◎悟りとは至福のことではなかったのか?
(2022-01-17)
ダンテス・ダイジの未公刊の詩集『老子狂言』の中に、長く読めなかった詩が二篇ある。その一。
『果てしない旅
幸福は、外的な状態に依存してあるのではない。
あらゆる方法や修錬によって、
至福を知るのだ。
内面のただ一人だけの充実に向かって、
苦難の果てしのない道を
やみくもに走り続けるのだ。
君が君にオーケーと宣言した時が
君の情熱の消える時だ。
そして君は、
灰色の穴ぐらの中に自己満足と
あきらめの日々を暮して死んでいく。
ただ量り知れぬ秘められた情熱だけが、
幸福や至福の彼方へ甦える。
何と果てしない旅だろう!』
(ダンテス・ダイジ/老子狂言から引用)
大悟覚醒して、至福の何たるかを知った後も一個の人間として『灰色の穴ぐらの中に自己満足とあきらめの日々を暮して死んでいく。』
のだとは、ね。
なるほど。読めないわけだ。
※2025年1月27日追記:いわゆる覚者の二重性の視点を持って読まないと間違える。