ぽかぽかと行きましょう

急がず、後れず。自分の歩幅でぽかぽか行くようなブログです。

グッドモーニング。

2014年06月02日 | 我輩も猫である。

半年ぶりに、我輩がやってきた。

朝、網戸越しに部屋の中のようすを、覗っている。

「我輩も元気だったが、みんなどうしてるかな」

この猛暑で、大丈夫かなと、見舞いに来たようだ。

寒い間は一度も姿を見せなかった、白黒の「我輩」。

大きな千両の樹と、塀の間の影で、涼みがてら、うつらうつらするのが、日課だった。

これからも、遠慮なくやっておいで。


リフレッシュ

2013年08月17日 | 我輩も猫である。

朝から、この家に出勤して、駐車場でリフレシュ。

日中の暑いときは、ここの庭の千両の茂みで夕方まで涼を取る。

水撒きが始まると、飼い主のN家に、引き上げ餌をもらう。

N家は、老犬と、良く吠える番犬のような犬に、猫3匹が、飼われている。

犬猫のシェアハウスだ。

彼らとは、あまり係わりたくないので、昼間はここが吾輩のセカンドハウスだ。

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吾輩は、ここが涼しいのだ。

2013年07月12日 | 我輩も猫である。

この家が良くて、毎日通ってきている。

梅雨明けから、この猛暑日続く間は、ここの庭の沈丁花と、千両の木陰が涼しい。

一日、ここで寝て過ごす。飼い主の家には、夜だけ戻る。

ワンコが、二頭もいてうるさいので、ここにいるのだ。

茶髪の小娘猫が、ついて回ってくるが、暑いので吾輩だけが、ぐったりと寝そべっている。

この家の主人が、相撲の中継が終わった時間に、ホースで庭に水を撒くので、吾輩はしぶしぶ出て、飼い主の家に帰って、餌にありつく。

塀の上に飛び乗ったり、ご近所のパトロールは、体力の消耗を考えて近頃は何もしない。

老猫の吾輩のことである、もしや、このまま、ここで死なれては困ると、この家の主人がそっと覗きに来る。

あとは、誰にも邪魔されないで、ここの楽園でじっとしている。格好の避暑地だ。


雪が降っても、見回り。

2013年01月17日 | 我輩も猫である。
我が輩は、雪が積もっている庭に入って、パトロールしている。
足跡を残して、歩くのでそれと分かってくれる。
茶虎の子猫に、パトロールの見習いをさせている。
爺さんが、何かブツブツ言っていると、報告があった。
何でも、飛行機のことらしい。
ボーイング787が、問題らしい。
戦争中、ボーイングのB29とか、B25によって、日本は爆撃され、大勢の人が空襲で、なくなった。
そんなこと忘れて、JALも全日空も、ボーイング社の飛行機を導入するから、イケネーンだ。
爺の言っていることは、そう言うことらしい。
茶虎の子猫は、大胆にも、濡れ縁にあがりこみ、取材してきた。
我が輩は、飛行機のことなど、上の空だ。


[それは、私です] ネコ党の 味方あらわる。

2012年11月28日 | 我輩も猫である。

吾輩も、真冬並みのこの寒さ、おまけに朝から、冷たい雨で、近所のパトロールは控えている。

ネコが風邪ひいたり、ネコインフルになると、飼い主のN家の奥さんに迷惑になるのだ。

普段は勝手な外出もお咎めは無いが、濡れて泥足で帰ったら、どうなるか吾輩も分かっている。

それよりも、あったかい炬燵で丸くなるのが、常道だ。

衆院選や、都知事選で、われらの「ネコの未来を考える党」も、「ネコを守る党」も、じっとしていられない。

吉天爺さんの、ブログに最近コメントをくれたネコ写真家を紹介しよう。

「あちこち猫めぐり」中山祥代さんのブログから、「そのカメラマンです」とコメントが入った。

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2011・1・24の写真(吉天)

やはり、猫写真のプロであった。

吾輩も、プロにとってもらうと、立派な猫に写るかニャー。


引きこもりは、一日で終わったようだ。

2012年10月31日 | 我輩も猫である。

午後から、少し雨が降って、吾輩の方は、ひきこもりで、ご近所のパトロールはお休みだ。

吉天爺さんは、家にじっとしてられなくて、沼の散歩に出かけた。

ネコ広場の、連中は、コブ白鳥達に、追い立てられて、四散していたらしい。

吾輩は、生まれてこのかた、野良はやったことがないので、彼らの苦労はよくわからない。

N家に飼われて、長いが昼間の外出は自由だ。   N家は、吾輩の他に、犬が二匹飼われている。彼らは、夕方の散歩以外は家の中にいる。  そんな訳で、吾輩は外に出る、しかし寒くなったり、雨が降れば、家の中で丸くなっている。 

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ひと雨来る前の、手賀沼。

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ネコを追い払って草をはむ、コブ白鳥。

大きく成長したコブ白鳥、十匹以上いる猫は、追いやられていない。


一日中、引きこもっているようだ。

2012年10月30日 | 我輩も猫である。
今日は、この家の主が、引きこもって出てこない。
吾が輩は、二三軒パトロールして、早めに温かい飼い主の家に戻った。
ここの、吉天爺さんは、二階に上がって、日本画の彩色に集中しているようだった。
ブロック塀に、飛び乗れば、人間の目線で、だいたいの様子はわかるのだ。
爺さんが、一歩も外に出てこないのは、珍しいからだ。
吾が輩は、いつも屋根に上がるような無理はしない。
自由に、行き来している、この家の外回りは、きれいに草を取り除いてあるので安心だ。
餌をもらうような収賄は、していないので、特別な恩義は感じない。
しかし、それとなく、気使いをしているので、引きこもって出てこないと、心配だった。
朝から、夕方まで、絵を描いて、外の空気を吸わないと、上手くいかないだろうにゃあ。


ネコの目。

2012年10月29日 | 我輩も猫である。

やはり自分は、ネコだと自覚しているらしい。

名前でなくても、ネコで通じるようだ。

水を飲みに来たので、家人が「ネコちゃん」と、声をかけると、反応したという。

明治の文豪の小説は、「吾輩は猫である、名前はまだない」で、始まった。

別に、ことさらな名前は必要ない。愛称をつけたければ、それはそれでいい。

しかし、ネコが自分の名前だと気がつくまで、少し時間がかかるのではないか。

ならば「吾輩猫である」。

猫の目と言うが、今の政府の政策は、ころころと「猫の目」のように変わる。

生物学的に言って、猫の目は、そんなにめまぐるしく変わるのか、実態は知らない。

場当たり的に、変えるので猫の目どころではない。

それも、問題が起きる都度、〇〇委員会などと、いくつもの委員会を作って審議はすれど、解決できないで、引き続き検討と言うことで、うやむやのうちに、消え去る。

自分が何の委員会で、何のために活動しているか、全く自覚のない議員が多いのではないか。

国会で、居眠りしている議員は、眠り猫ほどの価値もない。

今後も、吾輩のネコ目線で、人間社会を観察してみようと思う。