唐茄子はカボチャ

映画と音楽と・・・

ディセント

2007年01月24日 | 映画 た行
退屈で途中から早送りしてしまいました。

出口なし!逃げ場なし!酸素はあるだろ!って感じですもんね。付け加えれば、面白みなし!って感じでしょうか。
途中退屈で映画館を出たくなった。それほど退屈だ。とTOTALFILM社から評されるほど・・・あ、間違ったか。

最初のみんなの無駄に明るいのもいやだし、キーキ-うるさいのもやだし、誰が誰だかわからないのもいやだし、まったく退屈でした。いろんな映画をパクっているようなところもいやだし。

中途半端な生き物出さないで本当に閉じ込められて酸素がないような状態にさせちゃった方が面白みがあると思うんだけど・・・あと、してしまった女の人を許したほうが面白いと思うんだけどなあ・・・

DVD終わってからのトップ画面でもキーキ-いってるし・・・
ああ、いやだいやだ。

ダーウィンの悪夢のタンザニアの歌

2007年01月24日 | ほか
ダーウィンの悪夢でとても印象的な歌でしたが、プログラムによると、「ナクベンダ タンザニア」という歌で、第2の国歌と言われて、国歌以上にうたわれているんだとか。

タンザニア、私はあなたを心から愛します。あなたの名前はとても美しい。眠るとき私はあなたを夢に見、起きているときはあなたを誇りに思う・・・

という内容ですが、ストレートに国を思う気持ちがあらわれていて、売春で生きるしか道がない女性が歌うシーンはとても印象的でした。

ヴィムヴェンダース監督がランドオブプレンティのインタビューで、貧困な街ほど星条旗が飾られていて、間違いなく国を愛する気持ちからそうしている・・・みたいな話をしていたのを思い出しました。

ベルリン天使の詩

2007年01月24日 | 映画 さ行
霊の存在があったとして、魂が永遠に生き続けるとして・・・でも、その意識の存在は現実の世界に対してなんに働きかけもできなかったら・・・働きかけられるとしても他の人の微妙な心の変化を生み出すだけだったら・・・その中で長年築き上げてきた知識も、その知識を生かす場所もない、人の心の声が聞けたってなんの意味もないもので、人間にとって存在はない・・・幻です。
彼らの存在意義はただそこでうろうろしているだけの存在なのです。

古代の人にとって魂の存在、永遠に魂は死なないということは必ずしも救いとして受け止められていたのではなく、肉体が滅んでからも苦痛が永遠に続くというとらえ方をしていたと、本で読んだことがあります。この場合は、奴隷としての生活が永遠に続くと言う苦痛だったわけですけれども、世界に対して何の働きかけもできない、ただ映画をみるだけのような世界だったら、永遠の魂の存在なんて、ただの苦痛でしかないのでしょう。拷問ですよ。ただ永遠に存在しろ!なんていうのは。

いくら人間が悩んだり喜んだりしていても、恋愛したり悲しんだりしていても、そういうものをいくらみてきても、そこに自分はいないわけです。
身体、命の制約、限られた時間の制約、重力の制約の中での存在になることでしか、自分の存在意義はないわけですね。その制約があるからこそ自由になれるのです。抵抗があるからこそ運動がおきるのです。

そういえば、いろんな映画で永遠の命ってテーマになりますが、それを求める人の欲望よりも、永遠の命をもった人の悲しみみたい方が、テーマとしては面白いような気がします。カーズも死のうにも死ねないので考えるのをやめたのです。

時々カラーになる瞬間はなんだったのか・・・でも、その瞬間、時代がいつなのかがわからないような白黒映像が流れる中で、カラーになったときに、現代にに引き戻されたような不思議な気分になりました。

後半部分で、現実の世界から見た映像がカラーで、霊(天使?)の存在からみた映像が白黒だったことはわかるわけですが、じゃあ、何で前の部分だけカラーだったり、薄い色だったりするところ派どういう意図でやられたのか、見返せばもしかしたらわかるかもしれないけれど、何度もみようとは思わないし・・・

最後、サーカスの女の人にあのままであえなかったらちょっとした悲劇だと思いましたが、とりあえずよかったです。

死にそうな人に東京・・京都・・・とか、いい続けていくところで、その後のシーンで歩き去っていくシーンでまたいろんな言葉を続けて言うところはなぜかぐっと来るところです。理解するとかいう次元でなく、感覚なのかなあ・・・そこで、人間は理解できなくても泣けるんだってなんとなく思いました。何で泣いているのかの理由も要らないのですね。きっと、感覚で泣けます。泣かそうというつくる側の意図で理由をつくらなくても、観客を泣かすこともできるのではないでしょうか。

子供のとき・・云々というところもとても印象に残るし、老人の言葉とか、広場はここじゃないとかいうところもなんかグッと来る。

同じ言葉を繰り返しつかうのって効果的なんですね。

・・・と言うわけで、ヴィムヴェンダース監督の映画は最近観るようになってきましたが、その中では、どちらかと言うと、ゴールキーパー的な感覚の映画のような気がしました。この詩的な感じが好きな人は好きなんだろうなあ・・・

というわけで、よくわからない映画でした。映画というのは、すべてをわからなくちゃいけないとか、そういうものではないのかもしれません。受け止めなんて人それぞれだしね。