夏場所、白鵬が全勝優勝で千秋楽。
モンゴルのお父さんお母さんも民族衣装で見えて、表彰式。
白鵬は、ちゃんと『君が代』を歌っていました。
それなのに、今どきの日本人は未だに「君が代」歌うの、歌わないの、歌わせないのと、国歌一つはっきり出来ないのは何故だ。
憲法60年、平和憲法を守ってきた国の誇りある国歌。
はっきりしない国民投票法で、改憲して戦前に戻るような事こそ、「君が代」を、戦争の歌に戻すことになる。
「君が代」を、平和の歌にするか、戦争の歌にするかは、歌詞やメロディーによるのではない。
残念ながら国際政治も外交も、武力や軍事力を背景とした駆け引きに依存し、恒久平和を唱える事は至難ともみられる。
しかし、これは銃を持っていないと、恐怖と不安でいられない国の発想からくるものだ。銃でもって開拓し建国した国の思い上がりだ。
日本は戦国時代を経てからは、300年余の平和を保ってきた。
亜細亜や、日本を植民地化しようとしてやってきた欧米列強に抗して、文明と共に近代戦争を学び、日中戦争や、太平洋戦争に至った。どこの国にも、戦争があれば儲かる人々がいて、ぶん取り合戦が始まる。日本は「鵜のまねをするカラス」だと言う事に、気づいていない。 「海賊の真似した漁師」だ。
武力や策略で、植民地や、属国を作り世界地図に少しばかり赤い部分を、苦労して伸ばしたものの8月15日でチャラになった。
鵜のまねをして、魚を獲ろうとして溺れたカラスだった。
痛い目に会って、手にした平和憲法を捨て、またぞろ海賊の真似ごとをして国民を海の藻屑にしないで欲しい。
亜細亜の歴史をもとに、謝り続けるのも ほどほどにして、戦争を知らない為政者は、もっと世界史を勉強して、海賊の子孫がどのようなことをやってきたかを知り、再び世界戦争に巻き込まれないことだ。
白鵬の優勝から、話が逸脱したのではない。
メジャーの松井選手のお父さんが、イチローのお父さんが、アメリカへ、日本の民族衣装の紋付羽織袴姿で応援に行くか。
白鵬は「君が代」歌っても、モンゴルからきたお父さんとお母さんは、自国の民族衣装を着て表彰式に臨んだ。愛国心とはそう言うものだ。