つづれ日記

不定期更新です。日常の日記だったり、悩みだったりを綴ったりしています。内容は特に統一性はありません。

心境の変化と…

2013-06-23 | 考エゴト
さんざん迷って、落ち込んで、こんがらがって、
どこかに向かってるのか、戻っているのか、立ち止まっているのか、
そう言うのが全部分からなくなっていた。

ふとした拍子に涙が込み上げてくるし、
そういった状態になること自体をどう判断したらいいかも分からず、
相談したらいいのか、黙せばいいのか、
相談するとしたらどう言えばいいのか、誰に言えばいいのか、
何を話せばいいのか、何を話したいのか、
そう言うのも全部分からなくなっていた。

――何のために相談するんだ?許してもらいたいからか?
  それは甘えすぎじゃないのか?
そういう思いが離れなくて、一言も話せなかったり、
表現を誤魔化したり、言いたいことの大半を黙したり。

ずっと表情を曇らせていても心配をかけるばかりで、
だからと言って笑っているのも申し訳ないような責められるような気がして、
誰かと顔を合わせるのがしんどくて。



そうした中で、大学時代の友人から、誕生日のプレゼントが届きました。
メッセージカード風の本でした。
数ページの、可愛らしい、その友人らしいプレゼント。

「プレゼントをくれた」。

それだけでも凄くうれしかったのに、
本の中を読んで、もう涙が止まらなくなりました。



『どんな毎日も
 あなたが あなたらしく いられますように
 しあわせな 毎日でありますように
 いつも 祈っています』

それから、本の最後の、友人からのメッセージ。

「また会おう」と。
「あなたの幸せを、本当に祈っている」と。



肩の荷が、一気に軽くなった感じがしました。


私が、私らしく―――――

かつて、自分で自分に言い聞かせてた言葉のはずなのに、
すっかり忘れてしまっていた。
変わらなければいけない、現状のままじゃいられない。
そればかり、考えていた。「自分」を否定していた。

でも、思い出した。
本当に楽しかった、大学時代。
私自身、一番のびのび過ごせた時期。
今まで生きてきた中で、唯一、「戻りたい」と思える時。
「もう、戻れない。二度と、あの楽しい時は訪れない。」
思い出しては、もう手が届かないことを、嘆くばかりだったけれど。

でも、違うんだ。

確かに、戻れないけれど。
もう訪れないわけじゃない。
いろいろな変化はあっても、また「楽しい」と思える時はやってくる。

今の自分が嫌で、どうにかしたくて、
でもどうしたらいいか分からなかったけど。
あの時私は、確かに、自分が好きだった。
今でも、あの時の自分を好きだと思える。


それなら、「あの時の自分」を、もう一度取り戻そう。
忘れてた感覚を、思いだそう。



目指すべきものが何もなくて、路頭に迷っていたけれど。
「指標」は、自分の中にあったから。




がんばれる。

今は、そう思える。






プレゼントをくれた友人へ。

本当に、嬉しかった。
あなたの気持が、行動が、私に指標をくれた。

本当に、ありがとう。
きっとまた、会おうね。