アヴァターラ・神のまにまに

精神世界の研究試論です。テーマは、瞑想、冥想、人間の進化、七つの身体。このブログは、いかなる団体とも関係ありません。

クンダリーニが七つの身体を上昇するイラストを生成AIで作ってみた

2025-03-14 03:25:20 | アヴァターラ神のまにまに

◎1枚の絵では難しいかも

 

Gemini、Grok、Copilotを使用してクンダリーニのエネルギー・コードが七つの身体を上昇するイラストを作ってみた。Grokは当方の意図通り修正しなかったので、落選。Geminiが秀逸、Copilotはまあまあ。

シーンの数が多いので、動画の方がいいかも。

1.Gemini

2.Copilot

3.Gemini

 

作画要件は以下。※明かされていない部分は想像で補っています。

【以下の内容で、クンダリーニのエネルギーコードが七つの身体を上昇する絵を描いて下さい。

※七つの身体とは、一人の人間は、肉体、エーテル体(人間の形)、アストラル体(人間の形)、メンタル体(人間の形)、コーザル体(球形)、アートマン、ニルヴァーナ。アートマンとニルヴァーナは、肉体の外側に大きく出る。

 

1.肉体上方に小さな3人の神霊がやってくる。

2.3人のいずれか1人が肉体の頭に手をふれる。

3.サハスラーラとクンダリーニのエネルギーコードのエネルギーコードだけが光っている。

4.肉体でクンダリーニのエネルギーコードの覚醒

5.肉体で、クンダリーニのエネルギーコードの各チャクラへの上昇。

6.クンダリーニのエネルギーコードは、エーテル体に移り、エーテル体でクンダリーニのエネルギーコードの覚醒

7.エーテル体で、クンダリーニのエネルギーコードの各チャクラへの上昇

8.クンダリーニのエネルギーコードは、アストラル体に移りアストラル体でクンダリーニのエネルギーコードの覚醒

9.アストラル体で、クンダリーニのエネルギーコードの各チャクラへの上昇

10.クンダリーニのエネルギーコードは、メンタル体に移りメンタル体でクンダリーニのエネルギーコードの覚醒

11.メンタル体で、クンダリーニのエネルギーコードの各チャクラへの上昇

12.メンタル体は頭頂から突出。

13.クンダリーニのエネルギーコードは、コーザル体に移る。

14.コーザル体は、頭頂から脱出して空中をクンダリーニのエネルギーコードに沿って直線で上昇。上昇中に地球を見下ろし、銀河系を越える。

15.クンダリーニのエネルギーコードは、アートマンに移り、中心太陽に向かって上昇を続ける。

16.アートマンは、クンダリーニのエネルギーコードに沿ってブラフマン(ニルバーナ)と合一する。

 

クンダリーニのエネルギーコードが最初から最後まで1本であることを強調。

頭頂の封印を切る神は小さく。

七つの身体の階層をわかりやすく。】

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七つの身体のイラストを生成AIで作ってみた

2025-03-13 03:36:53 | アヴァターラ神のまにまに

◎クンダリーニのエネルギー・コードを強調

 

Gemini、Grok、Copilotを使用して七つの身体のイラストを作ってみた。Grokは思い込みが激しいようで当方の意図通り修正しなかったので、落選。Geminiが秀逸、Copilotはまずまず。

1.Gemini

2.Copilot

3.Gemini

 

Grok がまとめた作図要件は以下で、よくまとまっていたが絵がいま一つ。ネット内のwikiなどを参考に勝手に作図要件を追加していた箇所があり(チャクラの色など)、そのせいか、Grokの絵の出来は良くなかった。

『(Grok)

直接回答

  • クンダリーニのエネルギー・コードと7つの身体を、宇宙空間を背景に結跏趺坐の姿勢で描きます。
  • 肉体から始まり、エーテル体、アストラル体、メンタル体、コーザル体が重なり合った状態を示し、アートマン体とニルヴァーナ体は大きな外側の球体として描きます。
  • 7つのチャクラは脊柱に沿って縦に並び、頭頂チャクラを強調します。アートマン体には三日月、中央太陽のイメージを、ニルヴァーナ体には太陽のイメージを入れます。

概要

このイラストは、クンダリーニのエネルギー・コードと7つの身体を視覚化します。人物は結跏趺坐の姿勢で、肉体から始まり、エーテル体、アストラル体、メンタル体、コーザル体が重なり合った層として描かれます。これらの層は互いに密接に絡み合い、中心的な複合体を形成します。アートマン体とニルヴァーナ体はこれを包む大きな球体で、アートマン体には三日月のイメージ、中央太陽として強調され、ニルヴァーナ体には太陽のイメージが描かれます。7つのチャクラは脊柱に沿って縦に並び、それぞれの位置(会陰、臍下丹田、臍、心臓、喉、眉間、頭頂)が明確に示されます。特に頭頂チャクラは強調され、エネルギーの流れが会陰から頭頂を通り、アートマン体、ニルヴァーナ体へと続く様子が描かれます。背景は星空の宇宙空間で、錬金術風の象徴的な要素を加えます。

 

予想外の詳細

興味深いことに、アートマン体とニルヴァーナ体が肉体の外側に大きく広がる球体として描かれることで、個々の存在を超えた宇宙的なつながりを視覚的に表現できます。これは、精神的な成長や啓示の過程を象徴し、単なる身体の層を超えた深遠な意味を持つかもしれません。

調査ノート:クンダリーニのエネルギー・コードと7つの身体のイラスト化

このイラストは、ユーザーが提供した詳細な説明に基づき、クンダリーニのエネルギー・コードと7つの身体を視覚化するものです。以下では、身体の各層、チャクラの配置、エネルギーの流れ、背景の設定などを詳細に検討し、錬金術風の要素を取り入れたイラストの設計を説明します。

 

背景と設定

ユーザーの要望によれば、背景は宇宙空間または深海とされています。宇宙空間を選ぶことで、星空や銀河が広がる広大な空間を背景にし、アートマン体やニルヴァーナ体の宇宙的なイメージを強調します。これは、精神的な啓示や超越的な状態を視覚的に表現するのに適しています。深海も考慮しましたが、宇宙の方が天体的な象徴性(三日月や太陽)に合致すると判断しました。

 

人物の姿勢と身体の層

人物は結跏趺坐の姿勢で描かれ、これは瞑想やヨガの伝統的な姿勢であり、精神的な集中を象徴します。以下の表は、7つの身体とその特徴をまとめます:

身体名

説明

肉体

物質宇宙に存在し、7つのチャクラを持つ。

エーテル体

エーテル宇宙に存在し、半物質で「気」や「プラーナ」に相当。神経系に沿う。

アストラル体

アストラル宇宙に存在し、肉体に相似だが非物質。

メンタル体

メンタル宇宙に存在し、透明で光輝く。想念の次元。

コーザル体

最後の個別性を持ち、球形の光。

アートマン体

時間空間を含む宇宙全体。個別性はなく、「在ること」が残る。

ニルヴァーナ体

涅槃、言葉で説明できない宇宙全体を超える状態。

 

これらの身体は、肉体からコーザル体までが重なり合った状態で描かれ、アートマン体とニルヴァーナ体はこれを包む外側の球体として表現されます。具体的には、肉体を中心に、エーテル体、アストラル体、メンタル体、コーザル体が同心円状または層状に広がり、それぞれの特性(発光、色、流動性など)で区別します。

 

チャクラの配置と強調

7つのチャクラは以下の位置に縦に並びます:

  • 会陰(根源チャクラ、赤?)
  • 臍下丹田(仙骨チャクラ、橙?)
  • 臍(太陽神経叢チャクラ、黄?)
  • 心臓(心チャクラ、緑?)
  • 喉(喉チャクラ、青?)
  • 眉間(第三の目チャクラ、藍?)
  • 頭頂(冠チャクラ、紫?)

これらは脊柱に沿って直線的に配置され、半円形ではなく縦の配列を強調します。特に頭頂チャクラはエネルギー出口として重要であり、大きく描かれます。各チャクラは小さな円または花の形で、伝統的な色で示されます。

 

エネルギーの流れ

クンダリーニのエネルギー・コードは会陰から始まり、チャクラを通り、メンタル体で頭頂を出て、コーザル体を通過し、アートマン体(中央太陽、三日月の球体)に突入し、最後にニルヴァーナ体(太陽の球体)に達します。この流れは、発光する線や蛇のような図形で視覚化されます。具体的には:

  • 会陰から頭頂まで、チャクラを通る直線的なエネルギー経路。
  • 頭頂からコーザル体へ続き、アートマン体の三日月球体へ、そしてニルヴァーナ体の太陽球体へと拡張。

この経路は、精神的な覚醒やエネルギーの上昇を象徴し、視覚的に強調されます。

 

錬金術風の要素

ユーザーの要望により、錬金術風の要素を加えます。これは、ウロボロス(蛇が尾を噛む象徴)や他のエソテリックなシンボル(例えば、星や三角形のパターン)を背景やエネルギー経路に取り入れることで実現できます。これにより、イラストに神秘的で古代的な雰囲気を加え、精神的な探求の深さを強調します。

 

視覚的強調点

  • アートマン体の三日月と中央太陽の強調:アートマン体は大きな球体として描かれ、その中心または表面に三日月のイメージを配置し、中央太陽としての役割を強調します。

 

  • ニルヴァーナ体の太陽イメージ:ニルヴァーナ体はさらに大きな球体で、太陽の輝きを象徴するイメージを配置し、究極の啓示を表現します。
  • 宇宙空間の背景:星空や銀河を背景にすることで、広大で無限の宇宙とのつながりを示し、アートマン体とニルヴァーナ体の超越的な性質を強調します。

 

詳細な考察

このイラストは、単なる身体の層の視覚化を超え、精神的な成長と宇宙との統合を象徴します。アートマン体とニルヴァーナ体が肉体の外側に広がる球体として描かれることで、個々の存在を超えた普遍的な「在ること」や「涅槃」の状態を表現します。これは、ヨガやエソテリックな伝統におけるクンダリーニの覚醒や高次の意識状態を視覚的に捉える試みです。

 

また、チャクラの縦の配列は、エネルギーの上昇と脊柱を通じた覚醒のプロセスを明確に示し、頭頂チャクラの強調は最終的な超越への入口を象徴します。エネルギー経路の蛇のような図形は、伝統的なクンダリーニの象徴(巻き上がる蛇)に由来し、生命力の覚醒を視覚化します。』

 

究極の啓示とは、神人合一ではあり得ず、見ている自分が残っている。「在ること」や「涅槃」を心理や意識だと思っているのだろう。OSHOバグワン団体のHPでも同様の見方が出されており、鼻白んだ。

またクンダリーニ上昇直前にクンダリーニとチャクラが分離することは、知られている。

 

参考までに、私の出した作画要件文はこれ。

【クンダリーニのエネルギー・コードは、会陰からスタートし、メンタル体で頭頂を出て、コーザル体を通過し、アートマン体なる中心太陽(三日月イメージの球体)に突入し、ニルヴァーナ体(太陽イメージの球体)に突入する。

一人の人間は、肉体,エーテル体、アストラル体、メンタル体、コーザル体という七つの身体が重なり合って合体した複合体だ。アートマン体、ニルヴァーナ体は、肉体の外側に大きく出る外周円。外側がニルヴァーナ体の円。

第一身体である肉体は、物質宇宙に存在する。七つのチャクラが存在する。七つのチャクラの位置は、頭頂、眉間、喉、心臓、臍、臍下丹田、会陰。

第二身体であるエーテル体は、エーテル宇宙に存在する。エーテル体は半物質であり、「気」「プラーナ」である。神経系に沿った経絡に相当する。神経の骨みたいな形。七つのチャクラが存在する。

第三身体であるアストラル体は、肉体に相似した形。これ以上は物質次元ではない。アストラル宇宙に存在するが、もはや半物質ですらもなく、物質でない宇宙である。七つのチャクラが存在する。

第四身体であるメンタル体は、透明で光輝いている。アストラル体より微細な霊的宇宙つまりメンタル宇宙に存在するが、これも物質でない宇宙である。想念の次元とされる。七つのチャクラが存在する。

第五身体、コーザル体 肉体と世界を形作っている最後の個別性。球形の光。

第六身体、アートマン体。時間空間を含む宇宙全体。 個別性即ち我はなくなったが、『在ること』=有が残っている状態。

第七身体、ニルヴァーナ 涅槃。なまえもなく、言葉では説明できない。宇宙全体を超える。

 

以上の挿絵を作ってください。背景は宇宙空間か深海。

 

肉体,エーテル体、アストラル体、メンタル体、コーザル体は、区分がわかるように。区分の説明は日本語で。錬金術風に。頭頂のチャクラをはっきり。立位でなく、結跏趺坐で。チャクラは半円でなく縦に並ぶ。

中心太陽の月を強調。】

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人間の物質主義と精神主義というダブルスタンダード

2025-03-12 06:36:40 | アヴァターラ神のまにまに

◎瞬間瞬間を悟りをもって二重性を生きる

 

ある時OSHOバグワンは、副学長の家に滞在。副学長は、二人の息子の将来について、謙虚で真実で正直で宗教的で祈りの心を持っていながら、同時に出世して成功し、十分な教育を受け、高いポストに就き、富裕になり、良い家、良い車、良い妻、社会で尊敬されることを希望した。

OSHOバグワンは、両方が矛盾しているから、二人の息子は分裂すると警告した。

そこで、OSHOバグワンは、成功しようとする人は不誠実で、誰にもバレないように不正行為をし、狡猾な不正直者だと言ってのけている。ダンテス・ダイジも社会的成功者は、外面をとりつくろうのがうまいと、同様のことを言っている。

バウルたちは、「この世とあの世は反対ではない」とか、「食べたり飲んだりして楽しむことと、祈りを捧げることは、相反するものではない」などと言っているが、これは瞬間瞬間を悟りをもって生きる、すなわち二重性を生きるということで覚者だけができる生き様。

悟っていない者が、「此岸も向こう岸も神の同じ川に属する」などと唱えてもしょうがないのだ。

「人はどの瞬間も、楽しく、喜び、祝い、同時に警戒と意識を保ち、将来の展開について完全に認識し続けなければなりません。」とは、ギャップ理論(隙間理論)の人生観で生きるということ。

 

OSHOバグワンの“The Beloved Vol 2.pdf”から仮訳。

 

バウルは、インドのベンガル地方(現在のバングラデシュとインドの西ベンガル州)に伝わる宗教的伝統を持つ吟遊詩人たち。

 

『(仮訳)

一人でいると、群衆や他者を求めます。誰かと一緒にいると、一人になりたいと思うようになります。誰もがこの問題に直面する必要があるため、これは理解すべきことです。あなたは統合失調症の世界に生まれました。あなたには二重基準が与えられています。あなたは物質主義と精神主義を一緒に教えられてきました。社会全体があなたに矛盾したことを教え続けます。  

 

私は副学長の家に滞在していましたが、彼は新しい世代のことをとても心配していると言いました。彼には二人の男の子がいて、彼らのことが心配でした。神は彼らに謙虚であることを望んでいます。神は彼らが真実で正直であることを望んでいます。彼は彼らに宗教的で祈りの心を持ってほしいと望んでいます。  私は「それでいいよ。他に何をしてほしいの?」と言いました。  

「もちろん、彼らには出世してもらいたい」と語った。  

 

私は「成功とはどういう意味ですか?」と尋ねました。  

同氏は、「少なくとも私は副首相になった。彼らには十分な教育を受け、高いポストに就き、富に関する限り物質的に成功して、良い家、良い車、良い妻、そして社会で尊敬されることを望んでいる」と語った。すると彼は少し不安になり、「でも、なぜそんなことを聞​​くの?」と言いました。 

 

私は言いました。「私がこれを尋ねているのは、両方が矛盾しているからです。一方で、あなたは息子に謙虚であってほしいと望み、他方では、息子に野心的であってほしいと望んでいます。今、両方が息子を分裂させるでしょう。一方で、息子は謙虚さ、謙虚さ、単純さという理想を持とうとするでしょう。他方では、成功し、野心的で、達成するという理想を持とうとします。」 

 

野心的な人は謙虚であることはできません。謙虚な人間が野心を持つことはできません。そして彼に祈りを持ってもらいたいですか?そして、あなたは彼に真実で正直であってほしいと思いますか?

 

世界で成功しようとする人は不誠実でなければなりません。もちろん、誰にもバレないように不正行為をしなければなりません。彼は非常に狡猾な不正直者に違いない。彼は正直なふりをして、不誠実であり続けなければなりません。彼は謙虚なふりをして利己的であり続けなければなりません。しかし、これらはまったく異なる、正反対の目標であり、それを一人の人の中に置くと、その人は常に分裂したままになります。もし成功したら、彼は考えるだろう、「私の謙虚さはどうなったのか、私の祈りはどうなったのか、私の思いやりはどうなったのか」。もし彼が謙虚になれば、『私の野心はどうなったのだろう』と考えるだろう。 「私はどこにもいないのよ」

  

バウルたちは非常に健康な人々で、統合失調症ではありません。それらの総合を理解する必要があります。まさにその理解があなたを大いに助けます。  

 

「この世とあの世は反対ではない」と言います。彼らは、「食べたり飲んだりして楽しむことと、祈りを捧げることは、相反するものではない」と言います。 「此岸も向こう岸も神の同じ川に属する」と言うのです。そこで彼らは、各瞬間を唯物論者として生きなければならず、各瞬間に精神主義者として方向性を与えなければならないと言います。人はどの瞬間も、楽しく、喜び、祝い、同時に警戒と意識を保ち、将来の展開について完全に認識し続けなければなりません。

しかし、その展開はこの瞬間の喜びに反するものではありません。実際、今この瞬間を喜ぶからこそ、次の瞬間には花がさらに開きます。今この瞬間に幸せになればなるほど、次の瞬間にも幸せになれるようになるでしょう。今日が天国だったとしても、明日は今日から生まれるので、明日が地獄になるはずはありません。』

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出口王仁三郎の子猫の歌

2025-03-12 05:37:09 | 吉凶禍福、占い、癒し

◎一人さびしく猫とたはむる

 

出口王仁三郎は、教団トップとして多忙であっても、猫をかわいがった。本人も広義のクンダリーニ・ヨーギであり、ペットで冥想好きの猫とは、ウマがあったのだろう。

 

仔猫

をさな児のしひたぐるまま

猫の仔はかすかになきておとなしく居る

町人に貰(もら)ひし仔猫なきながら

わが朝餉するそばにあまえつ

 

文殿に雨の音きくゆふぐれを

一人さびしく猫とたはむる

 

親猫を忘れたるらし吾が膝に

こころおきなく眠る仔猫は

(出口王仁三郎全集 第7巻 歌集 巻中昭和六年(九百七十五首)/出口王仁三郎

から引用)

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ヤコブ・ベーメの忘我

2025-03-11 03:23:33 | アヴァターラ神のまにまに

◎真剣に求め欲するうちに、忽然と門が開いた

 

ヤコブ・ベーメは、貧しい農家の出身で、正規の教育を受ける機会はほとんどなかった靴職人。25歳の時に、金属製の皿を凝視していた際に、無底と言われる世界の根源を知る神秘的な体験をした。

ダンテス・ダイジは、これを無底の底と呼び、水平の悟りと見ている。

以下は、ヤコブ・ベーメのその神秘体験の21年後の書簡から。書いている内容を素直に読めば、見神なのか、無底の底(神人合一)のかはわからない。文の前半が悟り直前の状況。“あらゆる存在の本質を、その根拠と底なし”が無底の底と思われる。

 

『私は、ただただイエス・キリストの心臓だけを求めつづけた。そこに身を隠し、神の残酷な怒りから、また悪魔 の攻撃から逃れようとしたのである。また、神が聖霊と恵みを私に与えてくれるように切に願った。神が私を神 のなかで祝福し導くように、神に背いた行為を私からぬぐい去り、神に一切を委ね、私の意志に従ってではなく 神の意志に従って生き、神のみが私を導くように、私が神の子イエス・キリストにあって神の幼児とされるように、切に切に神に請い願ったのである。

 

こうして「真剣に求め欲するうちに、忽然と門が開いた」。一五分の忘我状態のあいだに、ベーメの霊の目は開か れ、全てを見る恵みにあずかったのである。「この光のなかで、私の霊は一切を見、万物に〔・・・・・・〕神を認め、神とは何者であり、神はいかに存在し、神の意志が何であるかを悟り」、「あらゆる存在の本質を、その根拠と底なしを、さ らには神の聖なる三性の誕生、森羅万象の由来とそのはじまりの姿を、神の智恵を通して見、認識したのである」とベーメは語っている。

 

もはや、かつて彼を苦しめた憂鬱と悲嘆は、あとかたもなく消え失せたのであった。ベーメは、 もはや神の怒りを恐れる必要はなくなった。今や、神の愛と光に、彼の全存在は包まれたからである。再生は、現世の苦のただなかで、実現したのであった。 』
(ヤコブ・ベーメと神智学の展開 岡部雄三/著 岩波書店P38-39から引用)

 

ダンテス・ダイジの無底の底。

『禅には、上昇という概念はない。

禅は、あくまでも無底の底への落下である。

ヨーガには、脱落という概念はない。

クンダリニー・ヨーガは、あくまで根源への上昇である。』

(アメジスト・タブレット・プロローグ/ダンテス・ダイジ/森北出版P145から引用)

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猫の霊力と魂

2025-03-11 03:18:31 | 冥想いろいろ

◎猫は霊的に甚だ怜悧かつ執拗

 

出口王仁三郎は、猫の魂を犬に乗り移らせるなど、結構乱暴な技を見聞している。

似たようなことをやっている人間もいるらしいが、普通の人は手を出してはいけないカテゴリーのメソッドである。

またペットの状態は、一家の主人の盛衰と関連が深く、また人間の言霊がペットに与える影響は大きい。

 

『猫の毛を逆になでると火が出るのは、強い電気が立っているからであって、猫ほど電気に感じやすい獣はいない。天候をよく感知すると言われているのもこのためである。そのためまた霊的には甚だ怜悧でありかつ執拗である。昔から犬や馬の化けて出た話は滅多に聞かないが、猫の化けて仇をした話はしばしば聞くところである。最初に飼う時に「お前は一年間だけ飼ってやるから」と言い聞かせておいて、もし一年たって飼い主が前に言ったままで忘れてしまっていると、猫の方はちゃんと覚えていて、知らぬ間にどこかへ行ってしまうものである。だから一年たった頃に「これからもう一年だけ飼ってやる」と年期を延長して言い聞かせておくのである。こうして猫に年期を切るというのは、もし飼いっぱなしにしておくと、中には年月がたつと共に一種の霊力を具えて人を驚かしたりすることがままあるからであろう。猫が死人を踊らせた実例は私も知っている。

 

犬の霊が猫に憑いた面白い実例があるから話そう。綾部のある信者の家に一匹の犬を飼って非常に可愛がっていた。この犬が病気で死ぬ時、主人が「お前の肉体は死んでも、魂は残って飼い猫に憑れ」と言い聞かした。すると間もなくこの犬の死と共に飼い猫の生活状態は俄然変化してきて、食物から挙動から一切が犬と同じようになってしまった。そして家族の人たちが外出する時などには、いつも前の犬のように先に立って送り迎えをするのであった。私がその家から帰る時などには必ず送ってきた。しかし何分本来肉体は猫なのであるから、食物の関係などから身体の具合を損じ間もなく倒れてしまった。

 

ところがまた不思議なことには、その猫が死ぬ時に「この肉体が滅びても、この子に憑いていれ」と言いつけたところ、その猫の死と共に今度はその子猫が急に犬の真似をやりだしたのであった。がこれもまた不幸短命で終わった。精霊が二つであるから勢い肉体の統一、調節がとれ難く、無理が多くなるので短命に終わり勝ちなのである。

 

世間一般の千里眼とか天眼通とかの出来る霊術家が大抵短命で終わるのも、実は自己以外の他の精霊の助けを借りているがためで、前の猫の例と同じ理由によるのである。

とにかく家畜でも草木でも元来が人に属しているものであって、主人の身代わりに飼い犬や飼い猫が死んだり、また主人の死ぬ前に愛木が突然枯れたりなどするのを見ても、いかに人とこれらが密接な関係にあるかが分かる。家畜や庭木が元気なのは、その家の盛運を物語っているものである。

 

また人の言霊がいかに痛切にこれらのものに作用するかという事も、前の猫に対して年期を切る場合などで分かる。果樹などに対しても「来年沢山実をつけないとブチ切ってしまうぞ」と脅すと、その翌年は思ったよりは沢山になるものだということである。』

(出口王仁三郎全集 第5巻 言霊解・其他

瑞言祥語 猫から引用(旧かな使いを新かな使いに修正しました))

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OSHOバグワンはなぜアメリカで失敗したのか

2025-03-10 06:07:27 | 時代にFace it

◎OSHOバグワンの水平の道への型出し

 

OSHOバグワンがアメリカで失敗した理由は、そもそもアメリカでうまくやろうという気がなく、コミューン経営をまじめにやろうとしなかったことに尽きると思います。

だって荘子の生まれ変わりだから、荘子風の行動パターンだったから。

ただし、水平の道の型出しをしたというのが、真相ではないか。

※1. まず、OSHOバグワンは、コミューンを作って新時代へのエンジンとしようとする志は持っていた。そして彼は、インドのプーナとオレゴンにコミューンを形成することができた。しかしながらいずれも成功したとは言い難い結果に終わっている。最後は世界中から村八分になってインドに戻ってきた。

その原因は、OSHOバグワンが弟子の育成にあまり熱心とは言えない雰囲気だったこととコミューン経営にあまり関心がなかった風であることだと思う。いわばコミューンさえ作ってある程度のルールを与えれば、きっと覚者も多数生まれ、コミューンも拡大していくのではないかとでも思っていたのではないか。

OSHOバグワンの世間の評価

 

※2. 1985年OSHOバグワンは、オクラホマシティで毒を盛られた。まず熟達したクンダリーニ・ヨーギならば、強い放射線を発する物質があれば、何か異常を感じるものだろうし、また毒入りパンを差し入れられても、毒のあることを見るものなのだろうと思う。

ここは、OSHOは、運命に従順に、放射性物質入りマットレスで眠り、毒入りパンも食らったと見たい。OSHOが覚者であることは間違いない。

しかしながら、OSHOは毒を食らったことでその寿命が20年短くなったことを嘆く一方で、ロールス・ロイスを乗り回し、数千人の前で、自分の脇に肉感的な数人の女性を踊らせるそのスタイルは、宗教というものについての既成概念を破壊するという名目ではあるものの、首尾一貫して純粋と言えるものだったのだろうか。

OSHOが毒を盛られた事件

 

※3 あなたがたが嫉妬を感じるような状況を、私は意図的に創造したのだ。

OSHOバグワンの96台のロールスロイス

 

※4.最近の世界的ZENブームを見ると、OSHOバグワンが生涯をかけて禅を推した影響が大きいと思う。日本の禅宗各派はそうは思っていないかもしれないが、OSHOバグワンの著作の半分は、禅関係で、最終講話も禅。

その点で、OSHOバグワンは、言うなれば水平の道への型出しをしたのだ。最初は失敗したかに見せて、後に大きく再生して成功するのが型出しの狙い。

そもそもアメリカ官憲がOSHOバグワンに毒を盛った理由は、今でいえばイーロン・マスクの百倍にもなろうかという至福千年に向かう影響力が彼にあったのを認めたからのだと思う。

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猫と愛

2025-03-10 03:05:56 | 冥想アヴァンギャルドneo

◎猫人関係雑感
(2008-08-12)

子猫のうちはかわいいしぐさも多いし活発だが、成猫になると、容貌がかわいくなくなるし、あまり遊ばなくなり、活動も不活発となる。こうなると猫に飽きてしまう人が出てくる。

猫はもともと単独行動だし、個人主義的な生き物だから、誰のいうことも聞かない動物なので、大きくなって、飼い主の気持ちを無視して、動き回るだけの動物はかわいげのないものだと思う。

でも20年にもなろうかという猫の寿命の中で、かわいいのはせいぜい最初の1年であると覚悟して飼ってやらないと、さすがに猫のほうが気の毒なことだ。

動物が家畜になるためには、いくつかの厳しい条件をクリアする必要があり、それができた動物だけが家畜と成り得る。猫もそうした条件をクリアできた数少ない動物のひとつだからこそ,その付き合い方のほうをよく人間のほうが心得ておく必要があるだろう。

曰く撫でる,ほめる、適度に放任する。来客があったり、他のペットの来訪があった場合は、猫は嫉妬して、暴れ回ったりするので、なかなか人間的な心性を持っている。猫にもたっぷりの愛が必要なのだ。猫の機嫌が悪くなったら、愛が足らないサインだろう。

猫は引っ越しなどの環境変化があると、非常にがっかりして心理的なショックを受けるものだそうだが、その心理は、毛づくろいとして現れる。毛づくろいは普段からやっていることだが、そうした外的な事件があると、その困惑の気持ちを毛づくろいで紛らわせている由。

それと退屈。退屈するとまた毛づくろいをするが、退屈も極まると、毛が抜けるまですることがある。

猫は人間に比べるとサプライズに弱く、驚きすぎではないかと思われる程驚くことがあり、繊細な神経を持っているとわかる。ひどいときは、獣医が検査や麻酔のために押さえつけたショックでそのまま無反応になり死んでしまう猫すらいるという。そこまで行かなくとも、元気がなくなり、食欲もなくなるようなことがある場合は、優しくしてあげて安心させることが大切だそうだ。

猫は、特に聴覚が発達して、クンダリーニ・ヨーギのように「聞きまもる」時間帯が少なくなく、デリカシーを感じさせるペットだからこそ、対人間並の愛と思いやりの必要性を感じさせられる。

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OSHOバグワンがクンダリーニの流れを語る

2025-03-10 03:03:32 | 覚醒のアーキテクチャー

◎最初は個人であって、最後にはすべてのすべてに変容する

 

OSHOバグワンも最初は、クンダリーニは最初は個人であって、最後にはすべてのすべてに変容すると語っている。普通の現代人にとって、それは想像することも困難なイベントだが、ダンテス・ダイジのクンダリーニ覚醒体験を読めば、最初は個人のクンダリーニで始まるが、最終的にはすべてのすべてであることが、イラストでもわかるようになっている。

OSHOバグワンは、以下の説明ではほとんど体験者にしかわからない説明をしているが、その説明内容は正確だと思う。

(In Search of the Miraculous Vol 1 第

12章Kundalini Will Transform You/和尚から仮訳)

『(仮訳)

12章 クンダリーニがあなたを変えます 

 

質問1 

質問者: あなたは昨日、私たちのクンダやエネルギープールは分離したものではなく、互いに異なるものであると言いました。彼らは本当に一つの宇宙のクンダです。しかし、探求者が考える限り、彼のエネルギーは他人からではなく、自分自身のクンダから生じます。では、クンダは本当に一つなのでしょうか?説明してください。 

 

それは次のようなものです:

あなたはあなたの家に井戸を持っています、そして私は私の家に別の井戸を持っています。明らかに、2 つの井戸は互いに離れているように見えます。しかし、これら 2 つの井戸が水を汲む地下の流れは同じです。そして、この地下流は遠くの海とつながっています。 

 

あなたの井戸の水源である小川の流れをたどれば、私の井戸や他のすべての井戸に出会うだけでなく、最終的には大きな海そのものに出会うでしょう。同様に、クンダリーニの文脈では、個人は旅の始まりにのみ存在します。旅が終わりに近づくと、個人も終わりを迎えます。そのとき、あるのはすべて、全体、絶対、唯一、あるいはあなたがそれを何と呼んでもいいものだけです。 

つまり、旅の出発点では、あなたも私も別々ですが、目的地、最終地点では、あなたも私も存在しません。私たちは、旅の終わりにあるものの断片、または一部にすぎません。 

 

したがって、クンダリーニがあなたの中に現れると、最初はそれがあなた、つまり個人のものであるように見えるでしょう。それはあなたのものになります。当然、あなたは自分が井戸の端に立っていることに気づくでしょう。しかしクンダリーニとしては、上昇して拡大すると、あなたはやがて自分の井戸が他のすべての井戸とつながっていることに気づくでしょう。

 

そして経験が深まれば深まるほど、あなた個人の井戸はどんどん消えていき、その代わりに海が生まれます。そして、このクンダはすべてのものであると言えるのは、究極の経験の中でです。 

私がクンダは一つであり普遍的であると言ったのはこの意味です。それは一つの宇宙のエネルギーのプールです。 

 

そのようにして、私たち全員が、個人として分離しているように見えます。別の方法で理解してみましょう。木の上の葉が突然意識を持ち意識を持つようになると、隣の葉が他の葉のように見えます。木の別の枝から垂れ下がっている葉がそれ自体であることをどのようにして知ることができるのでしょうか?もう一方の枝の葉は脇に置いておきます。自分の枝にある別の葉を自分自身であると考えることはできません。もしかしたら、この葉は少し離れているかもしれません。右側の葉さえもう一方のように見えます。この葉の意識は個人的なものなのでそうなるでしょう。』

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黒い聖母像

2025-03-09 11:32:41 | 時代のおわりneo

◎地母神の必要性
(2006-03-25)

黒い聖母像は、フランス、スペインだけでなく、メキシコ、ブラジル、フィリピンなど世界的に分布する。フランス、スペインの黒い聖母は、キリスト教がこの地に入ってくる以前に隆盛であったイシス信仰(エジプト神話の豊穣の女神)とか、キュペレ信仰(ギリシア神話の地母神)などの偶像がそのまま持ち込まれたものだとか、ブラジルなどでは土着信仰に近いカンドンブレなどの信仰とキリスト教が混交したものだとか、定説がない。おそらくは、地母神信仰がキリスト教の体裁を借りて生き延びたものではないだろうか。

聖地巡礼で有名なサンチャゴ・デ・コンポステラの像は黒いマリアだとか、意外に有名なところに黒いマリアがある。像だけでなく、ポーランドでは、黒い顔のマリアのイコン(絵画)が民族的な宝として伝承されている。黒い偶像ということならば、日本では大黒天であり、インドでは、カーリー女神(シヴァ神の妻)としてあり、キリスト教に限らず、世界中どこにでもある。

フランスの黒い聖母の多くは、その起源をメロヴィング朝(500~750年)にさかのぼることができる。メロヴィング朝はフン族のアッチラ大王の進入により民族大移動したひとつである西ゴート族の末裔で、聖母マリア崇拝を振興した。

その後12世紀になってシトー修道会のリーダーとなったフランスのベルナールが盛んに聖母崇拝を推進した。ベルナールはテンプル騎士団の創立メンバーの一人であり。旧約聖書雅歌の『エルサレムのおとめたちよ わたしは黒いけれども愛らしい。それ故、王はわたしをお選びになり、みずから、お部屋にお連れくださる』は、黒い聖母崇拝で愛唱される文句だ。

またベルナールはサンチャゴ・デ・コンポステラへの巡礼も推奨した。道中には、ベネディクト修道会や、シトー修道会の宿屋、黒い聖母教会が点在し、その様子は天の川とも呼ばれた。巡礼の四大出発地の一つであるヴェズレーは、マグダラのマリア(黒い聖母のモデルのひとつ)崇拝の中心地なので、黒い聖母の地でもある。

1307年には、テンプル騎士団は異端とされ、黒い聖母崇拝は下火となっていったが、黒い聖母は、その後も連綿として生き延びている。それが生き延びた原因としては、中世的な教条的なスタイルのキリスト教がカバーできない、いわば人間のコントロールできない生命やエネルギーの源の象徴として、黒い聖母を必要とした社会的な心理があるのではないかと思う。それは、とても土俗的な動機だが、キリスト教の持つ特徴の反面を映しているように感じられる。

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まねき猫の右手左手

2025-03-09 11:21:25 | 冥想アヴァンギャルドneo

◎二つのスパイラル
(2010-09-12)

京都三条大橋東詰に、だんのうさんと呼ばれている壇王法林寺では、主夜神を祀っている。主夜神のお使いがまねき猫。

昭和八年の京都民俗誌には、壇王法林寺の招き猫は緑色の猫で右手を挙げている。これにより、江戸時代には民間では左手を上げた招き猫しか作らせなかったとのこと。(出典:招き猫博覧会/白石書店)

開運招福系の地母神信仰なら、カーリーや黒いマリアと類似だろうから、右手挙げだという示唆である。

ところが世間に出回っているものは、右手挙げも、左手挙げもあり、両手挙げのものまであるという。最近は作る方もこだわっていないようだ。

右手挙げなら左手は下がっており、気は時計回りスパイラルに上がるイメージ。一方左手挙げなら右手は下がっており、気は逆時計回りスパイラルに上がるイメージ。

お寺の卍マークは、時計回りで、ナチスのハーケン・クロイツは逆時計回り。

こうしたものは、タロットや西洋占星術などもそうだか、肉体や物質レベルを読む場合と精神について読む場合とでは、意味が逆になる。開運招福、現世利益ならば物質レベルのことなので、その目的に合った手を挙げたものを用いなければならない。

さはさりながら、そんな自分に都合の良いことばっかりやっているから世間は大混乱の巷となっているわけである。

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卍とハーケンクロイツ

2025-03-09 06:41:45 | 超能力・霊能力neo

◎吉祥の記号
(2013-06-30)

『卍とハーケンクロイツ/中垣顕實/現代書館』は、ハーケンクロイツのタブーにチャレンジした一冊。と言っても、書いてある通り,卍にもともと邪悪の意味はないが、著者が浄土真宗の人なので、卍そのものについての呪術的な意味についての突っ込みはそれほどなかったように思う。古代ユダヤ教で、卍を使っていたのは、さもありなむ。シュリーマンはトロイ遺跡で卍付の遺物を掘り出しただけでそれ以上のことはなかったようだ。

ミスティカル・パワーそのものは、もともと白でも黒でもないが、ホロコーストがらみで使われたために、スワスティカ(卍)は、現代の魔女狩りに遭ったわけだ。

本来の公平な見方として、密教事典(法蔵館)の説明を挙げる。
右旋が逆卍でsvastika、左旋がsanvastica。
『吉祥の記号で唐代で集合の意味に用いてから,我国
でも用いる。太陽の象徴として右旋は昼間で光明を,左旋は夜間で破壊の意といい,

インドでは右旋を男性神ガネーシャ,左旋を女性神カーリー女神に用いる。またヴィシュヌやクリシュナの胸の旋毛とし、仏教では仏陀の胸や手足・頭髪に現れる吉祥相(三十二相の12・32)で,仏心の象徴とされた。例えばアマラヴァティー出土の仏足の文様など。

それを如来の智火や煩悩断除のam字に代用して、胎蔵曼荼羅の一切如来遍知印に用いる。その他,仏教一般の紋章とし、右旋を正しいとするが、中国以来混在し、卍字火舎には左旋を用いる。

もとはダニューブ河岸で発生し、ギリシア・ローマ時代に用いられ、インドの叙事詩ラーマーヤナにも見え、左旋(逆万字)はナチスの十字記号にも用いた。』
(密教事典/法蔵館P650から引用)
※卍字火舎は、蓋に卍型の煙出しのある香炉。

右旋の逆卍(ハーケンクロイツ)は、昼間で、光明で男性神ということなので、上昇、左旋の卍は夜間で破壊で女性神というところなので、下降というのが、本来の意味というところではないだろうか。

北欧では、トールのハンマーという意義もあるらしいが、ルーン・ガルドゥルに、北欧古武術のグリーマで勝利を目的として用いられたシンボル、グリーマ・ガルドゥルという逆卍の変形みたいなのがある。(ルーン文字の世界/国際語学社P175)

この世のものは、ものによって上昇させるべきものも下降させるべきものもあり、本来細かく異った対応があるべき。そこを一律に上昇を狙ったのでは混乱するばかりではなかったか。

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正一位稲荷大明神

2025-03-09 06:13:22 | 浅い霊感から神人合一まで

◎マニピュラ・チャクラの世界
(2008-09-29)

町の小さな祠でもお稲荷さんは、正一位稲荷大明神の派手派手の赤い幡を立てているのを見かけることがあるものだ。

梅原猛氏によると、827年淳和天皇の御代に、空海が東寺を建てるため、24本の巨木を東山の稲荷山と思しき山から切り出した。するとどういうわけか淳和帝が病気になった。

天皇は49人の僧を召して17日間薬師の修法を行なったが、験なく快癒しなかった。そこで、稲荷社にお伺いを立てたところ、東寺を建てるために稲荷社の木を伐採した祟りであるとのご託宣を得た。

そこで、後に右大臣にまで昇る従七位下の大中臣雄良を稲荷社に遣わして、稲荷大明神に従五位下の神階を授けたところ、たちまち天皇は快癒された。

これを教訓としたせいか,空海はこの来歴のよくわからない古い神を東寺の鎮守神としてとりこんで祀ったらしい。

それから千年たった今でも、神社本庁所属の約8万の神社中4万余りが八幡社であり、次いで3万社が稲荷社であり、お稲荷さんは隠然たる尊崇を勝ち取り続けている。

稲荷は、豊受大神やマンモンと同じ、ホワイト・フォックス系の現世利益の神。自分の一番深いところの本当の願望がわからない現代人にとっては、軽々にこのような善悪の色のついていない神を呼び出したり、帰依することは、大概は自分に都合のよい願望を成就させることに利用しようと動くことになる。

その結果は、自分勝手な自分をなくす方向ではなく、この現実社会の中で勝手気ままな自分を肥大化させる方向の動きとなるので、この時代のメイン・ストリームである、社会の中での自己実現(マニピュラ・チャクラ)から愛(アナハタ・チャクラ)への移行ということではなく、マニピュラ・チャクラに象徴される社会の中の願望実現にとどまることから、むしろ退歩と位置付けられることになるだろう。

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テスカトリポカの鏡

2025-03-09 03:40:35 | 冥想アヴァンギャルドneo

◎月と物質と鏡
(2008-09-24)


アマテラスと言えば八咫の鏡だが、アステカにも鏡をシンボルに持つ神がいる。アステカの主神といえばケツァルコアトルだが、テスカトリポカは、それと対峙する重要な神である。ケツァルコアトルもテスカトリポカも、イザナギ,イザナミに相当する最初の夫婦神オメテクトリの子である。

ケツァルコアトルは、善玉主神として明けの明星の主であり、太陽のエネルギーを与える源であり、知性を司る。

テスカトリポカは、その右足を原初のエネルギーの象徴たるワニに食わせて、大地を創造したので、右足のない姿で表される。

テスカトリポカの鏡はアマテラスのように太陽をイメージさせるものではなく、煙を吐く鏡、煙る鏡である。鏡の素材は金属ではなく、黒曜石である。アステカの呪術者は、この鏡を覗き込んでトランスに入り、部族の将来や神の意図を見た。

テスカトリポカは、魔術をあやつる女神の背景に潜む力を司り、現世、現象を成り立たせているエネルギーの支配者である。つまりどちらかと言えばこの世的な、物質的な事象をカバーする神である。

鏡は月のシンボルであり、現世的なものを象徴するのが本筋である。だから、テスカトリポカがそのシンボルとして煙る鏡を用いるのに違和感はない。他方アマテラスは太陽であり、現世的なものではなく、スピリチュアルなものを司るにも係わらず、そのシンボルとして鏡を用いているのは、しっくりこないところがある。

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OSHOバグワンと売れっ子占星術師

2025-03-09 03:30:15 | 吉凶禍福、占い、癒し

◎自分の人生も妻の人生も多数の他人の人生も破壊

 

OSHOバグワンが売れっ子占星術師と話した。

『(仮訳)

私は以前、ある都市に数年間住んでいたのですが、ちょうど向かいに、出生図を読んで人々の結婚を決めていた非常に有名な占星術師が住んでいました。私たちは向かいに住んでいたので、彼と知り合うのにそれほど時間はかかりませんでした。 

私は彼に「自分のやっていることは正気だと本当に信じているのですか?」と言いました。

 

彼は「どういう意味ですか?私はこの地域で一番の占星術師です。何百マイルも離れたところから人々が私の所にやって来ます。」と言いました。 

私は言いました、「私には自分自身が見えます。しかし、あなたの妻があなたを殴っているのもわかります。この女性と結婚したときに、自分の出生図を見ましたか?そして、自分でも判断できなかったとしたら、自分のやっていることは単純に愚かなこと、そして愚かで非人間的なだけではないことを恥ずかしく思いませんか?」 

 

彼は途方に暮れていました。私は言いました。「覚えておいてください、私は奇妙な男です。私はこのニュースを皆に広め、あなたのところへ人が来るのを防ぐために庭の前に座り込みます。私はあなたの人生で何が起こっているかを彼らに話します。」

まさにその時、彼の妻が台所から入ってきて言いました。「あなたの言う通りです。私はあなたを支持します。この男はただの馬鹿です。彼は何も知りません。彼は私の人生を破壊し、彼の人生を破壊し、そして何千もの他の人々の人生を破壊しています!」

 

しかし、このようなことは続いています。易経に相談する人々、タロットカードに相談する人々がいます・・・。しかし、本当のものは別のところにあります。そしてそれは知られているのですが、宗教的な偏見が人類がそれを利用することを妨げているのです。 』

(“The Great Pilgrimage From Here to Here/osho“から仮訳。)

 

これは、占い師界隈では、よくありそうなシーンである。

占い、スピリチュアル、チャネリングに功利、現世利益を持ち込めば、必ずこういう奇怪な出来事は起きてくるものだ。

宗教も然り、功利、現世利益面だけ優先するのはまずいのであって、利益や目的のない無用の用が半分なければ本来の姿ではない。

いうなれば、功利、現世利益面が個なる人間方面で、利益や目的のない無用の用が神仏方面。古神道家の出口王仁三郎は、個なる人間方面を顕斎とし、神仏方面を幽斎と区分した。

 

占い、スピリチュアル、ヨーガ、ロハスであれば、とりあえず歓迎の時代ではもはやないだろう。

コメント (2)
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