問題があると、犠牲になるのはイメージキャラクターだ。
イメージキャラクターに、罪は無い。
NOVAの、ノバうさぎ。不二家のペコちゃん(復帰)。アイフルのチワワ。可愛くて親しみの持てるのが、企業のイメージを高めるので、どこでも最近は独自のキャラクターを設定する。
キャラは、キャラクターからでて、芸能人など、その人の売り物にする「独自性」みたいなことらしいが、総裁選で、福田さんと競った麻生さんも、キャラが立つとか言ってたような気がする。
タレントは、何かと目立つキャラでパフォーマンスを仕掛けるのは仕事だからいいとして、政治家までも、キャラ先行は如何なものか。
やはり、好感度の上がるイメージであり、キャラクターでありたい。もちろん実の伴うことが第一である。
逆に悪役的キャラクターも、強いことを表現するには、いいが度が過ぎると、あのボクサー一家のようになる。
強くて丈夫なものに、付けられるキャラクターに、「鬼」がある。
「鬼殺し」「鬼足袋」など銘柄があるが、身近に「鬼」とつくもの、付けたいものがあると思う。
今日の朝日新聞天声人語によれば、若者言葉で「鬼ダチ」というのは、悪友ではなく、仲のよい友達のことだそうだ。
鬼は、可愛いものらしい。鬼のように親しい友達を「鬼ダチ」と呼んでいる。そう言えば、「鬼嫁日記」もあった。
話はもどって、イメージキャラクターや、イメージ作戦は、企業の実体のともなったものでないと、可愛いキャラクターが泣いている。