唐茄子はカボチャ

映画と音楽と・・・

わが道

2007年09月16日 | 映画 ま・や・ら・わ行
わが道

パイオニアLDC

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演歌みたいな音楽が流れる中でいきなり村が過疎になっていく中でおこったいろんな事件の記事が何個か出されて・・・
そこでいきなり新藤さんの「目」を感じました。「性」の目線と、むらの掟というか・・・・

夫が出稼ぎか何かで・・もしかして、死んじゃってかな?生きていくために体を売る母娘もそうです。そこには、田舎ってすばらしい・・・なんていうものはいっさいない。ただ、必死に命を削って生きるというか、心を削って生きるというか・・・そういう世界を感じました。

そして、老夫婦の話。
2人とも体を壊して貧しく生きているわけだけど、なんか、「昔の話」ではなくて、今も同じだと思いました。こういう悩みを抱えながら生きている人がこの周りにも何人もいると思います。
2人がそこにいることが違和感がなくて、本当にそこで、そうやって生活しているみたいでした。
旦那が出稼ぎに出て、そこでうまくいかずに帰ってくる途中で消息がわからなくなり、実は品川で(!)倒れて病院に運ばれ、ごちゃごちゃやっている内に亡くなっちゃって、身元不明のまま病院で解剖の教材にされていた!ということになっていて・・・・

奥さんにとってはかけがえのないだんなさんなんだけど、警察も病院も区役所(何で港区?)もただの身元がわからない厄介な荷物だったわけです。解剖していた病院だけは、解剖の対象として意味がある存在だったわけですけど・・・途中でもって帰られたら困るといっていたのはなんか面白い。裁判の証言も面白い。

寂れていく社会の中で必死に生きている人たちに何も手を差し伸べない国と自治体。人間一人なんて、ただの名簿上の紙切れ・・・それ以下かもしれないけど、ただ単に「1人」と数字であらあされるだけのものなんでしょう。
でも、こうやって一人一人にスポットをあてれば、みんなそれぞれに人生を持った一人一人になるわけだけど・・・それができないところは昔も今も変らないですね。
毎日おこる事件や出来事に登場する一人一人に人生があるんですね。

裁判のシーンは、これでもかこれでもかというぐらい延々と・・・長々と・・・やってました。そのわりには、判決はあっさり。それで勝利集会。その集会でのミノさんのあいさつも、ありきたりで普通で・・・

家で「みんなは勝ったがオレが勝ったわけじゃねえ」「勝ったことだけが残ればいい」と漏らした言葉が意味がありげで・・・本当に望んでいたことは、おかねでも、そこでの勝利でもなく、苦しくても一緒に暮らしていたかっただけがのぞみだったのだろうし・・・・このままここに住み続けて、自分がいなくなってから、だんなの遺骨が粗末に扱われてしまったら、同じことだと思ったのかな。

勝った勝った!万歳!で終わらない話でした。