ぽかぽかと行きましょう

急がず、後れず。自分の歩幅でぽかぽか行くようなブログです。

また、また、またカテゴリのこと。

2007年02月28日 | ブログ

漢字一文字や二文字に、深い意味を持たせて、「一字の母」や「二字の父」なるカテゴリで、投稿を始めましたが、客人も自分ももうひとつ食い足りない思いが残ります。

デパートなどの食品売り場や菓子売り場で、楊枝の先に饅頭の細かく切って出される「試食品」の様でございまして、なんとなく漢字一字では、ブログのていをなさぬかと存知、このたびフォローのサービスを、一行法師などのカテゴリで致そうかと心得ました。

漢字一字の裏には、自らのコメントで補いましたが、これも開いて見て なんだこれぽっちと期待に副いません。

例えば「花」なら、花について関連の記事で、別投稿しますので、温かく見守ってやってくださいまし。


花の教え

2007年02月25日 | 一行法師

花、

質問: 仏壇の花は、仏様に供えるのに、なぜ人間の方に向けて飾るのですか

吉天の答え: それは仏様が、人間の心を浄化する道具として所望されたもので、美しい花で人間の ともすれば荒みがちな心を静めるために有るのです。したがって、人間の方に向けて飾るのです。

花から仏の教えを、人間は読み取る事です。きれいな花も、時が経つと枯れてしまいます。命とか、無常とか花を通じて学ぶ為に、人間の方に向けて飾るのです。

ここに、上田敏全訳詩集(岩波文庫)があります。

その海潮音の中から、「花の教」   クリスティナ・ロセッティの詩を引用。

        花の教        上田敏訳詩

心をとめて窺えば花自(おのづか)ら教あり。

朝露の野薔薇のいへる、

「艶なりや、われらの姿、

刺(とげ)に生(お)ふる色香とも知れ。」

麦生のひまに芥子のいふ、

「せめては紅きはしも見よ、

そばめられたる身なれども、

験ある露の薬水を

盛りささげたる盃ぞ。」

この時、百合は追風に、

「見よ、人、われは言葉なく

法を説くなり。」

みづからなせる葉陰より、

声もかすかに菫草(すみれぐさ)、

「人はあだなる香をきけど、

われらの示す教暁(おしえさと)らじ。」

                     クリスティナ・ロセッティ

言葉なく、法を説く花々にわれら人間はもっと耳を傾けようではありませんか。地球温暖化の危機を告げているのも確かです。


再び 勝手にカテゴリの事

2007年02月25日 | ブログ

新カテゴリ「一字の母」は、漢字一字で訪れてくださるゲストの方へのおもてなしにならないので、さらにもう一つ張り込んで「二字の父」を追加してみる事に致しました。

漢字二文字となると、もう少し幅が広くなり、禅語も数出て参って自分の勉強にもなる。

そんなことで、父母揃って「二字の父」もよろしく。