当店の酒屋としての創業は、1962年で私が2代目となります。
オヤジが創業して12~13年間は、もちろん定価販売で売上額はそこそこ上がり、儲け放題の時代だったようですが、その後は酒販店同士の商圏の奪い合いやディスカウントショップ等の出現により、酒類の売上は逓減するばかりになりました。
そこでオヤジは酒屋の先行きに限界を感じ、1976年ごろ魚屋と仕出屋をはじめ、1988年には寿司屋も開店し、オヤジ・おふくろ・私・弟・パート3名程度でまわして、何とか生活できました。その間に酒屋の売上は、月商20万程度まで落ち込みました。にもかかわらず酒類の定価販売はかたくなに守ってました。
その後、私の結婚と父の死をきっかけに密かに暖めていた計画を実行に移しました。酒屋の古い建物を壊して、新たにお酒のDS(ディスカウントショップ)を立ち上げることでした。この事業展開により寿司・仕出し部門は弟とおふくろにまかせて、私と嫁さんは酒部門に専念することとなりました。(写真は、弟にまかせた寿司屋です。)
オヤジが創業して12~13年間は、もちろん定価販売で売上額はそこそこ上がり、儲け放題の時代だったようですが、その後は酒販店同士の商圏の奪い合いやディスカウントショップ等の出現により、酒類の売上は逓減するばかりになりました。
そこでオヤジは酒屋の先行きに限界を感じ、1976年ごろ魚屋と仕出屋をはじめ、1988年には寿司屋も開店し、オヤジ・おふくろ・私・弟・パート3名程度でまわして、何とか生活できました。その間に酒屋の売上は、月商20万程度まで落ち込みました。にもかかわらず酒類の定価販売はかたくなに守ってました。
その後、私の結婚と父の死をきっかけに密かに暖めていた計画を実行に移しました。酒屋の古い建物を壊して、新たにお酒のDS(ディスカウントショップ)を立ち上げることでした。この事業展開により寿司・仕出し部門は弟とおふくろにまかせて、私と嫁さんは酒部門に専念することとなりました。(写真は、弟にまかせた寿司屋です。)
今月の売上より仕入れが多いときがありす。
その時には、家内が ドドードカーン
バリバリバリ と雷が落ちます。
年々強くなる一方です。 お互い
いばらの道を歩みましょう。(笑い)
(笑)
よい選択です。(^^♪
どっちを継ぐ方がいいと思いますか?
酒屋に対するこだわりがあったのでしょうか?