最終章だけど、、、

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富貴草やら吉祥草やら足元の草に見入る

2020-11-21 13:41:41 | 日記
この拙ブログを見ていたら、今日は、富貴草の記事が複数の方に読まれていたのに気づきました。なんと、一年半くらい前の記事です。
昨年夏の富貴草が今はどうなっているか、いくら思い出そうにもイメージがわいてこなくて、とりあえず、庭におりたちました。

元気に繁茂しています。青緑の若い花々をたくさんつけていましt。今朝は、お寺さまの月忌参りの日ですが、お花屋さんに行かずに、富貴草を一枝、あとはツワブキと吉祥草を摘んでお仏壇の中の金色の花瓶に入れました。
吉祥草は、葉っぱ蘭の葉とほぼ同じで、長く真みどりできっちり判別できます。

つくばいに左側から迫っていますね。花は見えるでしょうか。
ここにも吉祥草が

ちょっと近づいてみますと、石の淵では、それに寄りかかってか、しっかり直立して咲いています。


吉祥草は、35年前、ご縁があって、見ず知らずだった高校生を放課後から終列車の時刻23時まで2年10か月預かったことがあり、彼のおかあさまから、「いいことがあると花がつきますから、我慢してずっと植えておいてください」と一束根っこをつけていただいたものです。
郡部のチョー優等生がひとり、進学校に入学してきて、勉強の仕方に悩んだ末、家庭内では心配する母や祖母に暴力をふるう、学校では優等生の顔、でよほど煮詰まっていたのでしょうか。拙宅に放課後よって数時間、予習を中心に2歳の息子と遊んでくれたりして過ごしたのがだんだん気持ちをほぐらせることになったのか、学校生活も無理なくなってきて、でも卒業まで下校後はわが家で過ごし、勉強して自宅に帰ることを続けました。英語は毎日みていたので、学校でもトップクラスに常駐、国立大学にも合格してくれました。その後は地方の電力会社に奉職して、今でも時折顔を見せてくれます。奥さん同行のときも。
吉祥草は、10年以上たって、息子が同じ高校に入った年に咲きました。
地下茎で増えますので、葉っぱは見事に増えましたが、花は小さくて、ひっそり声もなくいつの間にか咲いては、枯れていくをずっと少しずつ繰り返しています。
自宅に植えたのを陋屋にも株分けしました。
今日とりました写真は陋屋のものです。


上の写真は、自宅玄関前の 定家かずらですが、これも陋屋に少しふやしてみようか、と邪念が生じては、家人に止められます。それでなくても陋屋は以前に比べるとどんどん、わけもわからぬ草木がふえてきていて、見苦しい、と。

それら雑多なものがこの季節、こんなに層をなして落ち葉と化し、後ろの紅石が、まるで焼き芋のように見えてきさえします。左側のまっすぐな木は、かりんです。上の方にはっぱをつけ、今は落ちているんだっけ。。。

モチノキの幹にこんな穴があって、先日まで別の植物が花をつけて居座っていました。
そうそう、申し忘れましたが、私もすでに十数人、恐らくもっとたくさんの方に、吉祥草や、富貴草を株分けしてきました。
吉祥草は、必ず、あの言葉、「いいことがあったら咲きますから、ずっと咲いてね、咲いてね、と声をかけていいことを待っていてね。」を忘れずに申し伝えます。
35年前のあの時の彼のおかあさま、必死の思いで私にある朝会いにこられました。夢のお告げで(怪しさいっぱいです、笑)私のことを知り、早速出かけてまいりました,と仰って。多分、そのころしていた教育産業の名だけのコンサルタント?アドバイザー?から、私の名前を知って、その会社に私情報を聞かれたのだと思います。個人情報がめっぽう、重要な今日では考えられない平和な時代でした。
私は日々、赤ん坊から幼児へと転身するわが子に向き合い、高校生相手の会話も成立できたかどうか全く恥ずかしいばかりです。彼から、息子は、サッカーも、自転車乗りも、その前の三輪車も、教わった 私どもも彼には大恩があります。
いいことがあったら咲く、と彼のおかあさまは、ご自身にも言い聞かせての呪文だったのでしょう。それは、おやごころ という名の思いです。

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