年末といえば、必ずのように目にするのが忠臣蔵。
少し前、たまたまテレビを見ていたら、
BS歴史館という番組でも、取り上げられていた。
途中からで、しかもあまりちゃんと腰を据えて見ていたわけではないので、
思い違いもあるかもしれないけれど、
大石内蔵助の書き残した文書などから、討ち入りに至る経緯、義士たちの真意など
探っていく番組だった。
討ち入りは、奉公先を無くした彼らの再仕官先を探すデモンストレーションだったとか、
周囲の期待が大きくて、せざるを得なかったとか、いろいろな説に触れながらも、
ここでは、比較的素直に君主への忠義心からというようにまとめられていた。
そこで、いくつか紹介された大石の手紙の中に、
討ち入りに参加する元藩士の人数が少ないと嘆いているものがあった。
もっとたくさんの藩士が参加すれば、名誉も高くなるものを、
逃げたものは、卑怯者のそしりを免れまい、とか何とかいうものだ。
その時、歴史学者のかたがご自分の高校時代のお友達の話をされた。
あるとき、その友人が、「実は自分の家には大きな秘密があるんだ」と打ち明けた。
「家の先祖は赤穂藩の藩士だったんだけど、討ち入りには参加しなかったんだ。
それで、そのことを他人に知られぬよう、決して他言してはいけないことになっているんだよ」
と、いうようなことだった。
それを聞いて、ほかの人たちが、ああやはりそういう雰囲気があったんですね~
などと話していたが、私は意外な気がした。
実は、私の父方の先祖も、まさに討ち入りしなかった赤穂藩士だった。
それも、比較的上のほうの人だった。
史実に沿って作られた作品だと、名前が出てくることもある。
その人が先祖だということは、言い伝えられているだけで
実際にそうだったかどうかはわからない。
でも、恥じて隠すべき真実だったならば、わざわざそれを先祖に結び付ける必要もない。
今は本家も絶えているそうで、確かめようもないけれど、
その番組を見て、やはりほんとうにそうだったのかなと思った。
ただ、私の記憶では、祖父はわからないが、
少なくとも父にそれを恥じているという印象はなかった。
「討ち入りに参加していれば自慢できたのにな~」くらいの感覚だろうか。
誇ることでもないけれど、隠すことでもないという感じだった。
その歴史学者の方は40代くらいの方だから、そのお友達も同じくらいの年齢だろう。
そんなに若いのに、打ち明けるという形でしか語れないという感覚が残っているのだ。
私たちとは何と大きな差があることだろう。
地元と開拓地という地域の差かもしれない。
こちらでは、忠臣蔵も赤穂浪士も小説や映画、テレビドラマの物語でしかない。
先祖が・・・といってもピンとこない。
でも、赤穂や江戸では、それは現実に起こった身近なことなのだ。
赤穂浪士のお墓には、今も大勢の参拝客があって、花を手向けるという。
お友達との普段の会話で、忠臣蔵が話題に上ることはほとんどないから、
誰かにわざわざ言ったことはない。
でも今度、
「私の先祖は赤穂の藩士だったんだけど、討ち入りはしなかったの」
と、言ってみようかしら。
どんな反応が返ってくるか興味があるわ。
でも、きっと、「ああそうなの」で、さっさと次の話題に移ってしまうだろうな~。