23日、勤労感謝の日に、墨田区のホテルで同窓会があった。
滋賀県の母校の現校長先生も招いて盛大に行われた。
116人の出席者の平均年齢は、73,3歳。
自分たち同期(75歳)から、上は80歳に届かない人たち。
下は60歳後半ぐらいまでの人たちである。
ともかく、元気な人たちだけが、集まれるのだ。
23日、勤労感謝の日に、墨田区のホテルで同窓会があった。
滋賀県の母校の現校長先生も招いて盛大に行われた。
116人の出席者の平均年齢は、73,3歳。
自分たち同期(75歳)から、上は80歳に届かない人たち。
下は60歳後半ぐらいまでの人たちである。
ともかく、元気な人たちだけが、集まれるのだ。
2、3日前散歩に出かけた時、道を尋ねられた。
年金通知の葉書の住所を見せて、孫の家に帰りたいと言う。
何でも、東京は上野の車坂から、自転車ごと車で、この我孫子市に送ってもらってきたらしい。
市民の森に散歩に行く途中だったので、地図で説明も出来ないので、目的の娘さんの家まで、散歩を兼ねて送ってゆくことにした。
こちらに来て、2日ほど、留守のうちにテレビを見て過ごしたらしいが退屈で、その自転車で、我孫子市内に、案内も無く、出てみたが、思いがけなく遠くに来てしまって、帰れなくなったという。
途中、新聞配達の人や、あたりの人に聞いたらしいが、市内でもエリアの外は分からなくて、困り果てていたところに、通りかかったので、散歩コースをひき返し、ゴルフ場を反対にぐるっと回って、お連れする。
成田線の踏切を越えて、その住所を見当をつけたが、広い範囲で行きつくことが出来ない。
幸い、近くに測量会社を見つけ、受付の女性に番地の詳細を聴いてみることにした。
商売柄、付近の住宅地図を出してきて、番地を調べ親切に教えてくれた。
そこから、2キロほど先で、小学校の手前の丸いガスタンクのところを、左に入って少し先に、目的のアパートはあった。
やっとわかったらしくて、ここですと、自転車を押して上がり、礼を言われて別れた。
年を聴いてみると、私より一歳年下で、元気なおばあさんであった。
普段の散歩の、3倍はある距離を歩いた。初冬の日はとっぷり暮れて、玄関入ると、どこまで行っていたのと訊かれた。
危うく、こちらが迷子か、徘徊老人になるとろであった。
ミイラ取りが、ミイラになった話だ。
人の一生とか、人生とか、いろいろだが。
①立志伝中の人。
②身の上話で、終わる人。
若いころから、いろいろ苦労して、乗り越えて、大成してきた立志伝に描かれるような人。
苦労して、苦労して、報われないで一生を終る人。身の上話も、愚痴ばかり。
誰も聞いて貰えない身の上話。
さて、どちらも人生なら、何があっても、楽しく笑って過ごしたい。
物事をポジテイブに、捉え、凶も、吉に受け止めれば、クロがシロに裏返る。
人間万事、塞翁が馬。
来年は、馬年、上手くやれよ~。
子供のころだった。
親戚の叔父さんが,、竹の皮に包んだ、お肉を牛肉だからと届けてくれた。
普段は、けちんぼの叔父さんが、たまにはおいしいものくれるんだと、よろこんでその日の夜、家族ですき焼きにして、いただいた。
少し、柔らかくて、おいしいが、牛肉などめったに食べないころだったので、こんなものかと思ってすっかり、皆で平らげた。
翌日、やってきた時「どうやった、うまかったか。」
「おいしく頂きましたよ」。
じつは、田圃へ行った時、稲と稲の間に、けだものが、横たわっていた。
山で、猟師に鉄砲で撃たれ、崖下の田圃に転がり落ちて、倒れていた。
撃った猟師は、見失いあきらめて帰ったらしい。
叔父さんが触ってみると、まだ温かいので、家に持ち帰って、さばいて肉と皮に。
食べた肉は、たぬきの肉だった。
さすが、たぬきだけに、上手くだましおったわ。