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アヴァターラ・神のまにまに

精神世界の研究試論です。テーマは、瞑想、冥想、人間の進化、七つの身体。このブログは、いかなる団体とも関係ありません。

ディヤン・スートラの七つの段階-6

2025-01-17 19:28:42 | 冥想アヴァンギャルドneo

◎感情の浄化-3 快活さ

(2021-11-12)

 

感情が純粋になれる4つの局面の3番目は、快活さ。

 

これは、喜び、幸福、歓喜、至福の感覚、そして苦悩の不在だ。これは、普通の人の考える快活さではなく、肉体死を既に問題にしない人の快活さである。

 

毒杯をあおったソクラテスの言葉、『そして彼は言った。「わたしは幸せだ。死は、たったふたつのことしかできない— 完全にわたしを破壊するか、しないかだ— もし死がわたしを完全に破壊するなら、わたしは幸せだ。なぜなら、悲しみを体験するわたしはそこにいないのだから。

 

また、もしわたしの一部が残るとしたら、わたしは幸せだ。なぜなら、破壊されるのはわたしでない部分だからだ。わたしは依然として存続する。死は、たったふたつのことしかできない。だからわたしは笑っているのだ」。』(ディヤン・スートラ―瞑想の道/OSHO P170から引用)

 

肉体死か、個我・個なる自己の喪失かと問うているのだ。肉体死は、大悟覚醒につながるケースが少ないことを前提にしている。

 

さらに処刑場で四肢を寸断されたマンスールの言葉。

『わたしの愛に終りはない。この人々がわたしに何をしようと、わたしの愛の破壊には成功しなかった。彼らは自分たちの企てを成し遂げられなかった。この愛は永遠だ』(上掲書P171から引用)

その時ですら彼は笑っていた。

 

OSHOバグワンは、生の明るい側面を見ることを習慣づけることで、快活になれるとする。ヨブ記のヨブみたいなひどいめに会わされ続けても、神を信じ、我が運命を呪わず、愛を持ち続けることを快活というのだろう。これまた悟った人の特徴ではあるが、まだ悟っていない人は、真似びから入るしかないのだろう。

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