昨日の神戸新聞から・・・
2014日本酒フォーラムにおける
ソムリエの田崎真也氏と
フードコラムニストの門上武司氏が
日本酒と和食の相性についてトークセッションした内容が記事になっていた
「日本酒と料理の相性」の提言や
「呑む温度」と「酒器」による酒質の感じ方の違いなど
分かりやすい表現でセッションしていただいている
日本酒の消費者に新しい気付きを促す意味では
本当にありがたいことです
ただ上記画像の田崎さんのテイスティングセミナーの
「大関辛丹波」の項で気になる文言が・・・
「原料は米・米麹・醸造用アルコールだが、醸造用アルコールと書いてあると”日本酒じゃない”と言う人もいるが
仕込みの途中でスピリッツを加えるのは日本の伝統的技法。全体の味のトーンを優しくし、軽快な印象を与える。香りの変化もある程度抑えられるので、安定性もある。」
恐らく赤字の部分は「柱焼酎」のことを言っているのだろうが
これを日本の伝統的手法と全肯定されるのは如何なものか?
昔の日本酒造りは
基本的に「米」「米麹」「水」のみを用いて
天然の乳酸菌が生成する乳酸の酸により
他の雑菌から酵母を守りながら育てる伝統手法の「きもと造り」で
醸されていた
だが蔵付きの硝酸還元菌や乳酸菌や酵母が順次とりこまれなかったり
冬の仕込み時期の気温が高かったり
不衛生であったりしたときには
常に腐造の危険性と隣合わせであった
そんな腐造の危険性を察知した時に
自分の蔵で蒸留した米焼酎(柱焼酎)を
醪(もろみ)や搾ったあとの清酒に添加し
腐造のリスクを少なくしたのである
けっして能動的に米焼酎を添加したのではなく
醪を腐らせずに酒にするための緊急避難策として用いたのが「柱焼酎」であると理解している
また能動的添加しはじめたのは
昔の酒はミリンの如く鈍重で甘い酒質であったので
スッキリと呑み易くする秘法としての米焼酎添加(柱焼酎)があったようである
現在の清酒はきれいな辛口の酒質で
衛生管理も万全で
腐造のリスクは限りなく小さい!
それなのにアル添する意味合いがあるのか?
醸造用アルコール添加は確かに
味のトーンを変えたり(甘ったるさを抑えて薄辛くする)、
吟醸香を増幅させたり
安定させたりするための技法ともいえるが・・・
そんな小手先の技術が本当に日本酒にとって必要なのだろうか?
酒質的なものも含めてアル添せずとも
全て純米酒で実現可能だとおもうのだが・・?
なにはともあれ
醸造用アルコール添加を日本酒の伝統的手法と肯定的に言いきるのは
如何なものか?
かなり語弊があると言わざるを得ない
ここだけは譲れないところであり
ひっかかってしまった
しかし日本酒文化を
西洋のワイン文化の立ち位置にまで
引きあげたいと言う思いは同じである
田崎さんと門上さんの消費者目線による
新しい視点での日本酒への提言は本当にありがたいことだ
2014日本酒フォーラムにおける
ソムリエの田崎真也氏と
フードコラムニストの門上武司氏が
日本酒と和食の相性についてトークセッションした内容が記事になっていた
「日本酒と料理の相性」の提言や
「呑む温度」と「酒器」による酒質の感じ方の違いなど
分かりやすい表現でセッションしていただいている
日本酒の消費者に新しい気付きを促す意味では
本当にありがたいことです
ただ上記画像の田崎さんのテイスティングセミナーの
「大関辛丹波」の項で気になる文言が・・・
「原料は米・米麹・醸造用アルコールだが、醸造用アルコールと書いてあると”日本酒じゃない”と言う人もいるが
仕込みの途中でスピリッツを加えるのは日本の伝統的技法。全体の味のトーンを優しくし、軽快な印象を与える。香りの変化もある程度抑えられるので、安定性もある。」
恐らく赤字の部分は「柱焼酎」のことを言っているのだろうが
これを日本の伝統的手法と全肯定されるのは如何なものか?
昔の日本酒造りは
基本的に「米」「米麹」「水」のみを用いて
天然の乳酸菌が生成する乳酸の酸により
他の雑菌から酵母を守りながら育てる伝統手法の「きもと造り」で
醸されていた
だが蔵付きの硝酸還元菌や乳酸菌や酵母が順次とりこまれなかったり
冬の仕込み時期の気温が高かったり
不衛生であったりしたときには
常に腐造の危険性と隣合わせであった
そんな腐造の危険性を察知した時に
自分の蔵で蒸留した米焼酎(柱焼酎)を
醪(もろみ)や搾ったあとの清酒に添加し
腐造のリスクを少なくしたのである
けっして能動的に米焼酎を添加したのではなく
醪を腐らせずに酒にするための緊急避難策として用いたのが「柱焼酎」であると理解している
また能動的添加しはじめたのは
昔の酒はミリンの如く鈍重で甘い酒質であったので
スッキリと呑み易くする秘法としての米焼酎添加(柱焼酎)があったようである
現在の清酒はきれいな辛口の酒質で
衛生管理も万全で
腐造のリスクは限りなく小さい!
それなのにアル添する意味合いがあるのか?
醸造用アルコール添加は確かに
味のトーンを変えたり(甘ったるさを抑えて薄辛くする)、
吟醸香を増幅させたり
安定させたりするための技法ともいえるが・・・
そんな小手先の技術が本当に日本酒にとって必要なのだろうか?
酒質的なものも含めてアル添せずとも
全て純米酒で実現可能だとおもうのだが・・?
なにはともあれ
醸造用アルコール添加を日本酒の伝統的手法と肯定的に言いきるのは
如何なものか?
かなり語弊があると言わざるを得ない
ここだけは譲れないところであり
ひっかかってしまった
しかし日本酒文化を
西洋のワイン文化の立ち位置にまで
引きあげたいと言う思いは同じである
田崎さんと門上さんの消費者目線による
新しい視点での日本酒への提言は本当にありがたいことだ
久田さんの言われる通り、純米酒よりアル添酒のほうが美味しい蔵元の酒があるのも事実だし、アル添酒よりずーっとスッキリとキレる純米酒を作る技術をもった蔵元が多くなったのも事実だし・・・難しいところですね。
柱焼酎は、必要悪ともいえると思うのですが、全肯定されるのは、個人的に納得がいきませんね。
日本酒=純米酒=国酒を世界に発信できるのがベストだと思っています。