「におい」。
漢字で書くと、「臭い」であったり、「匂い」であったり。
その使い分けとしては、「臭い」は、いやな、くさい、そういう「におい」。
一方「匂い」は、ここちよい、気持ちよい、好ましい、そういう「におい」。
ですが、時折このどちらの感じがふさわしいか悩むときがあります。
まあ、一番多いのは、「臭くはないけど、かといってよいとも思えない中間のにおい。」
無臭ではないけれど、存在がそんなに気にならないにおい。
こういう場合、悩んだ末漢字を使わず「におい」とひらがなで表記しております。
ですが先日友人と話をしていた際、
それともまた違う「におい」の存在があるなという話になり、
「こういう時なんか新しい漢字が欲しいよな~。」となりました。
その「こういう時とは」こういう時。
「臭い臭いなのだが、好ましいにおい。」
「くさっ!」とか思いながらも、ついもう一度かぎたくなる臭い。
具体的には、ゴムやエンジンオイルの臭いのような無機的なものから、
自分の足の爪や靴下臭いなど有機的なものまでかなり広範囲。
こういうのは人により千差万別ですが、
誰にでも、一つや二つはあると思います。
この手のものは、その個人の嗜好性が大きく影響するので、
ある意味
「フェティシズム」(↓)とも大いに関連があるのであろうとも思っております。
(本来的な意味ではなく、広く用いられている誤用としての「○○フェチ」)
それとに似ているといえば、発酵食品などに代表される「食品のにおい」もありますね。
食べなれない人にはたまらない「悪臭」なのに、食べなれた人には食欲をそそる「匂い」」となる。
こういう場合、単純に「臭い」というのも違う気がするし、
かといって「匂い」だとも、決して思えない。
だからこういう漢字を当ててみたらどうでしょう?
さて、実は友人との話ここでは終わらずさらに続きまして…
「犬のにおいも、臭いけどええにおいやんなぁ。」
「そうそう、あれは絶対臭いけどええにおい。」
というわけで、もう一種類の悪臭なのに良いと感じるにおいの存在。
前述のものは、悪臭の中にも何か嗜好性を刺激し引き付ける魅力があったのですが、
今度の場合は少し違って、その対象の
「愛しさ」が、「臭さ」を凌駕してしまっている状態。
先ほどの例では犬の臭いでしたが、他にもいろいろあるはずで、
例えば、私の場合、
小さかった娘が、夏場に汗をかいたつむじ(頭)のにおい。
などが真っ先に思い浮かびます。
こういう臭いは、嗅ぐと確かに臭いけれど、
それ以上に安心し、幸せな気分になれるものなのです。
それは、その対象に対する深い愛情があるからこそ、
臭いの中に、強くその存在を再確認できるからなんでしょうね。
(そういう意味では前述の、自分の爪の臭いも、「自己愛」なのでこっちのジャンルですね。)
だからそういう場合はこういう漢字を当ててみたくなります。
こうしてみると、なんだか嗅覚って、それ以外の味覚・聴覚・視覚。
それらの感覚に比べ、あまり細分化されていない気がしてきません?
実は多分それにも理由があるはずで…
以前↓も書きましたが、「におい」って、時においては視覚・嗅覚以上に感情や記憶を刺激します。
(
「記憶の香り」)
不思議なことであるのですが、思えばこれは当然のことで…
それはなぜなら、生物が触覚の次に最初に得た感覚が嗅覚だから。
そして聴覚、視覚と順に獲得してきたのです。
ですので、今でも「におい」を処理する際、
嗅覚は、脳の古い(原始的な)部位を通じて情報処理しています。
一方、視覚・聴覚などは、脳の新しい部位や、更に多くの器官を通じ情報処理しております。
(嗅覚に由来する「味覚」ですら、古い部位を使いつつも、新しい他の部位を通じ情報処理されています。)
そういう意味では、
「嗅覚」は非常に「原始的な感覚」であり、「本能的な感覚」ということもできます。
(
だからこそ、記憶や感情にも強く直接的に働きかけるのでしょうね。)
つまり言い換えると、生物としての本能的な感覚とは、
つまり生きていくためには、
「避けるべきかどうか」、「○か×か?」、
その判断を一瞬で決定せねばならないときの唯一・最大の判断基準となる感覚。
つまり、それが嗅覚であるのです。
だからこそ、いまだに「におい」については「YES」。「NO」の二者択一。
つまり「匂い」と「臭い」が主流なのではないでしょうか。
でも、便利で使いやすい視覚・聴覚が何かにつけ優先され細分化されているのだから、
もっと古くから持っている嗅覚も、その表現方法も今後もっと広がってもいい気がしているのですよ。
ちなみに、どんな「におい」でも。
70%以上の人が不快に感じるにおいなら、それは「悪臭」と定義されるようです。
でもその70%ってどうやって決めてるんだろう?