◎イェヒダー(単一性)
(2012-01-02)
ユダヤ教ハシディズムでは、神人合一へ5段階を立てる。
これは、もともとはユダヤ人の聖書解釈ミドラシュから出てきたもので、ルバヴィッチのドブ・ベエルが、これにならって霊性5段階説を説く。曰く、
第一段階 ネフェシユ (生命)
第二段階 ルアッフ(霊)
第三段階 ネシャマー(魂)
第四段階 ハヤー(生命)
第五段階 イェヒダー(単一性)
デベクートとは、「間断なく神と共にいること、人間と神の意志との密接な合一と一致である」(ユダヤ神秘思想研究のゲルショム・ショーレムによる)だそうですが、以下の説明をみると、単にトランスみたいな状態を指しているところがあるように思う。
『第一段階 ネフェシユ (生命)
この段階の人々は、神の言葉を聞いてその意味を理解します。しかし彼らは神の言葉の価値を認めても、神からは遠いままです。
第二段階 ルアッフ(霊)
ここは善き思いのデベクートにいる段階であります。ここでは人々は神の言葉を聞いて理解するだけでなく、彼らが神から遠いにもかかわらず、神に近づきたいと願います。この段階は「自分が個人的に関心を持っている商売について耳よりの話を聞き、彼の心の全力がそれに吸収されている。彼は、(寝ても覚めてもそれ思う、いわゆる)思いに密着しているとして知られている恍惚にすっかりはまっている人」に似ています。
第三段階 ネシャマー(魂)
ここは光明の段階です。この段階までくると、「神の側近くにある」と実感します。その喜びによって、人の心は直ちに恍惚の中へと進み、そして神の臨在を身近に感じるがゆえに、恐れと愛の中で行動します。そして恍惚状態にある心の中からメロディを伴った歌が生じて来ます。
第四段階 ハヤー(生命)
ここは「精神の恍惚」の段階であります。ここでは人の心と頭脳は神の光に完全に集中され、そして「神の前にはすべてのものが無である」という状態になっています。
これは、「人が、心の内奥で、その精神の深みから、仕事上の良いプロジェクトに没頭する時に似ている。その仕事に彼の魂のすべてが引っ張られ、(中略)彼の心も精神もその物事の良さだけに吸い込まれているのに似ている」。
第五段階 イェヒダー(単一性)
ここは至高の段階であり、理性と知性を越えています。人間の全存在はことごとく神に吸収され、何物も残りません。ここでは、人はみな自己意識というものを持たないのです。』
(ユダヤ教の霊性/手島佑郎/教文館P124-126から抜粋)
これを見ると、仏教でいえば、第一段階のネフェシユ (生命)が声聞、第五段階イェヒダー(単一性)は仏に該当するように思う。そして、第五段階イェヒダー(単一性)の定義が十全なものであることによって、ユダヤ教ハシディズムの正統であることがわかる。
第四段階ハヤー(生命)の段階は、仏教ならば菩薩に該当するのだろうが、その定義には見仏、見性にあたるような表現はとりあえずない。
この本には異言の例が挙がっており、この五段階は、神下ろしの手法の段階を述べている可能性があるように思う。