NHKのテレビ討論会 「日本のこれから いじめどうすれば、なくせますか。」 今議論していますが・・・・。
いじめは昔もあったが、今日ほど陰惨な自殺に結びつくようなのはなかったと思う。
いろいろな社会が変わってきたように、学校や子供達の社会も昔と違ってきているので、聞いていると簡単な事ではないようだ。
ひらがな3文字の「いじめ」が、こうも複雑な問題であるとは。
今幼い孫達も、小学校、中学校と進む過程でいずれ通る道だと思うと捨て置けない。
教師の問題だ、親や家庭教育の問題だと言っているが、社会のゆがみが産み出したのが元ではないのか。
話は変わるが、「捏造」とか「隠蔽」と言うような難しい漢字が、新聞紙面に踊るようになったのは最近だ。短絡と批判されるかもしれないが、こう言う社会を構成する今の大人を育ててきたかっての文部省や、日教組、教育委員会がすべて悪いと断言したい。(怒り心頭が故に)
聖職と言われた学校の先生が、労働者として左傾化し、自由のはき違いをしてきた。先生も人間であるから、食うために旗を振る事はあっても、教育の本分を忘れてしまったのではなかったか。もちろんすべての教職者がそうだったとは言わないが、文部省や教育委員会も、教育の行政、政策に間違いはなかったのか。
今の子供達の「いじめの問題」がその遠因とするところは教育そのもののあり方にあると思う。ゆとり教育とは何であったのか。いまさら教育再生云々とかいっても、その根本になるものがどうなのか問いたい。
「弱きを助け、強きをくじく」先輩のお陰で吉天も子供のころ「いじめ」から救われた。上級生は、下級生をかばい、運動部に所属する生徒は、すすんで弱者の味方をしてくれた。子供社会は、子供同士で秩序が保たれていた。 親も教師も、ただ温かく見守っていればよかった。 下手に親が介入すると「子供のけんかに、親が出て・・」とはやし立てた。
現代社会と、昔社会と時代が違うので後戻りはできないが、一つ言えることは、「教育者の立場にある先生方よ、もっと自信を持て」だ。
何か、不安とか、恐怖とかが裏にあって、指導・教育に自信がもてない先生の心理状態が如実に子供達に反映しているのである。
そんな先生はいないと思うが、教員免許とって先生にでもなるかと安易な気持ちで教師になった。では困るのである。
何の職業でも、人生真剣勝負なのですから。
吉天爺も、立派な先生方に恵まれて、今生きている事に感謝していますのじゃ。
「いじめ」だけでなく、家族関係が崩壊したような事件にも目を覆うばかりですけれども、わたしは多くの方が日本のこれまでの教育に原因があると主張されていることに少々違和感を覚えます。わたしがかつて公立校の教員だったことや、同僚をかばう気持ちからそういうのではありません。親世代から「新人類」と呼ばれ、高度経済成長期の恩恵をいっぱいに受けて育ったわたしは、公立校において悪い教育を受けてきたとはすこしも思っておりません。一生の師と仰ぐ先生と出会うことはなかったですけれども、どの先生も一生懸命でしたし、勉強もきちんと教えてくださいました。
わたしはむしろ、家庭のあり方に原因があると思っています。子の教育については、家庭や地域が真剣に考えて学校に働きかけるのが本筋と思いますが、いまはその逆の流れです。あるいは、教育はぜんぶ学校がしてくれると勘違いしている親が、学校を指導する立場をとるのもおかしなことです。教育の基本は家庭にあります、とおっしゃった安倍総理の言は、(めずらしく)そのとおりだと思います。親は自己実現のために子を犠牲にしていないでしょうか。社会はそれを黙認していないでしょうか。
現場のことを何も知らない文部省や教育委員会がすべきことは、教員の質の向上をめざす方策をいちばんに考えることではないでしょうか。いまの先生は、お上からも親からも社会からもしめつけがきつくなって忙しすぎて、本業に集中することができず、勉強する時間もありません。
いじめについて、すべて教育や、教員の方のせいにするのは酷だとNHKの討論でも、話しておりました。しかし子供達の立場からすれば、昔とちがって学校にも家庭にもいる場所がないのです。ランドセル放り投げて表に遊びに行くところもなく、お受験の為の塾や何やかやと時間の自由もない昨今の子供は不幸です。サザエさんのカツオ君のような世界はどこにもありません。
裕福な家庭で、給食費も払わないとは、倫理観も、道徳もきちんと教わってこなかった人が大人になって、家族よりも経済的優位に暮らす事がよいことだと思っているのです。
吉天の従兄弟達も何人かは、公立校の教員をしておりましたが、今のような事はなかったと存じます。
学校も、家庭も社会も崩壊への道を本気で食い止めなければ、これからの日本はない。と切に思います・