朝からなんか体が痛い…というか、左腕もだるかったりして、何だろう??…としばらく考えて思い出しました。
昨日、ちょっとした部屋の模様替えをやったのでした。
2階から少し重い台を持って降りたりしたのです。
右腕にはあまり負担をかけられないので、左に力がかかっていました。
2階の寝室もすっきりしたし、下のリビングも、パソコンやプリンタを使うのに便利になったのです。
コンサートまでは1週間ほどあるので、大丈夫…だとは思いますが…。
昨日、やっとピアノを弾くのに少し力が抜けてきたなぁ、と思ったのにィ。
今回プロムナード・コンサートで弾く曲は、どれも結構速い動きがあって、しかも曲数も多いので、練習はけっこう大変です。
軽快な曲は好きなのですけど、なかなか満足のいく軽快さが出せない…。
そんな中でも一番厄介なのは、尾高尚忠の「ソナチネ」。
ソナチネとは、小さいソナタというのでしょうか、ピアノを習うと、必ずお目にかかるのがクーラウやクレメンティの「ソナチネ」ですが、そういう物とは違って決して易しくない。
ラヴェルのソナチネもそうですけど、そんな感じの曲です。
以前に、ラヴェルとドビュッシーと日本的なものを合わせたような曲と書いたのですが、その通り。
尾高尚忠という作曲家は、1911年9月26日生まれで、1951年2月16日に亡くなっていますから、非常に早逝だったのです。
息子は長男が作曲家の尾高惇忠氏、次男は指揮者の尾高忠明氏で、私が大学のころから指揮者としてけっこう活躍されていました。
指揮者講習会で指導を受けたこともありますけど…。
奥さんはピアニストの節子氏で、このソナチネが載っている楽譜の解説には、節子氏が「1940年、当時はピアノ作品といえば『日本組曲』より他にめぼしいものがありませんでしたので、何か気の利いたソナチネでも作って欲しいと再三催促したところ書いてくれましたもの」だそうです。
以下はその解説の抜粋です。
「前から即興的に弾いていた好きなメロディや音型をあれこれ取り入れて貰って段々に曲の出来上がっていくのを見るときの楽しさは、どんな喜びにも代えることのできないものです。
2楽章のアダージョ・レチタティーヴォの次に出てくるアンダンテーアレグロの個所は“香港の夕ぐれの雑踏”を思い出させるものとして前から何かの曲に取り入れようとしていたものでした。
また、3楽章の16分音符のトレモロに終始するアレグロ・ヴィヴァーチェは、当時大分関心を高めていた浪花節の大薩摩からヒントを得たもので、作りながら苦笑したものでした。」
浪花節の大薩摩…はぁ~、これに苦労しているのですけどぉ…。
いろんなモティーフがあって、弾く方としては曲作りにけっこう苦労したのですが、なるほど!です。
でも、弾けば弾くだけ面白さが感じられるようになり、是非聞いてほしい1曲です。
CDとかはないようです。
昨日、ちょっとした部屋の模様替えをやったのでした。
2階から少し重い台を持って降りたりしたのです。
右腕にはあまり負担をかけられないので、左に力がかかっていました。
2階の寝室もすっきりしたし、下のリビングも、パソコンやプリンタを使うのに便利になったのです。
コンサートまでは1週間ほどあるので、大丈夫…だとは思いますが…。
昨日、やっとピアノを弾くのに少し力が抜けてきたなぁ、と思ったのにィ。
今回プロムナード・コンサートで弾く曲は、どれも結構速い動きがあって、しかも曲数も多いので、練習はけっこう大変です。
軽快な曲は好きなのですけど、なかなか満足のいく軽快さが出せない…。
そんな中でも一番厄介なのは、尾高尚忠の「ソナチネ」。
ソナチネとは、小さいソナタというのでしょうか、ピアノを習うと、必ずお目にかかるのがクーラウやクレメンティの「ソナチネ」ですが、そういう物とは違って決して易しくない。
ラヴェルのソナチネもそうですけど、そんな感じの曲です。
以前に、ラヴェルとドビュッシーと日本的なものを合わせたような曲と書いたのですが、その通り。
尾高尚忠という作曲家は、1911年9月26日生まれで、1951年2月16日に亡くなっていますから、非常に早逝だったのです。
息子は長男が作曲家の尾高惇忠氏、次男は指揮者の尾高忠明氏で、私が大学のころから指揮者としてけっこう活躍されていました。
指揮者講習会で指導を受けたこともありますけど…。
奥さんはピアニストの節子氏で、このソナチネが載っている楽譜の解説には、節子氏が「1940年、当時はピアノ作品といえば『日本組曲』より他にめぼしいものがありませんでしたので、何か気の利いたソナチネでも作って欲しいと再三催促したところ書いてくれましたもの」だそうです。
以下はその解説の抜粋です。
「前から即興的に弾いていた好きなメロディや音型をあれこれ取り入れて貰って段々に曲の出来上がっていくのを見るときの楽しさは、どんな喜びにも代えることのできないものです。
2楽章のアダージョ・レチタティーヴォの次に出てくるアンダンテーアレグロの個所は“香港の夕ぐれの雑踏”を思い出させるものとして前から何かの曲に取り入れようとしていたものでした。
また、3楽章の16分音符のトレモロに終始するアレグロ・ヴィヴァーチェは、当時大分関心を高めていた浪花節の大薩摩からヒントを得たもので、作りながら苦笑したものでした。」
浪花節の大薩摩…はぁ~、これに苦労しているのですけどぉ…。
いろんなモティーフがあって、弾く方としては曲作りにけっこう苦労したのですが、なるほど!です。
でも、弾けば弾くだけ面白さが感じられるようになり、是非聞いてほしい1曲です。
CDとかはないようです。