せっかくのお誘いに感謝して、市立美術館に出向きました。こちらです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/20/8f/b77240badf952e0abd3f02d64b9d38ed.jpg)
今回は、「ほっこり展」と名付けられた特別展が目当てでした。
実は、招待状が家人の父(明治32年生まれ、平成12年逝去)宛に届いたのは会期も始まってだいぶ経ったある日のことでした。生きていれば110歳を越えている故人宛の封書が届く前に、ひっそりとポストの底にあったのは、郵便局からのはがきでした。受取人が現在陋屋に在住か否かを問う旨のはがきです。早速電話連絡し、代わりに受け取りに出向きますと伝えました。受取人が本人でないために、送付するのを受け取っていただきたい、とのことでした。
一日ほどして届いたその封書、父の懐かしい名前宛てでした。
今回の展覧会に、以前(父存命中)に美術館に寄贈されたものが出展されているのでご覧いただきたい、という趣旨の文書と入場券、パンフレットが同封されていました。
恐らく、日本画家だった大伯父(昭和26年没)の日本画のようです。当地の国宝寺院、瑞龍寺、いくつかの学校、市役所などに没後に寄付されたり、家人の母(父より先に逝去)の供養にと、この美術館に何点か父が寄贈したと聞いていました。
今陋屋に残っている何点かの掛け軸、屏風などもこの大伯父の残した作品です。
京都画壇の一人であった大伯父の絵といえば、花鳥風月路線です。今日の美術展で見たのはいつも見慣れている絵とは趣が違うなあ、と迷わず、帰路には陋屋に寄りました。
この時期にはこの絵、とほぼ決めていますので、ここに載せるのもはじめてではないでしょう。
後座敷にかかっていた掛け軸は、牡丹です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/74/cc/5186be9c12875bc3e65d35a26ef6a77b.jpg)
花を中心にアップしますと
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3e/49/e8a59b9ed9512f2e02a1b70a98abca3a.jpg)
前座敷は鴛鴦です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1c/43/2eb69e54eceb4854aeb80135b04abcd2.jpg)
今掛かっている絵は、どこか他所に展示するのにお貸しした記憶はありませんが、別の季節の数点や屏風は、県立美術館や福光美術館など貸し出したことがありました。石崎 光瑤画塾の塾頭だった大伯父は、石崎 光瑤とセットで作品の展示がなされたことが多いようです。丁寧な梱包をしていただき、お返しいただくときは展覧会の図録などいただきましたので、思い出になります。画家は例外なく貧乏なので、作品は人手に渡り、こうしてわずかしか地元には残っていないのは遺憾です。
小間(茶室に使っています)の小さい床の間には、やはり大伯父のかわせみの色紙がかかっていました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7b/b7/52518c7648763c86997a3cbd95fada0f.jpg)
が、季節がもう過ぎているので、今回はかえます。
母の作の押絵、もちろんテーマは
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/61/03/fd0dba13351f07bb9944d4db0cb96195.jpg)
あんまりかわいいので男の子をアップしてみます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0d/31/7e57df4fcf4dec602170cdfdb8886032.jpg)
押絵のふくらみがお分かりになりました?
なっとうさんが愛の対象の一つに挙げられた松の木も撮影しました。かなりの老木で、3,4年前に思い切って丈をつめてもらったのですが、巨木でカメラに収まりません。門の中ほどに見えるでしょうか。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2b/56/e4bb87360961bc2fbffe07f88145cdd4.jpg)
始まりの部分です(笑)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/67/46/6b8fc0c6b7e799d3edec55d054bc5ba4.jpg)
外からエイヤーとボタンを押しましたが、
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/31/3a/46d84db122d311b5fa26723e616089d6.jpg)
今年の松は元気がいいです。たくさんの新芽、新葉が出ています。通常秋になると百個以上の松ぼっくりが落ちて、クリスマスのオーナメントにほしい、と仰る方に拾ってもらいます(笑)
あまり、まとまりのない羅列に次ぐ羅列でしたが、少しは気持ちを外に向けたつもりの日曜日でした。小さなことでも自分が動いたことは大切です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/20/8f/b77240badf952e0abd3f02d64b9d38ed.jpg)
今回は、「ほっこり展」と名付けられた特別展が目当てでした。
実は、招待状が家人の父(明治32年生まれ、平成12年逝去)宛に届いたのは会期も始まってだいぶ経ったある日のことでした。生きていれば110歳を越えている故人宛の封書が届く前に、ひっそりとポストの底にあったのは、郵便局からのはがきでした。受取人が現在陋屋に在住か否かを問う旨のはがきです。早速電話連絡し、代わりに受け取りに出向きますと伝えました。受取人が本人でないために、送付するのを受け取っていただきたい、とのことでした。
一日ほどして届いたその封書、父の懐かしい名前宛てでした。
今回の展覧会に、以前(父存命中)に美術館に寄贈されたものが出展されているのでご覧いただきたい、という趣旨の文書と入場券、パンフレットが同封されていました。
恐らく、日本画家だった大伯父(昭和26年没)の日本画のようです。当地の国宝寺院、瑞龍寺、いくつかの学校、市役所などに没後に寄付されたり、家人の母(父より先に逝去)の供養にと、この美術館に何点か父が寄贈したと聞いていました。
今陋屋に残っている何点かの掛け軸、屏風などもこの大伯父の残した作品です。
京都画壇の一人であった大伯父の絵といえば、花鳥風月路線です。今日の美術展で見たのはいつも見慣れている絵とは趣が違うなあ、と迷わず、帰路には陋屋に寄りました。
この時期にはこの絵、とほぼ決めていますので、ここに載せるのもはじめてではないでしょう。
後座敷にかかっていた掛け軸は、牡丹です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/74/cc/5186be9c12875bc3e65d35a26ef6a77b.jpg)
花を中心にアップしますと
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3e/49/e8a59b9ed9512f2e02a1b70a98abca3a.jpg)
前座敷は鴛鴦です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1c/43/2eb69e54eceb4854aeb80135b04abcd2.jpg)
今掛かっている絵は、どこか他所に展示するのにお貸しした記憶はありませんが、別の季節の数点や屏風は、県立美術館や福光美術館など貸し出したことがありました。石崎 光瑤画塾の塾頭だった大伯父は、石崎 光瑤とセットで作品の展示がなされたことが多いようです。丁寧な梱包をしていただき、お返しいただくときは展覧会の図録などいただきましたので、思い出になります。画家は例外なく貧乏なので、作品は人手に渡り、こうしてわずかしか地元には残っていないのは遺憾です。
小間(茶室に使っています)の小さい床の間には、やはり大伯父のかわせみの色紙がかかっていました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7b/b7/52518c7648763c86997a3cbd95fada0f.jpg)
が、季節がもう過ぎているので、今回はかえます。
母の作の押絵、もちろんテーマは
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/61/03/fd0dba13351f07bb9944d4db0cb96195.jpg)
あんまりかわいいので男の子をアップしてみます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0d/31/7e57df4fcf4dec602170cdfdb8886032.jpg)
押絵のふくらみがお分かりになりました?
なっとうさんが愛の対象の一つに挙げられた松の木も撮影しました。かなりの老木で、3,4年前に思い切って丈をつめてもらったのですが、巨木でカメラに収まりません。門の中ほどに見えるでしょうか。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2b/56/e4bb87360961bc2fbffe07f88145cdd4.jpg)
始まりの部分です(笑)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/67/46/6b8fc0c6b7e799d3edec55d054bc5ba4.jpg)
外からエイヤーとボタンを押しましたが、
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/31/3a/46d84db122d311b5fa26723e616089d6.jpg)
今年の松は元気がいいです。たくさんの新芽、新葉が出ています。通常秋になると百個以上の松ぼっくりが落ちて、クリスマスのオーナメントにほしい、と仰る方に拾ってもらいます(笑)
あまり、まとまりのない羅列に次ぐ羅列でしたが、少しは気持ちを外に向けたつもりの日曜日でした。小さなことでも自分が動いたことは大切です。
招待状が来るとはスゴイ!!
昨今、美術館、博物館は事前予約制で。どうもそう言うのが苦手なので、足が遠のいております。
そして、近くの動物園も、予約制なのに、入場者が行列を作ってたりで、ホントに制限してるのか??
の場所もあり、制限がちゃんと機能してるのかも、
なんかアヤシイ今日この頃。
そんな中、お母様の押し絵、ほっこりしますね。
招待状が来るとはスゴイ!!
昨今、美術館、博物館は事前予約制で。どうもそう言うのが苦手なので、足が遠のいております。
そして、近くの動物園も、予約制なのに、入場者が行列を作ってたりで、ホントに制限してるのか??
の場所もあり、制限がちゃんと機能してるのかも、
なんかアヤシイ今日この頃。
そんな中、お母様の押し絵、ほっこりしますね。
描かれた世界の対象がユーモラス、ってとこでしょうか。
動物を描いたのには、ほっこり、に近いのがあるでしょ。江戸時代のがもっと目をひきます。
まあこんなご時世だから、少しでも気持ちを和らげてほしいとの意図とも思いました。
まもなくこの企画展も終わる頃なので、日曜日といっても混雑とは程遠く、入場制限の要もなし。ただ、こぎれいなカフェは当然ながら目下無期限の閉店ですし、何か殺伐とした空気感が否めませんでした。
外に出てハナミズキの並木道を歩き始めたらやっとほっこりしました。
そんな点、こどもの世界はほっこり満載。母の(義母のなのですが、まあどっちでもいいとして)ライフワークだった押絵のこの子も横顔ですが、無心で無垢そのもの。
押絵の世界では、目鼻をかくのが一番難しいそうです。母はその名人の一人だったと漏れ聞いています。自慢の人でした。
まもなく27回忌の命日を迎えます。あざみのうたとか庭の千草などを一緒に歌ったものでした。今から思うとそんな時間こそ、ほっこりに没頭していましたね。今はもう望めない。。。
気晴らしになった事と思います。
ぽこさんのご親戚には芸術家がたくさんおられることは分っていましたが、この大伯父様は著名な方だったのですね。
花鳥風月、このお家にはお似合いだし、気持ちが落ち着きますね。(美人画でなくて良かったです)
押絵のふくらみ分かりますよ。いつになくよく撮れています(笑)。
子供の可愛さが本当によく出ています。5月だけでなく1年中みていたいような。
松の木ってびっくりするくらい大きくなりますね。
うちの前の公園は殆どが松の木なんですが、2、3年前までは5階建てのマンションより高くて、台風がくると松の小さな枝がいっぱい飛んできていたのですが、最近やっと半分くらいの高さに切ってくれてスッキリしました。
いつも、時に叶って、適切なご意見を伺えて私は本当に恵まれているなあ、と感謝です
昨夜は、疲れに誘われ、早めに寝入ることができました。その分今朝は、無駄に早朝覚醒して、あれこれ考えてしまいました。
このコメントのタイトルがそうなんです。
押絵を残してくれた夫の実母は、優しい静かな人柄だけでなく、聡明な人でもありました。
彼女は、70代の終わりごろ急逝するまで、生家(陋屋です)の人でした。が、女学校を卒業するまでは、お嫁に行くものとして育てられております。
その時代の悲しい実態は、結核による災いを避けることができなかったことです。女学校を卒業するや否や、惣領息子である兄の病臥の時がやってきました。京都の美専に学んでいたその人が帰郷するのと同時に母は京都の母の伯父宅(画家)へ送られ、嵯峨御流の修行に大覚寺に通う日々となり・・・
お免状をいただいて(県下で初めての取得だったそうです)修行の日々を終える頃、兄は帰らぬ人に。弟にあたる人もいたのですが、同じように叔母の嫁ぎ先にこどもができないために、そこの家を継ぐことに幼少時から決まっていました。で、母は急遽、結婚相手が嫁ぐから婿養子を迎えることに進路変更。もちろん、本人の意思は無関係の結婚式が初めて相手を見た日、の結婚だったようです。
謹厳実直が取り柄のお婿さんは、旧制中学や女学校の先生をしていて、田舎育ちで、ちょっとお洒落な育ちをしていた母には怖い存在だったとか。
父は、真面目に勤め上げ、校長先生で終わり、晩年は書道の先生をずっとしていました。
母にはもうひとり、京都に嫁ぐことになる妹がいまして、何かにつけ相談事はその妹と、父の存在は影が薄かった・・・少なくともたまに父と話す私にはそう思えました。
芸術に長けていたのは、母方です。父は書道はしていたものの、絵心には疎かった?無関心だったのでは。
押絵のきものや帯はすべて裂、古いものを母はためていました。縮緬とか友禅とか美しい裂が箱いっぱいにありました。
そして、一代前に(母の)叔母の嫁ぎ先に叔母を母として継ぐことになった叔父の家ですが、そこにもまたこどもがいなくて、私の夫が(ほぼ名前だけ)息子として継ぐことになります。といっても育ったのは、あの陋屋で、成人してから決めたようです。私は夫の養父母、実父母、そして私自身の父母と6人の親を見送ってきました。
驚くべきなのは、夫からみて三代前も子宝に恵まれず、養子を迎えたら、その後実子がやっと誕生、本家は、実子が継いだらしいですが、もともとの養子も家を構えさせ、ずっと準本家として共通の墓地の中に奉られています。
その前の代も実子がいずに、嫡子を迎えました。
江戸時代から十数代めの夫生家ですが、この陋屋は、夫が兄姉から買い取る形で、結局、叔父にあたる家の系列になりました。浄土真宗は同じでも、お寺が違い、叔父側は東本願寺派、那須塩原に位牌、仏壇を移動してご先祖を守っている夫の実兄のほうは西本願寺です。
ただ墓地だけは同じ名刹にとなりあってありますので、私たちもそこへ行けばどちらにもお参りできます。実両親の法事は、那須塩原まで出向いて参加してきました。
長くなりましたが、こどもが授からないことで、説明できないような複雑な関係がずっと残っています。
私どもには一人息子がおりますが、その息子には今のところこどもいず、といっても本人たちが幸せなら、ながらく続いた(夫にとっては)叔父の家系…その叔父自身が陋屋出身ですから、ね が絶えることになってもあんまり気にならないようです。私も同様です。嫁してきた家ですし、あまりにもその背中に家だ、お墓だ、と重しをのせるのは酷だとも思うからです。
宇宙で日本人が出会えるようなこの時、家だ、先祖だ、というのもナンセンスというもの。
地球人として同胞意識もいいのではないでしょうか。せめて日本人くらいのしばりはあったとしても。。。
寒い朝は、日中の好天を約束しているらしいです。
暖房をつけて、これを書き、終わったら、洗濯を干しに出ます。ドラム式で冬の間は全くすべて自動でしたが、今はおひさまの下で干したいです。
私の父母の家系も結核による早世の人が多くて、両親の兄弟のお葬式に行く機会などあまりありませんでした。よくそんな折に昔遊んだいとこと再会、いとこ会にいたる、と聞きます。
残っているいとこはほぼ男性ですので、遊んだ記憶どころか、名前も知らない、そんな情けなさ。
実家があるにはあっても、空き家になっていてその変わりようが悲しくて見ることもありません。
子だくさんが一家繁栄の源、をこの年で実感しますが、それでもうまくいかない話も聞きます。ひとり、背筋を伸ばして生き抜く、を今一度自分に言いきかせます。
ぽこ家には、
いろいろな美術品がありますね。
男の子もかわいいです。
かなり松は大きいですね。立派ですピヨ。
ひよこさん、おはようございます。
コメントをありがとうございます。
>おもしろい形の美術館ですね。。。
それなりに評価されているかも。造形的には。
円柱形の展示室がいくつも連続している、この地方特有の「雪吊り」をイメージしたスチールが張り巡らされている、等々。
http://www.e-tam.info/
>ぽこ家には、
いろいろな美術品がありますね。
それはちょっと違うかも。
土蔵があるので、昔のものを捨てずに置くスペースがあるだけです。
今回の美術展でも、大伯父の作品が巨大な掛け軸で、これでは掛ける壁面が一般住宅ではなさそう・・・で、父が寄贈したのではないかと、思ったのです。