唐茄子はカボチャ

映画と音楽と・・・

JSA

2007年09月28日 | 映画 さ行
JSA

東芝デジタルフロンティア

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個々の人間は同じ民族で、わかりあえるのに、国家という大きな壁がそこに立ちはだかります。

国家間の対立の前に個人の心の交流は小さいもののようにも見えますが、でも、この個々の人間の交流こそが人間の本質であると思います。

大きな流れの中で個々がつぶされてしまうという現実もありますが、必ず、その個々の思いが大きなうねりとなリ、国家を動かすときが来ると思います。

朝鮮半島の絶望と希望を感じました。

イ・ヨンエさんがきれいです。言葉がきれいです。韓国語の「はにょへにょよー」いう感じが女性が言うとかわいいんですよね・・・

北朝鮮の兄貴役の人の演技が光ります。グエムルの人かな?グエルム?グエムル?なんだっけ?

プラトーン

2007年09月28日 | 映画 は行
プラトーン (特別編)

20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン

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昔々に見たっきりでした。

ベトナム戦争がどういう意味をもつ戦争なのかはこれをみてもわかりません。

だって、そもそもなんでアメリカはそこにいるのか。ベトナムの地にいて、ベトナム人を殺して、それだけで、アメリカの振りかざしていた「正義」がかなり怪しい事がわかります。

そんな正義でない戦争ではありますが、その地にいる兵士にとってはそれはあまり問題ではなくなります。敵を殺して生きるのびるか死ぬか。それだけが行動の動機になります。

だから、エリアスとバーンズでしたっけ?2人の対立は、そういう戦争の中では大きなことではない。と思うのです。一般社会の中での倫理では、エリアスは正しいわけだけれども、戦争自体がそういった倫理からかけ離れたものだと思うので、あの状況でエリアスの考えのほうが浮いてしまうとも思えるのです。そういった中だからこそ、あの行動ができたことがすばらしいともいえるわけだけれども・・・

カジュアリティーズの時も思いましたが、戦争という倫理からはずれた世界の中で、軍人に倫理を求めるのって不思議な感じがします。

戦争なんだから何でもありという意味でなくて、アメリカの戦争そのものに正義がないのに、小さいところに正義のルールがあるところがおかしいのです。しかも、兵士には、理性をなくす教育をしているくせに!

まあ、そういった小さいところでの正義感や、倫理的なルールは、不正義の戦争を正義にみせるためのものでもあるのかな?

アメリカの一兵士の戦争の体験という点では見せる作品だと思います。