「末裔」(絲山秋子)を読んだ。
まず菊地信義氏の表紙がいい。高級な和菓子の箱のような
紙質と文字。タイトルにぴったりです。
絲山秋子って、もっと分かりにくかった気がするけど、
大衆的な小説も書くんですね。
読んでて思ったのは「オヤジに生まれなくて良かった、オバサンで」というもの。
どうも旗色悪いですよね、オヤジというのは。
あと懐かしいのは鎌倉の住宅地。学生時代、自動車部のOBがやっている書店(ドイツ語
の本を扱っていた)の印刷物(単にお歳暮だったかも)を、お得意さん
(大学教授や研究者)に配りに行く、という変わったバイトをしたことがあって、
助手席に免許を持っていないOBのお父さんを乗せてクルマで配達するのですが、
行先で多かったのが鎌倉。とっても文化的で、リッチで、なおかつ鄙びたところで、
あこがれましたよ。急坂が多いのには閉口したけど。しかしあのおじいさん(OBの父)
は免許もないのになぜあんなちまちました道路を熟知していたのか…。今となっては
解けぬ謎。
そんな思い出にひたりながら読みました。
主人公の亡くなった伯父の家がいい。
「この家にあるものは、紙、金属、陶器、木材、ガラス、岩石。
だが、俺の家はプラスチックと古着ばかりだ。」
人が住まなくなって、10年もすると違いが際立ってきます。
私が古いものに興味があるのもそういうことなんだなぁ。
パソコンやデジカメや新建材や化粧合板やブランドものの服なんて、
いずれはゴミです。ついでに言えば原発なんて捨てるに捨てられないゴミです。
でも手巻きの時計や太い梁や銀のスプーンやペルシャ絨毯(持ってないが)は
残そうと思えば残ります。
まあ、残そうとする人がいれば、ですが。ウチの子たちにヤフオクで
売られたらそれまでです。
とにかく面白い小説でしたよー。最後ができすぎの感はありますが。
家の周りにねじ花が咲いています。
大人になるまで知らなかった花。ピンクがかわいい。
ねじれ方もきついの、ゆるいの、いろいろみたいです。
まず菊地信義氏の表紙がいい。高級な和菓子の箱のような
紙質と文字。タイトルにぴったりです。
絲山秋子って、もっと分かりにくかった気がするけど、
大衆的な小説も書くんですね。
読んでて思ったのは「オヤジに生まれなくて良かった、オバサンで」というもの。
どうも旗色悪いですよね、オヤジというのは。
あと懐かしいのは鎌倉の住宅地。学生時代、自動車部のOBがやっている書店(ドイツ語
の本を扱っていた)の印刷物(単にお歳暮だったかも)を、お得意さん
(大学教授や研究者)に配りに行く、という変わったバイトをしたことがあって、
助手席に免許を持っていないOBのお父さんを乗せてクルマで配達するのですが、
行先で多かったのが鎌倉。とっても文化的で、リッチで、なおかつ鄙びたところで、
あこがれましたよ。急坂が多いのには閉口したけど。しかしあのおじいさん(OBの父)
は免許もないのになぜあんなちまちました道路を熟知していたのか…。今となっては
解けぬ謎。
そんな思い出にひたりながら読みました。
主人公の亡くなった伯父の家がいい。
「この家にあるものは、紙、金属、陶器、木材、ガラス、岩石。
だが、俺の家はプラスチックと古着ばかりだ。」
人が住まなくなって、10年もすると違いが際立ってきます。
私が古いものに興味があるのもそういうことなんだなぁ。
パソコンやデジカメや新建材や化粧合板やブランドものの服なんて、
いずれはゴミです。ついでに言えば原発なんて捨てるに捨てられないゴミです。
でも手巻きの時計や太い梁や銀のスプーンやペルシャ絨毯(持ってないが)は
残そうと思えば残ります。
まあ、残そうとする人がいれば、ですが。ウチの子たちにヤフオクで
売られたらそれまでです。
とにかく面白い小説でしたよー。最後ができすぎの感はありますが。
家の周りにねじ花が咲いています。
大人になるまで知らなかった花。ピンクがかわいい。
ねじれ方もきついの、ゆるいの、いろいろみたいです。