アヴァターラ・神のまにまに

精神世界の研究試論です。テーマは、瞑想、冥想、人間の進化、七つの身体。このブログは、いかなる団体とも関係ありません。

ダライ・ラマの託宣僧ネーチュン―1

2024-10-09 07:06:52 | 吉凶禍福、占い、癒し

◎ダライ・ラマは審神者、ネーチュンは依代。

 

ダライ・ラマは、重要な決定を迫られる場合は、国営託宣僧ネーチュンにトランスに入らせ、ドルジェ・ダクデンをその身に憑依させ、質問に対する回答を行わせる。ダライ・ラマは、チベット脱出時にもネーチュンを用いたという。

ダライ・ラマという覚者であっても、自分で自分の寿命を延ばせるような人物でも、そういうものを使うことがあるのだ。

というよりも、ダライ・ラマは、ネーチュンよりも上位者なので、審神者。依代ネーチュンには、当然に審神者が必要ということか。

 

『オラクル(神託、予言者、お告げ師)"という言葉が誤解を招きやすいという点である。 オラクルは予言力をもつ人という意味で使われるが、それは間違っている。ティベットの伝統では、自 然と精神領域間の媒体として行動する一定の男女――ティベット語でクテン、つまり文字どおり“身体の基”を意味するがいるということなのだ。また指摘しておきたいのは、オラクルは普通、人間として語られるが、便宜上そうしているにすぎない。もっと正確にいえば、彼らは、 特定の事物(たとえば像など)に結びついた“霊”といいうるのだ。 しかし、これを、独自の実体をもつ、外的存在を信じているというふうにとらえてはならない。

 

以前にはティベット中に何百人というお告げ師がいたはずである。今はわずかに残っているにすぎないが、最も重要な存在―ティベット政府が登用している―はまだ健在だ。もちろんその筆頭が“ネチュン”である。彼を通してダライ・ラマの守護神の一人、ドルジェ・ダクデンが現示するのである。

 

ネチュンはもともとバタホルという中央アジアの地に住んでいた、インド人の聖者ダルマパラの子孫とともにティベットに移住してきた。八世紀のチソン・デツェン国王の統治時代、インド・タントリックのグル(師)であり、ティベットの精神的守護者であったパドマサンバヴァによってネチュンはサンミヤ僧院の保護者に任命された(サンミヤは事実上ティベットで最初に建てられた仏教寺院で、別のインド人学者、シャンタラクシタ院長によって創始された)。というわけで二世ダライ・ラマは、ネチュン――この頃にはデプン僧院と深い結びつきをもっていた――と親密な間柄になり、それ以来ずっとドルジェ・ダクデンが歴代ダライ・ラマの個人的守護者となったのである。』

(ダライ・ラマ自伝/ダライ・ラマ/文芸春秋p259から引用)

 

憑依する神霊は、歴代ダライ・ラマの個人的守護者であるドルジェ・ダクデン。ダンテス・ダイジも評価するチベット仏教の創始者パドマサンバヴァがこの神霊を定めた。

ドルジェ・ダクデンは、将来問いたいことについて仮にドルジェ・ダクデンという高級神霊として見えるが、個別高級神霊としてドルジェ・ダクデンが存在しているわけではないのだろう。この辺は、ダライ・ラマ幽霊非有機的存在)についての見方が参考になる

8世紀は、唐代の道教、仏教隆盛に加え、パドマサンバヴァがチベットに入った偉大な時代だった。

現ダライ・ラマ14世は最後のダライ・ラマ。そう自称し、予言しているのは、時代の終わりを控え、その境涯の高さを裏付けていると思う。

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チベットの託宣僧制度

2024-10-09 03:57:50 | 密教neo

◎観想法からトランス

(2010-07-14)

 

ダライ・ラマのインド亡命以前は、チベットに全国的な託宣僧(ネーチュン)制度というのがあった。

 

託宣僧(ネーチュン)の根拠地は、ラサのネーチュン僧院である。そこでチベットの護法神ペハル・ギャルポとその最も重要なチベットへの使者ドルジェ・タクデンとの霊的コンタクトを、一日4回、毎日8時間にわたる観想法を中心とした儀式を通じて行っていた。

 

熟達した託宣僧(ネーチュン)は、この儀式によらず、平素の祈りのなかでもドルジェ・タクデンを見ることができる。国王の要請により託宣を行う時は、託宣僧(ネーチュン)がトランスに入り、ドルジェ・タクデンがその託宣僧に憑依した状態で予言を告げる。

 

よってその予言がはずれることはない。超長期予言ははずれることもあろうが、短期的な予言については、はずれることはありえない。この点でネーチュンの託宣は、日本の中国占術の大家佐藤六龍氏の「占いは当たらないものだ」という世界とは全く異なる世界にある。

 

だから託宣僧(ネーチュン)は、先代ダライ・ラマ13世の逝去も、ダライ・ラマ14世になってからの中国軍の侵攻もきちんと予言してきている。

 

ドルジェ・タクデンは、ダライ・ラマ以外のすべての人間の上位に位置し、ダライ・ラマに対しては従順である。つまりダライ・ラマだけの託宣の要望を受け託宣を行う。

 

ネーチュン僧院は、全国何千もの神降ろしと神を抱える全国組織の頂点に立ち、年に一度ネーチュンのトップである神託官の10回にわたるトランスをメイン・イベントとする3週間にわたる祭典が執り行われ、首都ラサに全国から数千人の巡礼者を集める。

 

このチベットの護法神ペハル・ギャルポを中心とした組織は、チベットへの仏教の伝来者パドマサンバヴァが整備したものとされ、当時、先住のボン教などと新来の仏教系の僧と神霊の棲み分けの必要があったが、宗教界の人間も神霊界も合わせて体系づけたものであった。具体的には、各僧院の中に、護法神ペハル・ギャルポの神座を設けた。このように護法神ペハル・ギャルポを中心とするネーチュン制度はその根幹であり、20世紀まではしっかりと機能していた。

(以上参考:雪の国からの亡命/ジョン・F・アベドン/地湧社)

 

トランスにより神託をうかがうのは、古神道の帰神である。審神者がいたかどうかわからないが、神託官に対しては、ダライ・ラマが上位となることから、ダライ・ラマが審神者の立場になるのであろう。

 

日本でも文字の歴史が残る奈良時代より前の時代は、こうした帰神者が組織的に領内に配置されている神託国家というべきものがあったのではないかと想像される。それが今記録として残るのは、神功皇后の神がかりの一文程度というさみしい状況にあり、出口王仁三郎などの実力ある古神道家がそれをして、「伝統」と呼ぶが、衰微してもあり、出口王仁三郎が大正時代に見切りをつけたように、価値観多様化、情報過多の今の時代にはマッチしないやり方になったのだと思う。

 

ただ古神道の帰神の原型を知るヒントにはなるように思う。

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