被った猫が剥がれ切った後も、娘は先輩達に可愛がっていただいて、人間関係にはほんとうに恵まれた。
就職浪人の1年は、この職場に巡り合うための準備期間だったのかとさえ思われた。
その10年後、一向に結婚の話もなく仕事が好きな娘、東京本社へ転勤の機会が巡ってきたとき、”一生キャリアウーマンで過ごすなら、東京の空気を吸っておいで”、と私は言った。
一度出してしまったら、もう帰ってこないかもしれないと思ったけれど、娘には大きな世界で自分を試してみて欲しかった。
良い人に出会えるかも知れないとも期待した
そちらの期待には一向に沿ってくれないけれど、生き生きと働いている姿を見ると、送り出してやってほんとうに良かったと思う。
今、あの頃のことを思い返してみると、オーバーな表現だけれど、まるで奇跡のように就職へと導かれたような気がする。
こういうことを”縁があった”と言うのだろうか。
縁は人それぞれだから、一年卒業を待ったからといって、皆が就職できるわけではないだろう。
娘はラッキーだったのだと、正直なところ思う。
だから他人に勧める気はない。
でも、卒業してしまったら大学経由の情報は得られない。
難しいな~。
社会人として自立するはずの若者達が職がなくて自立できない現状、本人はもちろん、家族の心労、金銭的苦労、将来への不安、言葉に尽くせないものがある。
こんなこと、絶対おかしい、間違っている
ほんとうに早く景気を回復させて、若者が皆職につけるようにして欲しい。
でないと、日本の未来が怖過ぎる