一昨日、うちの叔母の家の ももちゃんが旅立ちました。
いつものように、叔母と一緒に店に来たものの、
前夜から呼吸が少しおかしいとの話で、
その様子を見ていると確かにおかしくかなり苦しそう。
そこで、店を閉めるのを待たず車で獣医さんまで走りました。
途中車内で、舌と歯茎の色を確認すると、青みがかっており、
これはいわゆるチアノーゼで明らに酸素不足の状態。
つまり、もう自力呼吸がかなり難しくなっているということ。
そういうわけで獣医さんに着くと即酸素室へ入りそのまま入院。
その後は苦しそうだった表情も緩み、
いつもの もも に戻った様子で一安心できました。
実は、もも は2年前にがんの手術を受け、今年初めにはがんが全身に転移し、
余命2か月と診断されていたのです。
ですので、もう無理に治療もおこなわず、腫瘍を小さくするという注射のみにして、
食事も好きなものをたくさん食べさせるようにしていたところ、
みるみるうちに身体に肉が付き、そして元気になって、
あきらめていた桜の花まで見ることができました。
ほんとうに、あの小さな体のどこにそんなに強い生命力があったのかと驚くほどに。
ですが現実は厳しく、おなかのあたりに転移したがん腫瘍の様子ははすさまじいもので、
獣医さん曰く、本人にはかなりの苦痛もあるはずだろうとのこと。
ですが、そういうそぶりもあまり見せず、辛いときはじっと横になり、
そしてそうでないときは、小さな尻尾を小刻みに振っては
一生懸命私たちに愛想を振りまいてくれていました。
だからなんとなく、その小さな体の中の生命力に、過大な期待をしてしまっておりました。
なんというか、「もも は元気にお店の中で尻尾を振っているのが当たり前。」と…
そして今朝、自宅用の酸素吸入器をレンタルする手はずをしているときに叔母から電話。
最後まで頑張った ももちゃんは静かに旅立ちました。
最後は肺水腫による心不全。
これは眠るように意識を失う、最も痛みの無い逝き方だとか。
長い間痛みと戦いながら頑張った子だから、最後は安らかで本当によかったと思います。
最後の夜病院まで叔母家族がそろって面会に行ったとき、
もも はその姿を見つけ、それまでの苦しそうな表情を一変させ、
いつもの元気な顔に戻りすごく喜んだそうです。
そこで、そのまま連れて帰ることも考えたそうですが、
獣医さんのお話しでは酸素不足の苦痛を与えることになるということで、
泣く泣くそのまま置いていくこととし、
用意が整い次第迎えに行くつもりだったのですが、今一歩及びませんでした。
ですが、最後の時も本当に楽そうで、それゆえに獣医さんも
落ち着いているものと思っていたようです。
迎えに行った叔母たちもそのいつもと変わらぬ様子を見て、驚いたとのこと。
下がその時の様子です。
本当に、くつろいでいるいつもの様子。
横に添い寝するのは、小さなパンダのぬいぐるみ。
これは、ずっと もも が大切にしているお人形で、
まるで自分の子供のように、いつでもくわえて持ち歩いてはかいがいしく世話をし、
そのくわえた跡が、今でもしっかり残っております。
昨晩私たちが最後の面会に行った時も、本当にいつもの もも のようで、
違いといえば、カメラ嫌いのこの子がレンズを向けても顔をそむけなかったことくらいでした。
残念で、悲しくて、辛くて、寂しいのはどうしようもないですが、
この子と暮らせた12年間叔母たち家族はもちろん私たちはすごく幸せでしたし、
なにより、もも は最も幸せなわんこであったと確信していますから、
今のこの悲しみつらさは、その幸せな思い出の反面だと思い、
そうして、暮らしていかねばならないと思うのです。
こうわけで、叔母家族の大切な ももちゃんは旅立ちましたが、あと少しだけこの子の話を。
この子が叔母家族に来ることになった直接のきっかけは、我が家のぷーさん。
話せば少々長くなりますが、できましたらば↓の方をご覧いただければと思います。
http://hisuaki.inukubou.com/inu/inuhanasi/inu25.htm
http://hisuaki.inukubou.com/inu/inuhanasi/inu26.htm
その後、叔母が ももちゃん同伴で私の家の下でお店を開くこととなり、
その結果 ももちゃんは町で名物の看板犬に!
「こんにちは~!」
電車に乗ってのこの出勤風景もおなじみに。
そんなわけで、ちろっとだけどテレビにも出たよ。
だからみんなの人気者で、お店に来られるだれもが「ももちゃん!ももちゃん!」
もう、商品よりもむしろ、もも に会いに来られているのではない?そんな感じも。
で、中にはこういう人も もも に会いにやってくる!
「うがぁ~!食べちゃうぞ~!」
だからいつも大の人気者でした。
「いっちばぁ~ん!」
そうそう、実はつい先週少し奇妙なことがあったのです。
この頃少し元気がなくなり、出勤後の散歩もほとんど歩かなくなっていた ももちゃんですが、
この日はやけに元気で商店街の中をズンズンと勢い良く歩いていたのです。
そして、私の店の前に来た時、いつもなら軽く挨拶をして通り過ぎるだけなのに、
この日は大喜びで店の中に入り込み、そしてまるで何かを確認するかのようにあちこちのにおいをチェック。
「くんくんくん…」
「よし、こんどはこっちね!」
「むむ!これはよく調べないと…」
「くんくんくん、よしだいたいOKね!」
こういうことは最近ではほとんどなかったので、
今思うともしかしたら最後のあいさつのつもりだったのだろうかとも。
(不思議と過去に、ほかの子の場合も直前にこういった行動をとったことがあるのです。)
叔母家族にとってはもちろんのこと、
わたし達にとっても、大切な親戚であり家族であったももちゃん。
時分長く頑張ったから、いまは苦しみのない楽な世界で、私たちのことをしばらく待っていてちょうだい。
たぶんそこには、ほかにもよい子がたくさんいるから。
もも記事
http://blog.goo.ne.jp/pudo-ru/e/92c98034aaaf006efe4ed5de860bf84d
http://blog.goo.ne.jp/pudo-ru/e/dd1a7966aa42877afebb795ce1a80c32
いつものように、叔母と一緒に店に来たものの、
前夜から呼吸が少しおかしいとの話で、
その様子を見ていると確かにおかしくかなり苦しそう。
そこで、店を閉めるのを待たず車で獣医さんまで走りました。
途中車内で、舌と歯茎の色を確認すると、青みがかっており、
これはいわゆるチアノーゼで明らに酸素不足の状態。
つまり、もう自力呼吸がかなり難しくなっているということ。
そういうわけで獣医さんに着くと即酸素室へ入りそのまま入院。
その後は苦しそうだった表情も緩み、
いつもの もも に戻った様子で一安心できました。
実は、もも は2年前にがんの手術を受け、今年初めにはがんが全身に転移し、
余命2か月と診断されていたのです。
ですので、もう無理に治療もおこなわず、腫瘍を小さくするという注射のみにして、
食事も好きなものをたくさん食べさせるようにしていたところ、
みるみるうちに身体に肉が付き、そして元気になって、
あきらめていた桜の花まで見ることができました。
ほんとうに、あの小さな体のどこにそんなに強い生命力があったのかと驚くほどに。
ですが現実は厳しく、おなかのあたりに転移したがん腫瘍の様子ははすさまじいもので、
獣医さん曰く、本人にはかなりの苦痛もあるはずだろうとのこと。
ですが、そういうそぶりもあまり見せず、辛いときはじっと横になり、
そしてそうでないときは、小さな尻尾を小刻みに振っては
一生懸命私たちに愛想を振りまいてくれていました。
だからなんとなく、その小さな体の中の生命力に、過大な期待をしてしまっておりました。
なんというか、「もも は元気にお店の中で尻尾を振っているのが当たり前。」と…
そして今朝、自宅用の酸素吸入器をレンタルする手はずをしているときに叔母から電話。
最後まで頑張った ももちゃんは静かに旅立ちました。
最後は肺水腫による心不全。
これは眠るように意識を失う、最も痛みの無い逝き方だとか。
長い間痛みと戦いながら頑張った子だから、最後は安らかで本当によかったと思います。
最後の夜病院まで叔母家族がそろって面会に行ったとき、
もも はその姿を見つけ、それまでの苦しそうな表情を一変させ、
いつもの元気な顔に戻りすごく喜んだそうです。
そこで、そのまま連れて帰ることも考えたそうですが、
獣医さんのお話しでは酸素不足の苦痛を与えることになるということで、
泣く泣くそのまま置いていくこととし、
用意が整い次第迎えに行くつもりだったのですが、今一歩及びませんでした。
ですが、最後の時も本当に楽そうで、それゆえに獣医さんも
落ち着いているものと思っていたようです。
迎えに行った叔母たちもそのいつもと変わらぬ様子を見て、驚いたとのこと。
下がその時の様子です。
本当に、くつろいでいるいつもの様子。
横に添い寝するのは、小さなパンダのぬいぐるみ。
これは、ずっと もも が大切にしているお人形で、
まるで自分の子供のように、いつでもくわえて持ち歩いてはかいがいしく世話をし、
そのくわえた跡が、今でもしっかり残っております。
昨晩私たちが最後の面会に行った時も、本当にいつもの もも のようで、
違いといえば、カメラ嫌いのこの子がレンズを向けても顔をそむけなかったことくらいでした。
残念で、悲しくて、辛くて、寂しいのはどうしようもないですが、
この子と暮らせた12年間叔母たち家族はもちろん私たちはすごく幸せでしたし、
なにより、もも は最も幸せなわんこであったと確信していますから、
今のこの悲しみつらさは、その幸せな思い出の反面だと思い、
そうして、暮らしていかねばならないと思うのです。
こうわけで、叔母家族の大切な ももちゃんは旅立ちましたが、あと少しだけこの子の話を。
この子が叔母家族に来ることになった直接のきっかけは、我が家のぷーさん。
話せば少々長くなりますが、できましたらば↓の方をご覧いただければと思います。
http://hisuaki.inukubou.com/inu/inuhanasi/inu25.htm
http://hisuaki.inukubou.com/inu/inuhanasi/inu26.htm
その後、叔母が ももちゃん同伴で私の家の下でお店を開くこととなり、
その結果 ももちゃんは町で名物の看板犬に!
「こんにちは~!」
電車に乗ってのこの出勤風景もおなじみに。
そんなわけで、ちろっとだけどテレビにも出たよ。
だからみんなの人気者で、お店に来られるだれもが「ももちゃん!ももちゃん!」
もう、商品よりもむしろ、もも に会いに来られているのではない?そんな感じも。
で、中にはこういう人も もも に会いにやってくる!
「うがぁ~!食べちゃうぞ~!」
だからいつも大の人気者でした。
「いっちばぁ~ん!」
そうそう、実はつい先週少し奇妙なことがあったのです。
この頃少し元気がなくなり、出勤後の散歩もほとんど歩かなくなっていた ももちゃんですが、
この日はやけに元気で商店街の中をズンズンと勢い良く歩いていたのです。
そして、私の店の前に来た時、いつもなら軽く挨拶をして通り過ぎるだけなのに、
この日は大喜びで店の中に入り込み、そしてまるで何かを確認するかのようにあちこちのにおいをチェック。
「くんくんくん…」
「よし、こんどはこっちね!」
「むむ!これはよく調べないと…」
「くんくんくん、よしだいたいOKね!」
こういうことは最近ではほとんどなかったので、
今思うともしかしたら最後のあいさつのつもりだったのだろうかとも。
(不思議と過去に、ほかの子の場合も直前にこういった行動をとったことがあるのです。)
叔母家族にとってはもちろんのこと、
わたし達にとっても、大切な親戚であり家族であったももちゃん。
時分長く頑張ったから、いまは苦しみのない楽な世界で、私たちのことをしばらく待っていてちょうだい。
たぶんそこには、ほかにもよい子がたくさんいるから。
もも記事
http://blog.goo.ne.jp/pudo-ru/e/92c98034aaaf006efe4ed5de860bf84d
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