助けるのか?もちろん、それは今生きている人だ。
何かは切り捨て、何かを拾う。それはどんな場面においてもその通りなんだろう。建物は捨てて、人命をとる。もっと厳しいことを言えば、足を切り落として いのちをとる。

人の命も、すでに亡くなっていると想像できる場合は、そちらは後回しにして、今生きているであろう人を助けることをする。
但し、人情では、わが父を、我が子を、先に! と思わない人はいないだろう。
< ヒバクシャ >
ワタシの恩師がヒバクシャであることは、ご存知の通り。 著書 「 忘れ水物語 」の中にこういう場面がある。
テントに移されると、甲斐々々しく働く看護婦ではあったが、もうこなしきれない被爆者の数に麻痺したせいであろう、被爆者は、とりつく島もないような無口に、固い無表情さの前に、焼け焦げた体をさらした。すると、看護婦の手の先の刷毛が、食用油を含ませて、被爆者の傷口の上を、ざあっと一撫でして、次へ移る。その間、看護婦は、目をそむけることもなければ、患者の容態を気遣う様子も示さなかった。被爆者は患者ではなかった。すでに物体というより、襤褸布であり、看護婦は、この襤褸布に油を染み込ませる工夫しかしなかった。
 この単純作業が一しきり終ったところで、この空気に耐えられなくなった私は、一言その看護婦に口を利いた。
 「あのー、油がすぐ乾いてしまったんだけど、もう一度塗ってくれませんか。」
 言った途端、その看護婦は、くるりと首をすげかえるように、ふりかえりざま、私を見据えた。ろくに、私の傷も見ないで、
 「いくら塗っても、無駄でしょう。」
と、平然と答えた。
どうしたら、ああいうふうに、気持ちと声が切り離せて物が言えるようになるのだろう。それに引き換え、何と哀願じみたことを私は言ってしまったものかと後悔した。
 あれほど、絶対に痛いとは言うまいと心に誓ってきたのに、この看護婦は私を未練臆病者とみたのではないかと思うと、私はたまらなく口惜しかった。高熱のせいもあろう。急に頭ががんがん鳴った。私は、金時の火事場見舞いのように真赤で、しかも火傷に爛れた無念の形相で、その看護婦を睨み据えたにちがいない。
 「看護婦さん!」
さすがに、看護婦は黙って、真直ぐに私の傍に来た。
 「あなたは、いま、幾ら塗っても無駄でしょうと言った。では質問だが、いくら塗ってもということは、二度以上は効果がないということか。一度は効果があるのか。それとも一度も効果はないということか。」
 看護婦は、私の声の響きに驚いたか、真剣に聞いていた。「私は、軍医の指示に従っているのです。」
今度は、いわゆる性根を入れて答えた。
 「よし、それでは、二度以上は患者に塗ってはならないことになっているのか!」
言いながら、そんな権威主義に私は負けるものかと思った。
看護婦は答えられなかった。
私は畳み込むように、
「いくら塗っても無駄でしょうというのは、やはりあなたの判断ではないか。その判断の根拠を聞かしてほしいのだ。」
私はまだこの言葉のあとの用意さえあった。ここでも、看護婦は、口ごもってしまうと思っていた。口ごもれば、私は、
 「いま、生死の境にいる人間を、あなたは扱っている。あなたとの言葉のやりとりを最後に、この世と別れる者たちかもしれないではないか。私は決して、あなたに優しくしてくれとは言わない。(いや、本心はそうなのかもしれないのだけれども、まさかそこまで言う必要はない。なぜなら、この看護婦をとっちめることが目的なのだから)しかし、あなたによって、死に赴く者たちの、この世の最後の印象が作られていることを、あなたが人間である限り、考えるべきではなかったのか。」弁舌さわやかとまでいかなくとも、せめて人と人との生別、死別の時の作法だけは、看護婦である以上、知らしめる必要がある。私は本気でそう考えていた。
 ところが、実際は、私の方が二の句が継げなくなってしまった。
 私の質問に、その看護婦は、いとも簡単に、しかもあざやかに、間髪を容れずに回答したからであった。
 「私の判断ですから、まちがっているかもしれませんけど、多分、あなたの両足は、第二関節から  以下、切断しなければならなくなるでしょう。」
  私は、何とか動じないふりをして、言葉を探した。
 「よく分かりました。それならば、私の脚に塗って頂く分の油は、無駄ではない他の患者に回して上げて下さい。」
 まるで、中学生の英訳のような言葉が私の口から出ていた。
 私は完全に敗北者であった。どうして言わなくてもよいことまで言うのだろう。
 死に際を美しくするなど、生易しいことではなかった。


被爆当時、恩師は18歳だった。このように流暢な言葉で会話をしたかどうかは定かではないけれど、これに近しい言葉はおっしゃったに違いないと思う。
結局のところ、両足は切り落とすことにはならず、師は剣道六段の腕前であったし、警察大学で剣道の指導もした、と聞いている。

 時代は急速に移り変わっていく。ワタシは、すでにこの時の師の年齢の三倍も生きている。自分なりのちょっとだけ地獄は経験したけれど、自分の生き様のお粗末さにわれながら呆れかえる。これでは、わけわからん若者を批判することはできないなと思う。

それでも、今、いのちを戴いているのであるから、やっぱり 今日の一日を感謝をもって生きたいものだと思った。

>写真は、3年前に出かけた、NISHINOMIYA。大学時代ワタシが住んでいた下宿の近くにある記念碑。
切り立った崖の所にあった男子学生用の下宿屋は跡形もなく、更地のままだった。
                        合掌
http://gigazine.net/index.php?/news/comments/20090117_great_hanshin_awaji_earthquake/

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延々 ブログにお付き合いくださって どうも ありがとう!
今週も、お仕事がんばるわ!






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