半年ぶりに、我輩がやってきた。
朝、網戸越しに部屋の中のようすを、覗っている。
「我輩も元気だったが、みんなどうしてるかな」
この猛暑で、大丈夫かなと、見舞いに来たようだ。
寒い間は一度も姿を見せなかった、白黒の「我輩」。
大きな千両の樹と、塀の間の影で、涼みがてら、うつらうつらするのが、日課だった。
これからも、遠慮なくやっておいで。
半年ぶりに、我輩がやってきた。
朝、網戸越しに部屋の中のようすを、覗っている。
「我輩も元気だったが、みんなどうしてるかな」
この猛暑で、大丈夫かなと、見舞いに来たようだ。
寒い間は一度も姿を見せなかった、白黒の「我輩」。
大きな千両の樹と、塀の間の影で、涼みがてら、うつらうつらするのが、日課だった。
これからも、遠慮なくやっておいで。
この家が良くて、毎日通ってきている。
梅雨明けから、この猛暑日続く間は、ここの庭の沈丁花と、千両の木陰が涼しい。
一日、ここで寝て過ごす。飼い主の家には、夜だけ戻る。
ワンコが、二頭もいてうるさいので、ここにいるのだ。
茶髪の小娘猫が、ついて回ってくるが、暑いので吾輩だけが、ぐったりと寝そべっている。
この家の主人が、相撲の中継が終わった時間に、ホースで庭に水を撒くので、吾輩はしぶしぶ出て、飼い主の家に帰って、餌にありつく。
塀の上に飛び乗ったり、ご近所のパトロールは、体力の消耗を考えて近頃は何もしない。
老猫の吾輩のことである、もしや、このまま、ここで死なれては困ると、この家の主人がそっと覗きに来る。
あとは、誰にも邪魔されないで、ここの楽園でじっとしている。格好の避暑地だ。
吾輩も、真冬並みのこの寒さ、おまけに朝から、冷たい雨で、近所のパトロールは控えている。
ネコが風邪ひいたり、ネコインフルになると、飼い主のN家の奥さんに迷惑になるのだ。
普段は勝手な外出もお咎めは無いが、濡れて泥足で帰ったら、どうなるか吾輩も分かっている。
それよりも、あったかい炬燵で丸くなるのが、常道だ。
衆院選や、都知事選で、われらの「ネコの未来を考える党」も、「ネコを守る党」も、じっとしていられない。
吉天爺さんの、ブログに最近コメントをくれたネコ写真家を紹介しよう。
「あちこち猫めぐり」中山祥代さんのブログから、「そのカメラマンです」とコメントが入った。
2011・1・24の写真(吉天)
やはり、猫写真のプロであった。
吾輩も、プロにとってもらうと、立派な猫に写るかニャー。
午後から、少し雨が降って、吾輩の方は、ひきこもりで、ご近所のパトロールはお休みだ。
吉天爺さんは、家にじっとしてられなくて、沼の散歩に出かけた。
ネコ広場の、連中は、コブ白鳥達に、追い立てられて、四散していたらしい。
吾輩は、生まれてこのかた、野良はやったことがないので、彼らの苦労はよくわからない。
N家に飼われて、長いが昼間の外出は自由だ。 N家は、吾輩の他に、犬が二匹飼われている。彼らは、夕方の散歩以外は家の中にいる。 そんな訳で、吾輩は外に出る、しかし寒くなったり、雨が降れば、家の中で丸くなっている。
ひと雨来る前の、手賀沼。
ネコを追い払って草をはむ、コブ白鳥。
大きく成長したコブ白鳥、十匹以上いる猫は、追いやられていない。
やはり自分は、ネコだと自覚しているらしい。
名前でなくても、ネコで通じるようだ。
水を飲みに来たので、家人が「ネコちゃん」と、声をかけると、反応したという。
明治の文豪の小説は、「吾輩は猫である、名前はまだない」で、始まった。
別に、ことさらな名前は必要ない。愛称をつけたければ、それはそれでいい。
しかし、ネコが自分の名前だと気がつくまで、少し時間がかかるのではないか。
ならば「吾輩も猫である」。
猫の目と言うが、今の政府の政策は、ころころと「猫の目」のように変わる。
生物学的に言って、猫の目は、そんなにめまぐるしく変わるのか、実態は知らない。
場当たり的に、変えるので猫の目どころではない。
それも、問題が起きる都度、〇〇委員会などと、いくつもの委員会を作って審議はすれど、解決できないで、引き続き検討と言うことで、うやむやのうちに、消え去る。
自分が何の委員会で、何のために活動しているか、全く自覚のない議員が多いのではないか。
国会で、居眠りしている議員は、眠り猫ほどの価値もない。
今後も、吾輩のネコ目線で、人間社会を観察してみようと思う。