先程も揺れました。
陋屋の石灯籠です。小ぶりに見えますが、2メートル近くはあります。
自宅のは、小ぶりで、しかも倒れた際に自宅の塀にもたれていたので、復元は私でも出来ました。
仰いだ空は青くて美しかった。真冬のそれとは思えません。
どうやら、この週末から寒波到来し、積雪もあるらしい。
泣き面に蜂、とばかりにたくさん積もってほしくはありません。
1か月くらい前にようやく雪つりが終わって冬の庭になった。いつ降っても安心、と
冬を待つ姿勢になったあの日、まさか、年のはじめに、自然災害がいきなり勃発するとはだれ一人思ってもみなかったに違いありません。
実は、冬が終わるころに、自分で小さいけれど難易度が半端ない挑戦をするつもりで、年末までずっと準備に余念がありませんでした。
今、その気持ちが萎えて、いっこうに、準備を続ける気がしなくて困っています。
音楽するときには、今みたいに心が折れた状態は相応しくないようです。
次のレッスンで先生に相談、というより、辞退させていただくことにしましょう。
会場に近い川崎日航ホテルの予約を取り消すのはもう少しあとにして、、、未練があるのかなあ。
冬休みが終ると授業再開ですが、校長先生と県教委から電話をもらい、何か不都合のできた先生の代わりに、来週から学年末まで授業を増やしてほしいとの依頼でした。気持ちがどうしても落ちてしまうので、えいよっとばかりに忙しくするのもありか、と引き受けました。2月いっぱいのことですし。
忙しく動く方が何か吹っ切れるのでは、と思い込もうとしています。
疲労が増してもっと気持ちが落ちることもあり得ないともいえませんね。。。
身体を疲れさせてぐっすり眠りたい。
陋屋の石灯籠です。小ぶりに見えますが、2メートル近くはあります。
自宅のは、小ぶりで、しかも倒れた際に自宅の塀にもたれていたので、復元は私でも出来ました。
仰いだ空は青くて美しかった。真冬のそれとは思えません。
どうやら、この週末から寒波到来し、積雪もあるらしい。
泣き面に蜂、とばかりにたくさん積もってほしくはありません。
1か月くらい前にようやく雪つりが終わって冬の庭になった。いつ降っても安心、と
冬を待つ姿勢になったあの日、まさか、年のはじめに、自然災害がいきなり勃発するとはだれ一人思ってもみなかったに違いありません。
実は、冬が終わるころに、自分で小さいけれど難易度が半端ない挑戦をするつもりで、年末までずっと準備に余念がありませんでした。
今、その気持ちが萎えて、いっこうに、準備を続ける気がしなくて困っています。
音楽するときには、今みたいに心が折れた状態は相応しくないようです。
次のレッスンで先生に相談、というより、辞退させていただくことにしましょう。
会場に近い川崎日航ホテルの予約を取り消すのはもう少しあとにして、、、未練があるのかなあ。
冬休みが終ると授業再開ですが、校長先生と県教委から電話をもらい、何か不都合のできた先生の代わりに、来週から学年末まで授業を増やしてほしいとの依頼でした。気持ちがどうしても落ちてしまうので、えいよっとばかりに忙しくするのもありか、と引き受けました。2月いっぱいのことですし。
忙しく動く方が何か吹っ切れるのでは、と思い込もうとしています。
疲労が増してもっと気持ちが落ちることもあり得ないともいえませんね。。。
身体を疲れさせてぐっすり眠りたい。
ゴメンナサイ、私は富山の震災を軽く考えていたようです。
以前に数回あった石川県の地震の時に、親戚に電話をしたら、能登の方だからこちらは平気と言われて、富山も大丈夫と思っていました。
でも考えたら、能登とは海はあっても距離は近いですものね。
息子さんと楽しいお正月を過ごされたでしょう、って大馬鹿もよいところです。
新幹線も止まり、道路もガタガタになっていると言うのに。無神経でした。
東日本の地震の時も、福島の友人に何を送ったら良いなんて尋ねて、車は通れないから、といわれました。
あの時、無神経さを反省した筈なのに・・・・。
本当に今年ばかりは暖冬であって欲しいです。
例年は雪国は雪国らしく雪を見せて欲しいと思うのですが。
去年、ぽこさんは何かに挑戦されるようなことを仰っていましたが、それだったのですね。
無神経な私が言うのもなんですが、心を奮い立たせて予定どうりされたらどうでしょう。
そうでないと、後で後悔されるかも。
暖かい土地で余震もなく、平穏すぎる暮らしをしている自分に後ろめたさを感じ、説得力のかけらもないと分ってはいますが・・・・・・。
もし。近くにいたらただでは済まなかった。でしょうなぁ・・・
こんな石灯籠なぞ見ては、元気溌剌になろうはずもありません。
余震も多いようですし。ムリは禁物、命大事で行くのがよろしいかと思います。
そんなぁ、お気になさらないでください。
実は、同じ県内、市内でも情報不足のため、どれくらいの被害が生じたのか、わからずに6日間が過ぎたのが実感です。
今日、久しぶりに昔の職場の知り合いと電話で話しました。地震のその時に、彼女は、一人で気多神社
へ初もうでに行く途中で、ちょうど、雨晴駅辺りを通りかかった。すぐに停車して、自宅へ帰ることを考えずに(津波の不安から)避難先を求めて移動し始めた、との話から始まり、延々と私の知らないその日の他の場所の様子を聞くことができました。
今でも先のことがまだまだ不透明です。
日常生活は、そこここで、戻ってきているのに、私だけが不甲斐なく落ち着かないのかもしれません。
ご心配をおかけしています。もう大丈夫、と声高らかに言える日が近いことを願っています。