ぽかぽかと行きましょう

急がず、後れず。自分の歩幅でぽかぽか行くようなブログです。

お正月、始まって3ヶ日。

2016年01月03日 | 平凡でも、堂々と。
もう、2月1日の検査まで、血糖値下げる努力しないと、入院を宣告される。
いや、本当は、この一月に入院しているはずなのに、執行猶予中。
それがまた、お節料理のどれを食べても甘い味付けになっている。もう、砂糖漬けのように甘いのだ。
これで、血糖値下がるわけない。
「血糖値お節料理が仇になり」
「寝だめ食いだめ 銭貯めず」
食べないで我慢する、これまた、ストレスで、病気増進。

今年の目標は、抱負は、高邁な理想は関係ない。
日中は晴れて温かい、日向ぼっこ、ゆっくりしようじゃないか。

民宿の親爺のような、この一年。

2015年12月31日 | 平凡でも、堂々と。
この一年、民宿の親爺のようなものであった。
家族は、この民宿のお客さん、全ては、お客さんの都合に合わせての毎日で過ごした。

さて来年は、どんな年になり、どんな私に、なっているか。

この一年、途切れ途切れのブログの、更新にお付き合いいただきありがとうございました。
もうすぐ2016、紅白歌合戦が終わったら一時間で元旦だ。
新しい年もよろしくお願いします。

テレビを4日間観ないと、利口になる。

2015年08月16日 | 平凡でも、堂々と。
終戦記念日をはさんで、4日間テレビを観ないと、利口になる。
テレビのない田舎の実家で、ラジオで高校野球とニュウースだけ聞き流して暮らしていると、バラエティーやドラマ、歌番組のない世界が素晴らしく思える。
戦後70年の特番も見ない。
新聞も今日初めて買ってきた。。
テレビも、新聞も無くても、暮らせることを知った。

家事をやる爺やから、家事のコンシェルジェに言い換えてみましたよ。

2015年08月05日 | 平凡でも、堂々と。

一日の日課の、大部分が家事に追われ、自分の時間から犠牲になったのは、PCを開く時間、語学の勉強のラジオを聴く時間、絵をかいたりスケッチする時間、外出もなるだけ早く帰って食事の準備に。

コンシェルジェは、一日忙しい。

自由時間の確保と、交通機関のICカードに、出来るだけ多くチャージしておく。

そして、この暑さを乗り切る体力。

暑中見舞いのハガキも、もうすぐ、残暑見舞いに書き換えなければならない時期になった。

コンシェルジェの制服(エプロン)を気に入って買ってきました。

 


今日は暦の半夏生、ハンゲショウも盛りです。

2015年07月02日 | 平凡でも、堂々と。
半夏生の次の日が、自分の誕生日だ。
久し振りで、浅草へ行った。
浅草は日本人より、外国人の観光客の方が多い。
しかも、アジア系の人たちが大半だ。
何を話しているか、さっぱり分からない。
それでも、お店の人たちは、注文を聞いている。
何とか通じるらしい。
異人電信、いや、以心伝心だ。

7月、78歳の新しいスタート。

2015年07月01日 | 平凡でも、堂々と。
どれもこれもと行かないが、一応下地ができているものばかり、そのどれかに集中して、今スタートすれば、3年で何とかなる。
梅雨の雨に打たれて、緑よみがえる さまざまの植物に倣い、生かされている、ありがたみを噛みしめて、望みを捨てない でやるのだ。

望みをなくして、「のぞみ」に乗って焼身自殺は悲しい。
多くの人に迷惑をかけて。

昨日の夢想記事について。

2015年06月30日 | 平凡でも、堂々と。
78年間の人生の中で、次々と好奇心と興味の赴くままに、仕事や、趣味の世界を広げてきた。
間口ばかり広くて奥行きのない、どれ一つとして、その道を他に誇りうる仕事や学問に到達したことがない。
どれかに集中してやれば、その道の権威や専門家になれたであろうし、一家を成して世に出てたことである。
どれもこれも中途半端で、あるいは物事の入り口を覗いただけで終わっている。
一つとして、自分を高めたものはない。
平凡な人生といえば聞こえはいいが、ただのダメ人間でしかない。晩年に至って自虐の弁を語るのは情けない。

しかし、たくさんの道は、目の前に開けている。どれでもこれという道を、追求すれば今からでも遅くないのである。
引込まないで、自信をもって、突き進もう。
関連のものの書籍や、道具は手元にそろえてあるのだから。
                                               つづく