ぽかぽかと行きましょう

急がず、後れず。自分の歩幅でぽかぽか行くようなブログです。

年末年始 帰省閑話のこと。

2006年12月26日 | 一行法師

今年も、変換ミスを楽しんで参りました。

年末に妻子(際し)、帰省閑話(規制緩和)しよう。

みずからの、小さなマナーの規制をはずしたい。他人様にご迷惑のかからないマナーは年末年始ぐらい大目にみて、規制緩和してのびのびとしよう。マナーのために我慢するコタあー泣いて(無いって)。

ひとつ、年越しそばは、そば猪口の付け汁に たっぷりとつけて、そばを もごもごかんで食べよう。 いきがって、そばの先にチョコッとつけてするすると食べないでおこう。

ふたつ、スープはずるずる~と音を立てて吸おう。食事のマナーよりも おいしくいただく方が大事。

三つ電車でイスにかけたら(一応、周りに人のいないのを確かめて)、足を組んで足先ピンピンと 思いっきりのばしてみよう。(短い足どこまで届くの?)

四っつ、お節はお重の上でどれをとるか、ぐるぐる迷い箸して好きなものとって食べよう。

五つ、滑りやすい里芋などの煮物は、箸で突き刺して落とさないように食べよう。

以上、年末年始の、マナーの規制緩和してみよう。

マナーの事で迷ったら、どこまで許されるか、親しい政治家に聞いてみましょう。

帰省閑話は、帰省から戻ってから春のお題にお楽しみください。

本年の、更新はここまで。くだらない事にお付き合いいただき お詫びと感謝申しあげます。


ご隠居さん・今は昔

2006年12月23日 | 一行法師

「ご隠居さん」近頃耳にしない言葉。

落語とかに出てくる「ご隠居」、水戸黄門のドラマでご老公は、越後の木綿問屋の「隠居」と言うことで通しているが、最後に三つ葉葵の紋章の印籠が出て、「ひかえ 居ろおう」で収まる。隠居で思いつくのはそれくらいだ。

現役を引退したり、代を息子に譲って悠々自適で「楽隠居」と言う世界は無くなり、ただの爺いが通り相場。 あげく定年を70歳にあげようと言う話も出ている。 「隠居」と言う言葉は、遙か昔に死語となっていたんじゃ。

吉天が、四歳ぐらいのとき本物のご隠居さんの生活を見て、「誰でも年をとると、こんな暮らしが出来るんや。」と思とった。

たぶん、太平洋戦争が始まったばかりの頃、遠い親戚で、そのご隠居さんのうちへ祖母に連れて行ってもらったときの事だった。

平屋で広い庭に、趣味の万年青(おもと)の鉢がたくさん並んでいて、庭には大きな泉水(池)に真鯉や緋鯉が悠然と泳いでいる。

昼間は、その万年青の手入れで、葉の一枚一枚を筆に水を含ませ丹念に拭いては眺めて観賞するのが楽しみ。

夕刻からは、庭に張り出した広縁で、すき焼きか 何かを、つつきながら、老妻と燗酒をちびりちびりとやり、鯉に餌をやる。

ポンポンと拍手を打つと、条件反射でたくさんの鯉が群がってよってくる。そこへ焼き麩(棒麩)をちぎっては投げると、鯉は大きな口をあけ我勝ちにと食いついてくる。

子供心に、ご隠居さんて いいなあ~と思ってましたよ。その後戦争が激しくなって、その老夫妻のご隠居は終戦を知らずしてお亡くなりになったので、幸せな人生をまっとうされたことでした。

年金だけでは、隠居は出来ない現代。

アクセクして、アクセス増やして何になる。

せめてブログを不老愚に読み替えて勝手気侭なご隠居で行きやしょうじゃ ありませんか。


トラブル5分で解決。Kさん有難う。

2006年12月21日 | 一行法師

四・五日前から、インターネットエクスプローラが、開かなくて「ページが表示できません。~以下 どうたら、こうたらと小さな文字がならんでいる」クリックして出てくるのは何度やってもこのページばかり。

困り果ててブロバイダーのテクニカルサポートに電話すると親切にあーして、こーして、と一時間余サポートしてくれたが、接続は出来ているのですが、後はメーカーさんに問い合わせてくださいとのこと。

それでメーカーのサポートに電話すると、やはり親切丁寧に小一時間。結果駄目で、ブロバイダーに差し戻し。

それで、もう一度、ブロバイダーに電話すると、なんだかんだの末に、NTT 東日本のセットアップコンサルに電話してみてくださいと、なった。

いよいよたらい回しかと思いつつ、NTTに電話すると、セットアップコンサルタントのKさんが出て、二つ三つのクリックの指示にしたがって、その通りにすると、ものの見事に5分そこそこで、解決。

前二者の方々は、親切にやってくれたが、難しく考えすぎで遠回りになり、解決に至らなかった。日進月歩の技術におぼれて、絡み合った糸を解きほぐせず、述べ二日もかかってしまった。

一方、Kさんの方は、アナログ的に、原因結果の因果関係を見極めて、即解決の道を見つけてくれた。これなら私にも分からない事はないと納得した次第。 Kさん有難う。

時間はかかったが、別の意味でも大変勉強になった。

世の中や、身の回りのことも複雑に考えすぎて、かえって難しくしてしまっている事も多いのではないかと思った。

単純明快にストレートなことで、物事の本当が見えてくる。


いろ波・3 木賊色(とくさいろ)

2006年12月18日 | 色の世界

こんなところで、木賊(とくさ)を見つけました。大通りに面したビルのエントランスの軒沿いに、木賊が植わっているのです。一般的にはつつじのような花の咲く低木や、青蔦を這わせるところですが、このビルは、木賊が整然と並んで植えてあります。

古い日本家屋の庭の片隅や、雪隠(せっちん、昔玄関脇の表に有った お便所)の脇などに植えられていたものです。私も久しくお目にかからなかった植物なので都会の真ん中でビルとの取り合わせが妙にモダンで斬新な感じに見えました。

他でもデザイナーの好みで、コンクリートの打ちっぱなしの建物に沿わせて植えることもあるのかなと思いました。上野公園のように多くの植物があるところでも見かけないのですが。

このあまり一般的でない植物の木賊の色が、伝統色名の木賊色と言うことは、かっては何処ででも見られた身近な植物であったのでしょう。

鎌倉時代以降中世の物語にも木賊色の狩衣や水干の記述があるとのことです。色は木賊の色そのものの深い緑色でやや黒味をおびた色。木賊(とくさ)を知らない人や、木賊をモクゾクと読む人には、もはや色名として通用しないのではと心配するのです。

シダ植物で、多年草、およそ一寸間隔で、竹のように節のあるこの木賊がビルの軒先で健在でありました。

砥草とも書くように、この茎はサンドペーパとして物を磨くのに役立てたそうです。

ところで、深緑の木賊色の色無地のきものは、中年配の方の慶弔両用のきものとして、お勧めしています

白っぽい格調のある帯を合わせますとセミフォーマルとして、また喪の帯(染め帯、織帯)で、通夜や、法事のきものとしてお召しいただけます。


トラックバックて何?

2006年12月15日 | ブログ

トラックがバックしてきたら、危ない。よけなあかん。ひき殺されるで。

はよ、逃げな、危ない!

どこからとも わからんとこから、勝手に飛んできて、勝手に張り付くトラックバック。

何の関わりがあって、この爺のブログにトラバして来よるんネン。

時に外国のがやってくる、無関係のものは次々と削除しないと、まともな来訪者に、ご迷惑をかけるちゅうのや。

よそ様のブログを拝見していると記事にふさわしい、由緒正しきトラックバックが、トラバしてるじゃん。

OCNのブログ人よ。爺のブログじゃとて差別するのか。

誰も教えてくれんので、ブログの入門書読んで、こつこつとここまでやってきたんじゃ。

「よくあるご質問」と言う常套句も気に入らない。

クリント・イーストウッド氏は言った。 「かまわん捨て置け」。

さすが大人(だいじん)、いや外人。

瑣末なことには、関わらないで、わが理想の爺 クリント・イーストウッド氏のようになろう。


わかるちゃ

2006年12月15日 | 一行法師

何のことか、分かるちゃ

「和軽茶」。最近の爺の造語じゃ。

つまり、若い方に軽いのりで、和のテイストを日常に楽しんでいただこうとの悪巧みじゃ。 「和」だ。「和風」だ。と大上段にかまえても、すんなりと「和」に馴染めるものではない。

「和カルチャー」「和軽茶」どちらでも良いが、ちなみに茶道などは、お稽古に、お稽古を重ねて、お点前にいたる。

利休さんも、仰るとおり茶の湯とは、湯を沸かして飲むだけのこと。

テェータイムに、お抹茶をお碗でといで、お菓子と一緒にいただく程度ではじめて、興味がわけば本格的に習ってみる。お茶会で出されたお抹茶を飲むことが出来たら、次は自分でお茶が立てられるように進めばよろしい。

華道にしても、ありあわせの花器に、自分の感性できれいだなーと思えるように活けてみて、それから自分にあいそうな流派の先生の門をたたけばよろしい。

変な話、家元と教祖は誰でもなれると言われる。自己流でも、感性とセオリーがしっかりしていればの話。

「和」は、難しいものでなく、もともと日本の日常からでているもの、西欧文化にとっぷりと浸って育った若い人や、外国人の方には新鮮な文化。

図書館で見つけたこんな本どうじゃろか。

「ちょこっと和のある暮らしがなんだかとてもワクワクする!」

金子由紀子著、すばる舎刊

副題に「和のアイテムをさりげなく日常にプラスする方法」とある。

爺のブログには図書のアフェリはつけてないので、書店で探してください。


命は無色透明

2006年12月13日 | 一行法師

今年の漢字は「命」となった。

テレビ東京の番組、「ポチたま」で人気の旅犬「まさおくん」がなくなった。享年7歳。

タレントの松本君と全国を旅して、海外にまで人気があった。

奥さんの「ライアン」黒ラブと間に、7匹(8匹だったかな)の子犬をもうけ、その中の一匹「だいすけ」が、先ごろ2代目旅犬として、引き継いだばかり。

「まさおくん」の命は、しっかりと子犬たちに受け継がれ成長している。

このように、命は親から子へ受け継がれて幾世代もの流れで永遠に繫がってゆく尊いものなのだ。

人といい、動物といい命は眼に見えない無色透明な存在。これが命と手にとって見る物ではないが、命は厳然と存在する。

ある日突然断ち切られる命は、なんと不幸なことであろう。

自死、事故、事件、災害、戦争、テロ、医療ミスと命を奪い去るものは、数限りなくある現代。

お互い命の大切さを認識し、命を守ることにより避け得べきことは避ける心がけと施策が公私それぞれの立場でなされなければならない。

無色透明の命ゆえ、無駄にしてはならない命なのだ。


カテゴリ・色の世界のご紹介

2006年12月11日 | 色の世界

カテゴリに『色の世界』を入れてより、今日で14回目。

「今日のお色目」で、12回。「いろ波」に改め2回。

来訪者の皆さんに、なるべく『色の世界』カテゴリを通しで読んで頂けたら有り難いなと、ずうずうしくも思っている投稿者です。

「今日のお色目」は冗談めかしたものでしたが、「いろ波」は、もう少し真面目に、自らも勉強のつもりで記事に致します。

またご意見、ご叱正が御座いましたら、コメントを通じてご指導賜りますれば、有難き幸せに存じます。

吉天の「色の世界」いろ波を、引き続き宜しく御願い申し上げます。


いろ波・2 朽葉色

2006年12月11日 | 色の世界

日本の色は、自然界の色を取り入れて楽しんできた。

朽葉色(くちばいろ)は、前回の柑子色(こうじいろ)に続く、黄赤系の色として平安時代から鎌倉・室町時代の物語に多出する。老いも若きも広く着用している。

衣裳の色を季節に合わせて着ることの出来たのは、藤原氏など上流貴族で、今で言うセレブな人たち、色の黄金時代といわれる。

したがって、物語に残されている色は、贅沢に衣裳を着る事の出来た、一握りの特権階級で、一般庶民はおおよそ色とは無縁であった。貧困層と、都市の貴族の格差は、現代の格差の比ではなかったと思われる。

中世の武人に受け継がれた伝統の色は、時代が下って江戸時代になって、ようやく一般大衆に色への関心が拡がり、好みの歌舞伎役者の衣裳の色が、当時のファッションであった。

日本の伝統色は、今 はその人の好みに応じて誰でもきものにして、楽しめる。

朽葉色は、秋を彩る紅葉(こうよう)が落ち葉となり地面に散り敷いて重なり朽ちてゆく晩秋の景の中に見られる色。

赤みのある赤朽葉、黄色の強い黄朽葉、緑の色合いの残る青朽葉とあるが、微妙な色の違いから朽葉48色と数えられるほど。その代表が朽葉色。

現代のきものに染める場合、柑子色よりも赤味の少ないこの朽葉色の方が、調和がとり易い。

色名事典や、色見本帳は印刷により、同じ色名でも編者の認識により色が異なる。前回も述べたとおり布の染め見本で確認のうえ染め出しされたい。

歳時記にも、枯葉、落ち葉についで、朽葉があるが作例は少ない。

      山の井に色よきままの朽葉かな  素外

こちらは古井戸の水底にたまった朽ち葉が以外に色鮮やかなのを詠んだ句。


いろ波・蜜柑色

2006年12月09日 | 色の世界

カテゴリ「色の世界」で、その時々の色を話題に「今日のお色目」として来ましたが、今回から「いろ波」としてご紹介して行きたいと存じます。

スーパーや八百屋さんに、蜜柑などの柑橘類がならび、冬至(今月22日)には、ゆず湯につかって冬の健康に備えます。

「蜜柑色(みかんいろ)」は、文字通り蜜柑の色でポピュラーな色名です。

柑子蜜柑といって、日本原産の蜜柑のこと。柑子色(こうじいろ)と言う色名で古くから呼ばれていたが、蜜柑色といわれるようになったのも古い。

平安朝の柑子色が現代の蜜柑色であろう。 

源氏物語には萱草色(かんぞういろ)と称されている。これは柑子や蜜柑の色でなく黄色から橙色(だいだいいろ)の百合に似た小さな花の色で、一日で凋むところから、平安朝の人々は、この花の色に染めた「萱草の襲(かさね)」を喪に服すときの色としたと言う。

色名の根拠や出自はともかく、同じ色相である。オレンジ色というのも、現代はよく口にされるが、このオレンジよりも幾分黄みを帯びているのが、柑子色や蜜柑色である。

さて、この色をきものに用いるとすると、黄赤系の彩度の高い色でストレートに色無地のきものに染めると派手な感じで帯あわせが難しくなる。

同じ系統の色と言うことで、トーンダウンした色を用いる。そして生地も、光る素材のものでなく紬の無地のような生地で落ち着いた感じにしたい。 もちろん きものを着る方の好みで、明るくぱーとしたのが似合う場合もあるのですが。

そして誂え染めの場合必ず、染め見本は布(絹布)に染まったもので指定して染める。それもなるだけ大きな染め色見本が望ましい。

小さな布見本でイメージしたものが、反物に染め上がって想定外の色になる。まして印刷された色見本(カラーチップ)や、グラビアのカラー写真をもいで、この色と言われた場合は、布の見本帳の中で最も近い色に置き換えて確認しないと、染屋さんの職人さんはは受け付けない。

日本の色は、天然自然の色、主に植物からその名をとっている。そして染料も、草木染などに見るとおり、植物染料である。

化学染料になってからも、色名は伝統色の名で呼ばれている。

余談だが、映画がカラーになった時、「総天然色でワイドスクリーン」の迫力に胸躍らせて映画館に通った時代があった。

今は、何でもカラーだから、テレビも新聞も、年賀状?も総天然色で、はじめてカラーになった時の映画のような感動はない。

そこへ行くと、きものは昔からすべて総天然色だったから、すごい。

ところで、「いろ波」は、色と きものの結びつきを投稿して参りますのでどうぞ今後とも ご贔屓に願いあげます。