実際の未解決の事件の話です。この事件の影響が少なくなってきた今だからこそここまでできたのかな?遺族がつらいんじゃないのかなあ・・・
実話だという前提があるので、解決していないという結果はわかっているわけで・・・でも、同時に最初の車の中でのカップルの会話などは、ひとつの想像を提供されただけなので、実際どうだったのかな?なんてちょっと思ったりもします。
あたりまえの話ですけど、彼が怪しいとか、犯人だとか、そういうものは、映画が勝手に導いてくれる物で、観る人が映画の中で与えられた材料を手がかりにで犯人を探すわけでもないし・・・
映画の中に出てくる人の心の動きというか、謎解きにはまっていって抜けられなくなって、人生を翻弄されていった人たちを描いたというのが大きなテーマなんでしょうね。
あとは、情報の氾濫が何が真実かをわからせなくするというのも感じました。「ゾディアック」という犯人が一人歩きし始めるというか・・・マスメディアや大衆によって、真実でないゾディアックを作り出したとも思えるし、それを最初から狙っていたともいえるかも。
真実を探すときは、その連関・・・つながりをたどって、広げて、または絞っていく作業をするわけですが、その情報自体が間違った結論にたどり着くように仕掛けられているようでもあり・・・でも、自分の集めた情報~えた自分の確信というものを捨てきれないために違う正しい情報を認めなくなっちゃったり・・・そう、客観的じゃなくなってしまいます。いつのまにか自分のつくり上げた真実によって自分を翻弄させてしまうのかもしれません。
もしかしたら、ゾディアックという人物ははじめから存在しない、誰かがつくり上げた人物で、その誰かが、いろんな殺人事件をそれっぽくつなぎ合わせただけなのかもしれません。・・・となれば、そういった情報を集められる人物・・・なんてね。・・・あ、殺したって電話で話したんだからそんなこと無いか。
うーむ・・・考えていくとたしかにはまり込んでいくのかもしれませんね。
殺した人数とか、凶悪さならもっとすごい人がいたかもしれないけれど、それがみんなをひきつけてしまうのは、いろんな推察ができて、真実にたどり着けない「謎」の部分なんでしょうね。
ブロークバックマウンテンの人(たぶん)と刑事さんがとてもいい味をだしています。
映像がきれいなのと、殺されるシーンがあっさりしているところが怖かったです。
ちょっと長かったかな?
あと、映画館の画像が最初と最後のほう、ぶれて観づらかった。
実話だという前提があるので、解決していないという結果はわかっているわけで・・・でも、同時に最初の車の中でのカップルの会話などは、ひとつの想像を提供されただけなので、実際どうだったのかな?なんてちょっと思ったりもします。
あたりまえの話ですけど、彼が怪しいとか、犯人だとか、そういうものは、映画が勝手に導いてくれる物で、観る人が映画の中で与えられた材料を手がかりにで犯人を探すわけでもないし・・・
映画の中に出てくる人の心の動きというか、謎解きにはまっていって抜けられなくなって、人生を翻弄されていった人たちを描いたというのが大きなテーマなんでしょうね。
あとは、情報の氾濫が何が真実かをわからせなくするというのも感じました。「ゾディアック」という犯人が一人歩きし始めるというか・・・マスメディアや大衆によって、真実でないゾディアックを作り出したとも思えるし、それを最初から狙っていたともいえるかも。
真実を探すときは、その連関・・・つながりをたどって、広げて、または絞っていく作業をするわけですが、その情報自体が間違った結論にたどり着くように仕掛けられているようでもあり・・・でも、自分の集めた情報~えた自分の確信というものを捨てきれないために違う正しい情報を認めなくなっちゃったり・・・そう、客観的じゃなくなってしまいます。いつのまにか自分のつくり上げた真実によって自分を翻弄させてしまうのかもしれません。
もしかしたら、ゾディアックという人物ははじめから存在しない、誰かがつくり上げた人物で、その誰かが、いろんな殺人事件をそれっぽくつなぎ合わせただけなのかもしれません。・・・となれば、そういった情報を集められる人物・・・なんてね。・・・あ、殺したって電話で話したんだからそんなこと無いか。
うーむ・・・考えていくとたしかにはまり込んでいくのかもしれませんね。
殺した人数とか、凶悪さならもっとすごい人がいたかもしれないけれど、それがみんなをひきつけてしまうのは、いろんな推察ができて、真実にたどり着けない「謎」の部分なんでしょうね。
ブロークバックマウンテンの人(たぶん)と刑事さんがとてもいい味をだしています。
映像がきれいなのと、殺されるシーンがあっさりしているところが怖かったです。
ちょっと長かったかな?
あと、映画館の画像が最初と最後のほう、ぶれて観づらかった。