アヴァターラ・神のまにまに

精神世界の研究試論です。テーマは、瞑想、冥想、人間の進化、七つの身体。このブログは、いかなる団体とも関係ありません。

役行者-2-みろくの時代の御宝

2024-01-05 03:10:42 | ジェイド・タブレット

◎ジェイド・タブレット-06-19

◎青春期の垂直の道-19

 

役行者について、出口王仁三郎が公式に見解を述べたものはほとんどない、だが、

1.奈良の大仏

  役行者は20年かけて全国を渡り歩いて全国の金鉱の地図を作製し、奈良の大仏の下に置いてある金板に地図がある。これは奈良の大仏を鋳つぶしてしまわないと出て来ない。

「よき人のよくぞよくみて よしといひし よしのよくみよ よき人よくみつ (聖武天皇)」

(出典:新月の光 下巻/木庭次守編/八幡書店P63)

これは、出口王仁三郎によれば仏の終わりにならぬと判らぬということで、みろくの神に渡すということだそうな。

京都の空襲などがあった後、大仏も鋳つぶされる時節があるのだろう。

 

2.役行者

聖武天皇が役行者に勅命で、日本金鉱地図を作らせた。20年かけて夜に金気の昇るのを見て作った。吉野の金峯山にははな(露頭)が出ている。

(出典:上掲書P114)

これが、役行者の超能力の達者なところだが、時の最高権力者が恣意的に使える金鉱脈でなかったところが、垂直の道らしい。

 

3.吉野山

出口王仁三郎の師匠大石凝真澄は、吉野山の金鉱脈は厚さ三寸、幅三里、長さ13里と見ていた。それでもって宮内省に行って、宮様以上はみろくの世になれば、金の柱の家に住まれると申し出たら狂人扱いされたそうだ。出口王仁三郎もその場に居合わせたが、バカらしくなって帰った。

後、出口王仁三郎が吉野に見に行き、吉野山にはない、金峯山や八幡山にはあることをチェックした。しかしその鉱脈は、現代では出ない。みろくの世になってからである。UFOの反重力装置みたいに次の時代にならないと出ないようだ。

(出典:上掲書P105)

 

これは、塩沼亮潤大阿闍梨が見た、身長三メートルくらいのぼろぼろの衣を着て杖を持った仙人が空中に出現し、「金(かね)の御嶽(みたけ)金の御嶽と言う愚か者どもよ、ここは神の御嶽なり」と言うなりすーっと消えていった話につながる。その仙人は役行者だったか。

 

関連歌:いろは神歌(雑誌神霊界54号から引用)

『○むかしより花に名高き吉野山、八幡の山の奥深く、ミロクの世まで隠されし、音姫どのゝ御宝の、在所尋ねて千代八千代、動かぬ御代の大本の、千歳の松の神の子が、

鶴殿君に従ひて、未だ散り終えぬ八重桜、日本心の大丈夫が、高天原を立出て、折も吉野の上市に、一夜を明かし妹背山、吉野の川に隔つれど、誠心の隔てなき、浅野、豊本、牧、村野、梅田、秋岡、出口王仁、星田、多慶子や金谷の、清き身魂は吉野川、

流れに添ひて上り行、十里の道も山吹の、一重の花に引かされて、神の教へのかしこくも、早柏原に着にけり。

雲井の空の神人と、ひなに育ちし賤の男が、深山の奥に手を曳きて、峻しき山を辿りつゝ、御国の為に赤心を、尽すも神の引き合せ、黄金の山の奥深き、神の経綸は白雲の、花の吉野の水清く、治まる御代の礎を、踏み固めたる千代の鶴、八千代の亀の末長く、開け行く世を楽しみに、松まの長き真鶴の首。』

(冒頭に御宝のありかが。)

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