◎観想法からトランス
(2010-07-14)
ダライ・ラマのインド亡命以前は、チベットに全国的な託宣僧(ネーチュン)制度というのがあった。
託宣僧(ネーチュン)の根拠地は、ラサのネーチュン僧院である。そこでチベットの護法神ペハル・ギャルポとその最も重要なチベットへの使者ドルジェ・タクデンとの霊的コンタクトを、一日4回、毎日8時間にわたる観想法を中心とした儀式を通じて行っていた。
熟達した託宣僧(ネーチュン)は、この儀式によらず、平素の祈りのなかでもドルジェ・タクデンを見ることができる。国王の要請により託宣を行う時は、託宣僧(ネーチュン)がトランスに入り、ドルジェ・タクデンがその託宣僧に憑依した状態で予言を告げる。
よってその予言がはずれることはない。超長期予言ははずれることもあろうが、短期的な予言については、はずれることはありえない。この点でネーチュンの託宣は、日本の中国占術の大家佐藤六龍氏の「占いは当たらないものだ」という世界とは全く異なる世界にある。
だから託宣僧(ネーチュン)は、先代ダライ・ラマ13世の逝去も、ダライ・ラマ14世になってからの中国軍の侵攻もきちんと予言してきている。
ドルジェ・タクデンは、ダライ・ラマ以外のすべての人間の上位に位置し、ダライ・ラマに対しては従順である。つまりダライ・ラマだけの託宣の要望を受け託宣を行う。
ネーチュン僧院は、全国何千もの神降ろしと神を抱える全国組織の頂点に立ち、年に一度ネーチュンのトップである神託官の10回にわたるトランスをメイン・イベントとする3週間にわたる祭典が執り行われ、首都ラサに全国から数千人の巡礼者を集める。
このチベットの護法神ペハル・ギャルポを中心とした組織は、チベットへの仏教の伝来者パドマサンバヴァが整備したものとされ、当時、先住のボン教などと新来の仏教系の僧と神霊の棲み分けの必要があったが、宗教界の人間も神霊界も合わせて体系づけたものであった。具体的には、各僧院の中に、護法神ペハル・ギャルポの神座を設けた。このように護法神ペハル・ギャルポを中心とするネーチュン制度はその根幹であり、20世紀まではしっかりと機能していた。
(以上参考:雪の国からの亡命/ジョン・F・アベドン/地湧社)
トランスにより神託をうかがうのは、古神道の帰神である。審神者がいたかどうかわからないが、神託官に対しては、ダライ・ラマが上位となることから、ダライ・ラマが審神者の立場になるのであろう。
日本でも文字の歴史が残る奈良時代より前の時代は、こうした帰神者が組織的に領内に配置されている神託国家というべきものがあったのではないかと想像される。それが今記録として残るのは、神功皇后の神がかりの一文程度というさみしい状況にあり、出口王仁三郎などの実力ある古神道家がそれをして、「伝統」と呼ぶが、衰微してもあり、出口王仁三郎が大正時代に見切りをつけたように、価値観多様化、情報過多の今の時代にはマッチしないやり方になったのだと思う。
ただ古神道の帰神の原型を知るヒントにはなるように思う。