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百観音円通寺と黒門

2011年10月12日 | まち歩き

彰義隊の上野戦争(慶応4年5月15日)のとき、銃弾の痕のすざましい「黒門」は、ここ荒川区の円通寺に移されていたのだ。

上野公園にある「黒門」は、レプリカだったのだ。やはり、銃弾の痕も多数ついてはいるが。

彰義隊士の遺骨は上野で火葬され、この円通寺に収骨した。

太政官の許可を得て、賊軍であった彰義隊を供養し法要出来たのはこの円通時だけであった。

その因縁をもって、当時の上野の黒門は、帝室博物館より、明治40年10月に、この寺に下賜されたと記されている。

百観音円通時については、荒川区の史跡のプレートを参考に見て見よう。

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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
銃弾の痕なのですか。これでは、沢山の死傷者で血... (kazuyoo60)
2011-10-13 11:04:49
銃弾の痕なのですか。これでは、沢山の死傷者で血の海だったでしょう。
観音様が高い所にいらっしゃるのですね。
世代を超えて多くの方を悼まれていますね。
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kazuyoo60さん。 (吉天)
2011-10-13 16:06:53
kazuyoo60さん。
仕事で出かけたのですが、三ノ輪から南千住の方に歩きました。
古いお寺が、3箇所あり、その一つにこの円通時があり、境内に「黒門」がありました。古いお寺なのに、こんな恰好のお寺になっています。
近代になって建て替えると、こうなるのですね。
2百人以上の戦死者のお骨が葬られているそうです。
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