アヴァターラ・神のまにまに

精神世界の研究試論です。テーマは、瞑想、冥想、人間の進化、七つの身体。このブログは、いかなる団体とも関係ありません。

クラリネットの一音だけで奏者の人生を知る

2024-10-13 03:29:50 | 冥想いろいろ

◎音をきっかけに自分の奥底をのぞき込む

 

著者のピーター・バスティアンは、デンマーク人のバスーン奏者にして、巨匠チェリビダッケの愛弟子。ハタ・ヨーギ。一日、彼は、ブルガリアのクラリネット奏者を訪問することにした。彼は、クラリネットの一音を聞いただけで、奏者の人生のすべてを直観した。

 

『-音-

 

七〇年代の中頃、私はレコードで聞いたジョルジ・コエフという名前のブルガリアのクラリネット奏者を追いかけたことがある。私は先生のニコラ・ヤンコフから彼の居場所を聞き出し、捜し回ったあげく、ブロヴディフの近郊の小さな村の外で彼を見つけた。突如、車のヘッドライトのなかに浮かび上がった彼は、錆だらけの自転車を引いていた。

通訳は車から飛び出すと、すさまじい勢いでデンマークとブルガリアの文化的協調や、テーブ録音やラジオ・デンマークなどといったことについてまくし立てた。コエフは冷たい調子でいくら払うつもりなんだと尋ねた。通訳が口ごもりながら何とか口実を見つけようとしていると、コエフはこう言い残すと踵を返して行ってしまった―「豚を見に行くところなんだ。デンマークとブルガリアの文化的協調とやらに時間を割いているひまはないね」。がっかりした私は通訳を暗がりに引っ張ってゆくと彼女の音楽的センスのなさを罵り、コエフを追いかけて行って自転車の前に立ちはだかると彼のメロディの一つを口笛で吹いてみせた。

 

-突然、ほんの一瞬だが、彼は天使のように微笑むとこう言った、「金曜日の朝の九時に、五分間だけ吹いてやろう」。彼は行ってしまった。

 

金曜日、午前九時の朝日のなか。――私たちは庭の小道をたどって、コエフに出会い、彼は通訳に何やらぶつぶつと言うと、どこかへ行ってしまった。わけも分からず家のなかに入って行くと、そこでは二人のジプシーが気違いじみたテンポで、まるで競争のようにアコーディオンを演奏していた。私たちは部屋の真ん中にあるストーヴのそばに座ると、いったいどうなるのだろうと戸惑いながら待っていた。ジプシーたちは首から汗を滴らせながら、白熱した演奏を繰り広げていた。

突然、コエフがイチゴを山盛りにした器を持って部屋に入って来ると、顔の一方で通訳に何やらぶつぶつ言い、もう一方で残りの者たちに微笑みかけ、またあたふたと部屋から出ると、外から扉の錠前を掛けてしまった。

 

一時間後、彼はクラリネットを手にして戻ってくると、私たちの向かい側に座ってじっと私をにらみつけた。彼のクラリネットに手を伸ばすと、まるで彼の体の大事な部分をつかんだかのように手をぴしゃりと叩かれた。私たちは長いことひどく気まずい思いをしながら座っていたが、やっと彼は自分のクラリネットを取り上げた。それはずいぶん古めかしい、ハンダや真鍮やプラスチックや蜜蠟などで修理された代物だった。マウスピースは固定されて動かないようになっていて、すっかり歯形が付いているし、太さの違う何本もの糸をマウスピースとリードの間に巻きつけて、リードに適当な透き間ができるようにしてあった。

 

調子合わせに数音を吹いたが、それだけの音のなかにも何か私を完全に変容してしまうものがあった。一音を数秒間吹いたが、ただそれだけで、私はこの人がどういう人でどのような人生を生きてきたのかが分かった。私自身の生きた人生が内側で微かに震えているかのようだった。』

(音楽の霊性 ニューエイジ・ミュージックの彼方に/ピーター・バスティアン/工作舎P62-63から引用)

 

これは、ピーター・バスティアンの小悟。

この話で思い浮かべるのは、無門関第二十九則 非風非幡。六祖慧能禅師が、広東省広州の法性寺で法話を聞いていたところ、風に揺れる幡(はた)を見て、二人の僧が「あれは、風が動いているのだ。」、「あれは、幡が動いているのだ。」と言い争って収拾がつかない。

六祖慧能は、「風が動くのでもなく、幡が動くのでもない。ただあなたの心が動いているだけだ。」と言ってのけた。

 

クラリネットの一音はきっかけに過ぎず、そこからピーター・バスティアンは、自分の奥底をのぞき込んだのだ。

 

占い者は、自分を鏡のようにして、占いをきっかけに自分の奥底をのぞき込む。

タロット、ルノルマン、易、オラクルカード、ホロスコープ西洋占星術、紫微斗数、四柱推命であっても。

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