明日からは、新年のスタートと、粋がってみても「えりもの春は何もない春です」。
森進一の襟裳岬のように、今のところ「何もない春」です。
昭和の演歌は、なかなか元気に欠ける。
しかし、昭和初期の藤山一郎の「丘を越えて」は、「丘を越えて 行こうよ~・・いざゆけ遥か希望の丘を越えて」
「・・いざ聞け 遠く希望の鐘は鳴るよ」昭和6年古賀政男作曲だ。
何もないことはない。希望があるさ。
「・・・鳴るは 胸の血潮よ 讃えよ わが青春(はる)を いざゆけ 遥か希望の 丘を越えて」
戦争の音が近づいてくるまでは希望をもって、この歌を歌えたのだ。
新年のスタートは、希望を持って、明るい「爺問題」と私にお付き合いくだされ。
森進一の襟裳岬のように、今のところ「何もない春」です。
昭和の演歌は、なかなか元気に欠ける。
しかし、昭和初期の藤山一郎の「丘を越えて」は、「丘を越えて 行こうよ~・・いざゆけ遥か希望の丘を越えて」
「・・いざ聞け 遠く希望の鐘は鳴るよ」昭和6年古賀政男作曲だ。
何もないことはない。希望があるさ。
「・・・鳴るは 胸の血潮よ 讃えよ わが青春(はる)を いざゆけ 遥か希望の 丘を越えて」
戦争の音が近づいてくるまでは希望をもって、この歌を歌えたのだ。
新年のスタートは、希望を持って、明るい「爺問題」と私にお付き合いくだされ。
何も無くなった原因は、開拓地、寒い地方、薪を切ってしまって森が無くなったのだそうです。足尾銅山の復興・植林の様子も前にテレビで見ました。
あっという間の3日です。毎日が日曜の私でもそう思います。
唄の出来たころからすると、良くなったのですね。
何も無いことはないのですか。
今日でおせち料理も食べつくして「何も無い」のですが、ミダイが何か作ってくれるでしょう。昆布巻きが残っています。