ぽかぽかと行きましょう

急がず、後れず。自分の歩幅でぽかぽか行くようなブログです。

三年来のお付き合い。

2012年10月28日 | 我輩も猫である。
引っ越しして来たその日から、彼女いや彼かな、その猫は我が家の様子を、伺いに来る。
近頃は、干場の横にあるバケツの水を飲みにくる。
毎朝、バケツの水を、きれいな水に入れ替えて、サービスにつとめている。
ノラではないらしく、食べ物は欲しがらない。
多分、はす向かいの家の飼い猫で、さんざん歩き回ったあと、帰って行く。
白黒の猫で、我が家の周りをパトロールして、アルソックの様に警備もしてくれる。
雨戸を閉めるとき、目があって話しかけると、じっと聞いている。
そうだ、この猫については、以前も写真付きで記事に、したこともあった。
まだ、名前を付けてない。もちろん、飼い主のところでは、名前で呼ばれていると思うが。
しかし、わざわざ、聞きに行くこともできない。
いつもの猫、で通している。
雌雄は不明だが、吾が輩で、どうだろう。
おい、吾が輩で返事するだろうか。



見守り隊の猫。

2012年03月07日 | 我輩も猫である。

ここに越して来た時から我が家の様子うかがいに来る猫。

時々は塀を超えてやって来る、見守り隊の猫。

庭から、塀の上から、セキュリティーは任せて安心か。

餌をやるわけでもないのでボランティアで、監視カメラの役をやってくれている。

近くのお家で飼われているらしく、点検が終わると帰って行く。

ネコのミタ。

口をきかないので目撃証言は、できニャア~でござるよ。

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我輩も猫である。 Ⅱ

2008年07月13日 | 我輩も猫である。

我輩は、三本足で前足が欠落して「招き猫」の格好は出来ない。

命の恩人の老婆について言うならば、三食の餌と雨風をしのぐ小屋とテントを提供してくれている。毎日のことだから有り難い。

お互い恩に着せるでもなく、恩に着るでもなく、他人行儀な関係ではないので婆のこと「オンジン」などと持って回った呼び方はやめようと思う。

婆は、晴雨関係なく、長靴を履いて表に出ている。

そこで我輩は、長靴を履いた婆、「長靴婆さん」と呼ぶことに決めた。

かって「長靴を履いた猫」の話を聞いたように覚えているが、その逆バージョンだ。

近頃若い子のファッションで、ブーツのような長靴のようなのが流行っているように聞くが、そんなおしゃれの話ではない、昔ながらの「ゴム長」だ。

「長靴婆さん」は、広い屋敷に二世帯住宅で住まっている。

ご主人の爺さんは、もっぱら家の中にいて、娘さんは外にお勤めし孫もいる。

どちらかと言うと、家の中にいるのが、うっとうしいらしくて 表に出て愛犬のマロンをひいたり、抱っこして、ふらふらとその辺を歩きまわっている。

手拭いを頭にかぶり、ゴム長を履いいるのが、標準スタイルである。

美容師の娘さんが、ときに「長靴婆さん」の髪を綺麗にセットしてくれると、別人のように変身するが、また手拭いの「姉さんかむり」で、元に戻っている。

本来シャイな性格らしく、人に話しかけられたり、声をかけるのが億劫で、人影を見ると すいっと自宅のほうに姿を隠すのが常であった。

ところが、我輩を救ってくれたあたりから、全くの人見知りの風が変わって、毎日のように前を通るそのあたりの爺さんには、口を利くようになった。

その爺さんは、大黒さまのように大きな荷物を背負って駅の方に行き来している。

「今日は、雨ふっかねー」とか、「今、何時だっぺ」とその爺さんに声をかけるようになった。

「長靴婆さん」は、たいてい表に出ているので、大黒爺さんは行きも帰りも出会うことになる。

そのたびに話しかけて、人見知りが無くなり社交性がでてきた。

大黒爺さんが、信号を渡るときは「気をつけて、言ってらっしゃい」と送っている。

最初のころのように、物陰に隠れる事も無く、まさに「長足の進歩」だ。

いや「長靴の進歩」か。

                                       つづく


我輩 も 猫である。

2008年07月06日 | 我輩も猫である。

我輩である。

我輩は足が三本しかない。

人間の読む自己啓発本によると、「三本しかない」と言うのはネガティブな言い方で、ポジティブに言うには「三本もある」と言うらしい。

どっちにしても、我輩は三本脚の猫である。

このあたりの猫は、もともとノラである。

梨畑など自由に歩き回り恋をして一家を成し、子猫も成長してノラで過ごす。

ノラだけでは、生きてゆけないので愛嬌を振りまいてスポンサーを見つけ半ノラ、半飼い猫のような人生?(猫生)を送る。

猫だって老後のこと考えてお抱えの方が安心だ。

しかし犬のように繋がれるのはいやだ。自由は失いたくない。

最近のニュースでは、郵便配達猫として二軒の飼い主に二股かけて行き来して、それぞれの家で別々の名前で呼ばれ首につけたメールで二軒を結ぶつわものも現れたと聞く。

で、我輩はと言うと。

良くぞ聞いてくれました、これからお話いたします。

我輩が子猫のころ、親から離れて冒険したくなり国道に少し足をかけたとたんに、車のタイヤに足をつぶされた。

ショックでその時の事は、何もおぼえていない。

親切な近くのお婆さんが、抱えて動物病院へ連れて行ってくれた。

緊急手術の結果、足一本失うだけで、無事に生きながらえた。

あれから、もう二年半にもなるかな。

その「オンジン」は、我輩のことを毎日 朝昼晩と欠かさず養ってくれている。

テレビ番組の所さんの「笑ってこらえて」に出て来そうな老婆の「オンジン」は、番組のスタッフに「今、何してるんですか~」と聞かれたら「猫に餌やりに行くとこだんべ」と返ってきそうな感じ。

我輩はその「オンジン」の名前は知らない。

老婆は、潰れかけた家作を二軒持っているが、誰も住んでないので、そこにも猫が二匹住まいにしている。

自宅には、ペットのマロンと言う犬もいるが、犬も猫可愛がりされている。

我輩は、そこから200メートルほど離れた梅林に手術後からノラを決め込んだ。

どうしても家に寄り付かない我輩のために、雨露が凌げるようにと毛布や、シートで難民テントを張ってくれた。そして毎日餌を欠かさず運んでくれている。梅林の持ち主も、もう何があっても、黙認して立ち退きを要求したりしないようで、助かっている。

今年になって、中型の犬小屋を運んできて耐震性と暴風雨にも強いので、特養ホームとなり、三食昼寝つきで、肥満が心配だ。

古い家作を壊す時期に来ているのだが、取り壊す費用と、我輩の手術費用と同じくらいだったと、あとから聞いて我輩は「オンジン」に足向けて寝られない。

猫とは言え、生き物の命はお金に代えられないということを、知っている近頃の人間には稀な存在だ。

何時の日か「猫の恩返し」を夢見て、梅雨空を見上げている。

(三本脚の猫のハナシはサミット終わっても、続きますよ。)