◎ダライ・ラマは審神者、ネーチュンは依代。
ダライ・ラマは、重要な決定を迫られる場合は、国営託宣僧ネーチュンにトランスに入らせ、ドルジェ・ダクデンをその身に憑依させ、質問に対する回答を行わせる。ダライ・ラマは、チベット脱出時にもネーチュンを用いたという。
ダライ・ラマという覚者であっても、自分で自分の寿命を延ばせるような人物でも、そういうものを使うことがあるのだ。
というよりも、ダライ・ラマは、ネーチュンよりも上位者なので、審神者。依代ネーチュンには、当然に審神者が必要ということか。
『オラクル(神託、予言者、お告げ師)"という言葉が誤解を招きやすいという点である。 オラクルは予言力をもつ人という意味で使われるが、それは間違っている。ティベットの伝統では、自 然と精神領域間の媒体として行動する一定の男女――ティベット語でクテン、つまり文字どおり“身体の基”を意味するがいるということなのだ。また指摘しておきたいのは、オラクルは普通、人間として語られるが、便宜上そうしているにすぎない。もっと正確にいえば、彼らは、 特定の事物(たとえば像など)に結びついた“霊”といいうるのだ。 しかし、これを、独自の実体をもつ、外的存在を信じているというふうにとらえてはならない。
以前にはティベット中に何百人というお告げ師がいたはずである。今はわずかに残っているにすぎないが、最も重要な存在―ティベット政府が登用している―はまだ健在だ。もちろんその筆頭が“ネチュン”である。彼を通してダライ・ラマの守護神の一人、ドルジェ・ダクデンが現示するのである。
ネチュンはもともとバタホルという中央アジアの地に住んでいた、インド人の聖者ダルマパラの子孫とともにティベットに移住してきた。八世紀のチソン・デツェン国王の統治時代、インド・タントリックのグル(師)であり、ティベットの精神的守護者であったパドマサンバヴァによってネチュンはサンミヤ僧院の保護者に任命された(サンミヤは事実上ティベットで最初に建てられた仏教寺院で、別のインド人学者、シャンタラクシタ院長によって創始された)。というわけで二世ダライ・ラマは、ネチュン――この頃にはデプン僧院と深い結びつきをもっていた――と親密な間柄になり、それ以来ずっとドルジェ・ダクデンが歴代ダライ・ラマの個人的守護者となったのである。』
(ダライ・ラマ自伝/ダライ・ラマ/文芸春秋p259から引用)
憑依する神霊は、歴代ダライ・ラマの個人的守護者であるドルジェ・ダクデン。ダンテス・ダイジも評価するチベット仏教の創始者パドマサンバヴァがこの神霊を定めた。
ドルジェ・ダクデンは、将来問いたいことについて仮にドルジェ・ダクデンという高級神霊として見えるが、個別高級神霊としてドルジェ・ダクデンが存在しているわけではないのだろう。この辺は、ダライ・ラマの幽霊(非有機的存在)についての見方が参考になる
8世紀は、唐代の道教、仏教隆盛に加え、パドマサンバヴァがチベットに入った偉大な時代だった。
現ダライ・ラマ14世は最後のダライ・ラマ。そう自称し、予言しているのは、時代の終わりを控え、その境涯の高さを裏付けていると思う。