ええっと、今日は私の誕生日です。
最初に書きますが、
「おめでとう」とかが欲しい訳では無いです。
祝ってもらうのは苦手なので。
で、多分不謹慎な話です。
どこかで書いとかないとすっきりしなかったので、ここに書きますが、
人によっては気分を害されるタイプの話題だと思うので、
ご注意ください。
今回の本題は、
私自身が、自身の「誕生日」を
どう認識すれば良いか。
世の中では、誕生日に
「生まれてきてくれてありがとう」
「産んでくれてありがとう」
と伝える風習もあるみたいですね。
これが、私にとってはちょっと、
ハードルの高い話で。
なんせ、
「生まれてきて、良かった」って
思えないもので…。
1年歳をとったということが、
何となく、嫌なんですよね。
単純に加齢としてではなく、
「1年長く生きてしまった」ということが。
もともと、長生きする気なんて
さらさら無くて、
それ以前に、まだ生きてることに
違和感というか、拒否感?を感じることも少なくなくて。
だから、
「歳をとった」って事が、
なんか複雑なんです。
で、思ったんですよ。
この「誕生日」と言うものを
どう、自分の中で消化すればいいんだろう、と。
こんなんだから、
お祝いされても素直に喜べないし。
で、さっき思いつきました。
生まれたことも、今後も生きていくことも喜べない。
けど、去年の誕生日から今日までの1年間、
どーにか生きてきたことは確か。
たとえ後悔とかも多々あって、
満足のいく生き方ではないにしろ、ね。
だから、こう思うことにしました。
「誕生日」は、
「1年間頑張って生きた節目の、
記念の日」。
誕生を喜ぶ日というよりも、
自分を労う日。
こっちの方が、かなりしっくりくる。
辛いことも悲しいことも、
誰かにうまく伝えることが苦手。
普段は、自身が感じる辛さを
肯定してあげることも苦手。
でも、誕生日くらいは。
自分の頑張りを、無条件で認めて、
労ってやってもいいじゃないか。
もしかして、多くの人にとって、
誕生日ってこういう事だった?
私がここに至るまでが、
遅すぎだったりしたのだろうか。
まぁいいや。
誕生日です。
1年間、お疲れ様でした。
よく頑張りました。自分。
最初に書きますが、
「おめでとう」とかが欲しい訳では無いです。
祝ってもらうのは苦手なので。
で、多分不謹慎な話です。
どこかで書いとかないとすっきりしなかったので、ここに書きますが、
人によっては気分を害されるタイプの話題だと思うので、
ご注意ください。
今回の本題は、
私自身が、自身の「誕生日」を
どう認識すれば良いか。
世の中では、誕生日に
「生まれてきてくれてありがとう」
「産んでくれてありがとう」
と伝える風習もあるみたいですね。
これが、私にとってはちょっと、
ハードルの高い話で。
なんせ、
「生まれてきて、良かった」って
思えないもので…。
1年歳をとったということが、
何となく、嫌なんですよね。
単純に加齢としてではなく、
「1年長く生きてしまった」ということが。
もともと、長生きする気なんて
さらさら無くて、
それ以前に、まだ生きてることに
違和感というか、拒否感?を感じることも少なくなくて。
だから、
「歳をとった」って事が、
なんか複雑なんです。
で、思ったんですよ。
この「誕生日」と言うものを
どう、自分の中で消化すればいいんだろう、と。
こんなんだから、
お祝いされても素直に喜べないし。
で、さっき思いつきました。
生まれたことも、今後も生きていくことも喜べない。
けど、去年の誕生日から今日までの1年間、
どーにか生きてきたことは確か。
たとえ後悔とかも多々あって、
満足のいく生き方ではないにしろ、ね。
だから、こう思うことにしました。
「誕生日」は、
「1年間頑張って生きた節目の、
記念の日」。
誕生を喜ぶ日というよりも、
自分を労う日。
こっちの方が、かなりしっくりくる。
辛いことも悲しいことも、
誰かにうまく伝えることが苦手。
普段は、自身が感じる辛さを
肯定してあげることも苦手。
でも、誕生日くらいは。
自分の頑張りを、無条件で認めて、
労ってやってもいいじゃないか。
もしかして、多くの人にとって、
誕生日ってこういう事だった?
私がここに至るまでが、
遅すぎだったりしたのだろうか。
まぁいいや。
誕生日です。
1年間、お疲れ様でした。
よく頑張りました。自分。
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