5月6日まで、吉天のブログ更新お休み。
7日から、吉天のブログ はじまります。又のお越しをお待ち申し上げております。
今朝の、フジテレビの「ぼくらの時代」で、椎名誠、坂東玉三郎、篠山紀信ら、鼎談でいい話 してました。
「斧(よき)・琴・菊」模様。 よきこと聴くにかけたしゃれた模様を思い出しました。 朝から「良き事聞く」でした。
5月6日まで、吉天のブログ更新お休み。
7日から、吉天のブログ はじまります。又のお越しをお待ち申し上げております。
今朝の、フジテレビの「ぼくらの時代」で、椎名誠、坂東玉三郎、篠山紀信ら、鼎談でいい話 してました。
「斧(よき)・琴・菊」模様。 よきこと聴くにかけたしゃれた模様を思い出しました。 朝から「良き事聞く」でした。
4月28日 土曜日でお休み
4月29日 「昭和の日」でお休み
4月30日 振替休日でお休み
5月1日 メーデーでお休み
5月2日 八十八夜でお休み
5月3日 憲法記念日でお休み
5月4日 みどりの日でお休み
5月5日 こどもの日でお休み
5月6日 日曜日 立夏でお休み
5月7日 欠航か渋滞で帰れなくて、お休み
5月8日 休み疲れで、お休み
5月9日 お小遣いなくなりお休み
5月10日 サラダ記念日でお休み(野菜食のみ)
5月11日~5月31日まで、仕事なくなりお休み
6月以降 未定でお休みつづくかも ><;
ホントに、ホントにご苦労さん。
20歳を過ぎたころから、バイオ燃料で動いてきました。
地球に優しいバイオ燃料のお陰でオトーさんたちは動いているのです。女性もバイオ燃料の愛用者が多いです。大事な明日の活力の為の、バイオ燃料も入れすぎると、肝臓を悪くしたり、糖尿病になったりします。
バイオ燃料。その名はビール、焼酎、日本酒など。
でも、車には向いてないです。バイオ運転は危険です。
日本の、青少年から向上心を奪ったのは誰か!
本日の朝日新聞1面コラムで、(財)日本青少年研究所の調査。
日本「偉くなりたくない」8%
日米中韓の各国の中で、日本の高校生は、「偉くなりたくない」と思っている割合は、他国の三分の一程度の8%。むしろ「のんびり暮らしたい」が43%で他国に比べだんとつ。
毎日、 新聞を開けば、あるいはTVをつければ、どこかの企業の偉いさんが、深々と頭を下げて不祥事や事故のお詫びをしている。
一方、島や過疎地にUターンや、Iターンして農山漁に身をゆだね、ゆったりと暮らしている人たちの画面が出てくる。
偉くなって責任ある地位についても、お詫びばっかりしているの見ていれば、若い人たちの向上心も萎えて来る。
「末は博士か、大臣か」子供達も、周りも皆、偉くなりたい、なって欲しいと夢と期待で大人になってきた。
今、偉い人で尊敬できる人が希少種になってきた。
政治家、大臣も偉い人か?尊敬に値するか。学問でも医学博士など「白い巨塔」で見るとおり、子供達の一番あこがれるスポーツの世界もどろどろ、企業もトップのお粗末、伝統の芸能も笑えぬお笑い申告漏れ、IT長者も塀の内外出たり入ったり、他に立派な偉い人のお手本はどこにもない。
「偉い人になりたい」と誰が思う。調査結果は、日本の縮図。
中国、韓国、アメリカの中で大恥かいても、偉い人はなんとも思わずブッシュさんに会いに行った。
良識ある友よ。平成のクラーク博士になって、「ボーイズ ビー アンビシャス」と日本の青少年にむけて、今ひとたび叫ぼう。
放っておけば、日本の企業で働きながら、上司も外国人、部下も外国人で苦労する若者ばかりになる。
「平成の行く末憂う昭和かな」 吉天子
「本日は晴天なり」
「昭和の日」間近。
かっての「天皇誕生日」が「みどりの日」になり、そして「昭和の日」になって、昭和生まれの昭和育ちも、平成で19年生きています。
海に千年、山に千年。(海千、山千)会社勤め40年、フリー多ァーで10年、思えば遠くへ来たもんだ。
もう一度「本日は晴天なり」。
「くだらない」。吉天のブログの事ではない。
昔、天子様の居られた京の都とその周辺を、上方と言って居ったそうじゃ。江戸のほうは東国で、都を離れて東国に移動することを、東(あずま)下りとか言いおった。昔男ありけりの「伊勢物語」にも、東くだりの段があるそうじゃて。
その上方の物産で、良いものだけが、東の方にくだってきて、つまらないものは、くだらない。よって価値のないつまらないものは「くだらない」となったそうじゃ。
東京遷都で、天皇様が都をかまえて、東京が日本の中央となり、政府も中央である東京にある今は、鉄道や道路の上り下りも、誰が決めたか知らないが、東京の中央へ向かう列車は「のぼり」中央から離れる列車は「くだり」と日本列島端から端までそうなんでしょ。
くだらないこと記事にしてると、見放されるかも。
汚い話、下痢をして「腹が下る」とも言うが、「天下り」と「腹下り」 は同義語かな。天下りするたびに退職金いっぱいもらって、私腹を肥やす事ばかり考えていると、しまいに腹を壊し下痢するでェ~。
あほな事ばっかり言ってるから、東大出の能吏に馬鹿にされるンや。 やっぱり、あんたは何時までたっても、地べたから吠えてるしか、能ナイノ。 あァあ。
近年、いろいろな言葉が「言葉狩り」にあって、差別用語として葬られてきた。なのに「天下り」は差別ではないのか。
まず天、天があって、地がある。天から地べたへ降りてくる「天下り」は、お上の役人が、民の世界に下ってくる事だろう。
士農工商の階級社会は無いはずなのに、四民平等なのに、江戸時代から明治になっても、官は民の上にあってお上で通っていた。
戦後の民主主義になっても、公務員は公僕と言って、民の僕(しもべ)と言いながら、高いところから、見下ろしてきた。
「天下り」なる言葉は、民を蔑視する差別用語の最たるものだ。
昔「天孫降臨」といって、天子さま以外は天下りした人?いないのだ。神話の時代、天照大神の孫「ニニギノミコト」が最初に天下りしたのだ。
官吏が「天下り」なんてもっての外。不遜なること許しがたい。憲法のどこに書いてある。
「天下り」が、死語になって日本から消えたときはじめて「美しい国日本」が実現する。
若苗色(わかなえいろ)
日本の色は、季節と共に移り変ってゆく。
自然と人、農耕、暦、天文。 文学、季語。心情、心象。さまざまな関わりの中に色がある。いや、色の中に全てがあり、全ては空という。
野菜や、花木の苗は、春の季語「苗床」。
苗床やおなじ二葉の茄子胡瓜(なすきうり) 斉藤雨意
一方 水稲の苗は夏の季語「早苗」。「さなえ」とは、優しい響の日本語である。女子の名前にも多く用いられる。「さつき」「さなえづき」は五月の異称として、馴染み深い。
早苗束濃緑植田浅緑 高野素十
漢字ばかり並んで、束ねた早苗の濃き緑と、その早苗が水田に植えられて、田を渡る風に浅緑に輝く色の対比が面白く詠じられている。
機械化で、田植えのさまも変り、苗代から田圃に運ばれてくるのもパレットにのってトラクター?で。情緒はなくなっても、若苗色の色は変らない。
そんな早苗の色を昔から「若苗色」と言う。
襲の色目の若苗は、「表裏淡萌黄」、「表淡青、裏黄」「表裏淡木賊」など、黄緑をイメージしている。
田圃に植えられて、若苗も幾分生長して、しっかり根付いたころ、緑も一段と濃くなり「苗色」となる。若苗色と苗色は、おなじ色とも言われるが、しかし柔らかい早苗の色と、生長した若い苗と区別したい気持ちになる。
都内のあるショッピングモールで、孫達の家族に食事をご馳走になり、そのあと孫の持っていたサービスのゴム風船をちょっと手に取り、風船の棒を手のひらにのせてバランスをとって、風船が倒れないように歩いてみた。
意外と倒れないもので、調子に乗って手のひらを突き出し、あっちこっち動かし続けて、ふと見ると前のレストランのガラス越しに、若いカップルが拍手をして、わが芸を見て笑っている。おまけに手まで振っているではないか。
気が付けば、ガラスの内と外のギャラリーに、大うけに受けていた。
思わぬところで、やってしまった大道芸、あとで家族の顰蹙をかってしまい、反省しきり。(ヒンシュクと言う漢字は難しい)
従心(しょうしん)=七十にして心の欲する所に従えども、矩(のり)を踰(こ)えず