この大きな、蝶のような昆虫は何奴だ。図鑑て調べてみよう。
議員さんや政治家の世襲について、とやかく言われているが、今日の新聞の川柳や、コラムに出ていたのは政治家でなく庶民の世襲である。
言ってみれば、先祖代々の貧乏人の世襲である。
水飲み百姓の倅は、代々水飲み百姓で、その子もまた教育の格差などでサラリーマンになっても、取り立てて出世することもなく、時代は変わっても貧乏が付いてまわる。
こんな世襲は断ち切りたいと、一念発起何かしようにも、百年に一度の経済不況とやらであっけなく社会の片隅に追いやられる。
この際堂々と貧乏を楽しみ、財をなそうなどと不心得をおこさず日々安穏にして健康に過ごすことが一流の貧乏人の生き方であろう。
何にしても、一流となれば貧乏と言えども、ステイタスとしてわが誇りとするところである。
無欲にして無心の良寛さまには及ばないが、自然の恵みの中で心豊かに楽しく人生を味わうことが出来れば最高でありいう事無しの貧乏長者。
それでも、山あり谷ありの一生、運不運もあることながら、嘆かず恨まず、おのれの信ずる道を、世襲であれ何であれ歩み続ける一流人でありたい。
今年も、青葉若葉の新緑の輝きがまぶしい。元気を出して歩こう。
昨日、皆さん揃って表に出ました。
昨年の11月18日に、植木鉢の皆さんが湖子庵の2階に団体さんで上がってこられました。
東南の日当たり良好で、温室で気に入っていただき、それぞれ花を咲かせて、このほど全員で表の庭に退出されました。4月20日で5ヶ月余の長逗留でした。
シンピジューム、オンシジューム、それにクンシランの皆さんは全鉢花をつけ充分に楽しませていただきました。最後の鉢は今も花をつけたまま表でトリをつとめています。
一鉢ずつ抱きかかえて階段を下りて表にレイアウト致しましたので、いささか腰が危ない状態ではありましたが、花いっぱいに咲いたお礼です。
つづいて、庭に群生した花ニラを、一掃しました。細い根がびっしりでレンガの境界を覆いつくし、レンガを動かす勢いでした。さらには、ヤブランも勢いが強く、これもレンガを根と土で動かしていました。古い葉をざくざくと切って新しい葉が出やすくしました。
根と球根をきりとり、レンガを正しい位置に戻し庭全体をスッキリとさせ草や笹を抜き、庭木のどれもが、新芽を出し若葉を開き見違えるほどです。
根とともに余分の土が出たのは、小石と土を篩(ふるい)にかけ土は戻し小石は別にして置きます。
切り取った根と葉は、ゴミ袋二つに詰めて、掃き清め作業終了しました。
何しろ、A型なもんですからキッチリとやらないと気が済みません。
疲れるの分かっていても、手抜き無しでやり遂げた自己満足が達成感で喜びに変わり一日が終わりましたさ。
ああ、しんど!シンドバットやぁ。
世の中「根も葉も無い話」に踊らされる人も多いけど、こちらは「根も葉も袋二杯分」出たぞ。
車の無い生活も、半年以上になり、どこへ行くにも歩いてゆくので、近くは散歩で済ませるが、遠いところはハイキングのようであります。
最初のころは、健康のためのウォーキングで、我がミダイと連れ添って歩いていましたが、最近はミダイは買い物で遠くのスーパーまで歩いてゆくのでウォーキングの必要は無いとの事で吉天ひとりで歩くようになりました。
歩くにしても、気ままに思いがけないほど遠くに行きます。
最近は汗ばむほどの陽気で、早足で無くブラリブラリと、途中足を止め小さな双眼鏡でバードウォッチングやらで時間もかかってるようです。
老人の一人歩きは時に徘徊と間違われます。
かって、犬の居た時に散歩で出会った人が、自転車で通りかかりこんな遠くまで来るんですかといわれました。
吉天が帰るまえに、その人が自宅のミダイに、ご注進があり「お宅の御主人 随分遠いところを、(ふらふら)歩いていましたよ」と。
ミダイいわく、「放し飼いにしてあるので、ご心配なく」。
春本番を飛び越え一気に夏になったような陽気でございます。
朝から、梨畑との結界に何も無いところ(約二メートルの間)に、ひとり生えのアオキや、不明の樹の10センチから、30センチほどの幼木8本ほど、他から抜いてきて、一列に植えました。
無事について成長がはやければ、やがて垣根の役になることでしょう。
お天気がよろしかったので、三日ほどかけて家の周りや、庭のなかの草をひきました。
春の土は軟らかく、造作もなく草を引き抜きました。
葉や、芽だけでは、何の花か、木か分からないのはそっと残したのでございます。
草の中に、葉の形が違うのを見つけ、そのままにして置きましたら何と紫の花が出てスミレでありました。今年は百合の芽があちこちにでて、これも百合の花がふんだんに咲くことでごいざいましょう。
アオキの木の下に、アオキの樹の苗が何本も出て、結界のあたりに移し変えました。
常緑樹の木の、ひとり生えも移してゆくゆくは垣根の役を果すものと期待しています。
三年前、小さなひとり生えの木を、植木鉢に移したのは「武蔵野の雑木林」として元気に育っています。
その中の落葉樹は、冬に葉を落とし、この春うす緑の芽を吹いて参りました。
常緑樹の方は、一人前の樹の態をなして鉢の中の主木でございます。
この小さな地球の中に水を撒くと、虹が現れ、トカゲが身をくねらせ躍り出ます。
虫たちも、ミツバチも我が世の春を謳歌して、雲雀は高く高く舞い上がり囀りと羽の動きは大変なものです。この飛翔体には、雀どもは我関せずと、ちゅんちゅんとおしゃべりに余念がありません。
タンポポの草はらには、ツグミの一群が餌をもとめて散らばっています。
私の小さな地球は、今日も ことも無く陽を浴びています。
日脚が伸びたという物の、はや西からの太陽が家々の影を長く落としてきました。
こんな一日で贅沢な暮らしです。
隣の広い梨畑の花が一面に咲きはじめました。
桜の満開から、数日遅れで咲くのですが今年は桜と同時ぐらいです。
梨の農家の方が、朝から受粉や交配に忙しそうですが、畑の中にひときわ高く伸びている木が数本あって、はしごを架け太い横に伸びた枝に乗って何やらやっておられます。
伺ってみると、高く伸びたこの木は特別に交配する木だそうです。高所恐怖症の人はちょっと出来ませんが、女性の方がこともなげにせっせと手を動かして作業しておられます。
毎年のことですが、我が湖子庵の庭から借景として眺めさせていただいております。
桜と違って、真っ白い花が拡がるさまは、真に綺麗です。
今日は暦の清明です。爛漫の花によろずの物が清新の気に満ち溢れ春のさ中の歓喜を感じます。
小鳥の声で、目が覚める。
花もいっせいに開いて、木々の芽も出てきて四月だなあ。
周りに自然が息づいている幸せだなあ。
リラックスして、そしてまた緊張感を持ってアクティヴに新年度をスタートしよう。