最終章だけど、、、

日記や趣味を書く

錦秋

2020-11-13 05:09:04 | 日記


ネットの「錦秋とは」の画像を載せました。
実は、わが陋屋にこんなものが鎮座まします。

あまり趣味がいいとはいえませんが、この季節くらいは、見せびらかします。
といっても、だれかに、ではなく、ネットの上にただおいてみるだけ。どなたかにお見せするつもりはありません。
厚みが相当ある(20センチくらいでしょうか)ケヤキの木を磨いたり、裏には、絵まで入れて衝立、パーテーションまたは、玄関先に、
権力の象徴のように飾られる種類のもの のように私には思われます。
裏側は

陋屋では、殆ど使うことがない奥座敷は、変則的な部屋で、2畳くらいの部分だけ天井が低くその素材も異なっています。残りの8畳くらいが書院づくりの普通の8畳くらいの和室、天井は高いです。畳と同じ高さ、つまりフラットに、床板がある小さな床の間が奥にあります。

2畳部分のところに仏間があって、そこにパーテーションとしてケヤキの「錦秋」を立てています。和室部分には、段通の絨毯を敷いていて、北東ながら、あまり太陽が入ってこない(畳廊下が中庭との間にあるので、直接陽を浴びることがありません)ところ、何とか暖をとることができます。もちろん、すでに、ガスファンヒーターをセットして寒さ対策は万全ですが、そもそも、この部屋は、仏事以外にはあんまり使わないのです。

「時は移る、人は変わる」この言葉を自分の中で何百回も言い聞かせ、やがて行く秋の今、自分の心の中を整理するのに没頭します。
お茶事では、茶壷に新茶を詰めて、それをめでる所作を取り入れる、口切の茶事、の今月です。
お茶の世界では、今月こそが一年のはじまり。初釜こそ、新年になってから行われますが、本来は、お茶はじめは11月です。


数え年6歳で入門した茶道、つかず離れずでここまできましたが、コロナ禍を言い訳に全くお稽古に行かなくなって、一年です。
もう、脱会しようか、とふと、思いついて、確信にかわっています。
自分の小さな茶室もどきの小間で、毎日一服お茶を点てて、それを味わうのでいいのではないか、

小さいながら、水屋もあります。
名残の萩と矢筈薄、あとは、落花こそしましたが、お茶の木を一枝と、、、

枯れつつあるホトトギスの葉っぱが味わい深くて生けています。

お茶の世界では、霜月こそ、正月。
押絵のお正月飾りを出してみました。


ちっちゃなお鏡飾りです。
同じく押絵の羽子板と比べてみましょう。


ああもう冬・・・
次に掛ける掛け軸などに思いを巡らしていると、

百年前に描かれた干し柿の絵です。それが出てきました。
この絵を見ていると、そぞろ心が動きます。
時は移る、人は変わる って誰もそうなのでしょうか。
少なくとも私はそうじゃない。。。けれど、お茶ももう、破門されたら、楽になれる、と横着なことを考えている。

そうそう、

先般大騒ぎしたエスプレッソコーヒーのカプセルです。こうして容器につめていると、いくつか、形がつぶれているのがありました。今更返品とかも思いませんが、自分の不注意を思い知ります。

人は変わらないといけないところが、変われないでそのままで、もっと脱皮、改心したほうがいいところが変われない。。。

こうして一日が始まり、いたずれに時を過ごして一日の終わりを迎える。心が閉塞しているのを頑張って扉をあけるべきなのでしょうか。

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